てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

パワーと相互依存

パワーと相互依存/ミネルヴァ書房


第1部 相互依存関係を理解する(世界政治のなかの相互依存関係 リアリズムと複合的相互依存関係 国際レジームの変容を説明する)
第2部 海洋と通貨の問題領域におけるレジーム変容(
海洋と通貨の問題領域における政治―歴史的概観
海洋と通貨の問題領域における複合的相互依存関係
海洋と通貨におけるルール形成の政治)
第3部 レジームと2国間関係(米加関係と米豪関係)
第4部 アメリカと複合的相互依存関係(相互依存関係への対処)
第5部 グローバリズムと情報の時代(パワー・相互依存関係・情報の時代
パワー・相互依存関係・グローバリズム)
第6部 理論と政策についての再考(1989年)

※例によって太字拙感想、なんというか一言一句個人的にはまる感じではなかったので、結構いい加減なメモになってますね。まあ、いつものことですけど。

 序 リアリズムでは理解できない現実の解明。1977年の核時代の米ソなどを見てもそう。リアリズムの理論は問題、前提が変わった故に現在はそこまで有効なアプローチ足り得ない。将来を予測できるか?まだ難しい。だから同様の事態、既存の事件を理解できる理論を構築すべし。
 1971に金本位が終わり、71~73のブレトンウッズの崩壊は国際金融レジームを大変化させた。これは「イシュー構造」、パワーの源泉の配分によって説明できる。今こそイシュー構造の変化を探して、そこから問題に対する解決策を考えるべきなのであると。中国は二兆ドルの外貨を保有しているが、これや米国債を売れば、米は窮地に陥るが、実際はドルが下落して輸出先のアメリカがダメになれば中国も窮地に陥るために出来ない。中国も駄目になる構造になっている。
 非対称的相互依存関係を一方から見てはダメ。対称性といえば米ソの核があるが、実際起こらなかった。核テロと金融テロは似ている。脆弱性を減少させるためにイシュー構造レジームを変換しようとする。中国・新興国の比重が今後増えていく。本著では立論が限定的故不十分であり、有効性もかといってこれを否定するのも難しいという段階(かなり慎重になっていますね)。今後の実例を分析・研究する「学習」が非常に重要になると。08~09の金融危機ケインズ以降の学習があった故に主要国は金融緩和をして手を打てた。
 複合的相互依存関係というのは理念型である。相互依存関係のパワーとレジームは現状の世界を分析する上で自分でもモデルの適切性に驚く。だが、将来予測はわからない。自分の論理が有効であると言いつつも、将来予測については謙虚。国際関係についての将来予測の難しさ、一寸先はどうなることを言いたいのかもしれないが、そんなに難しくはないと思うのだがなぁ。無論、ピンポイントで予言したり、必ずこうなる!みたいなのではなくて、おおまかな傾向はまず外れませんからね
 本著はリアとリベの折衷(大抵、リベラリズムの大家として扱われますけどね、相互依存理論の大家ということもあって)。また近代主義、伝統主義という言葉もあって、大体素っ頓狂なことを言うのはどちらかのロジックで決め打ちした、それオンリーの展開をする人。軍事も、経済相互依存も、オンリー重視はダメ。
 中ソという安保を理由としたトルーマンの世界干渉政策への転換。こうすることで保護主義的通商を封じ込める必要があった。対共産圏だけではなく、国内の孤立主義政策者の二重の封じ込め政策。政策背景に米の保護既得権団体があり、それを打破するための安保という構造があった。自由・国際貿易に安保が結合した政策。そうしないと孤立主義と国内利権を抑えられなかった。自立できる国内改革を怠ったツケ、それとブッシュのようにそういった国内既得権の思想を組み込んだ形の安保の結びつきがネオコンブッシュ政権の構造だったのかも?国内既得権団体が孤立主義ではなく、自由貿易特に安保(侵略)へと転換していったということなのか


 「脆弱・敏感」 後述、脆弱はより重要。が、敏感レベルでも相互依存関係を変えよう!となることがある。歴史問題は敏感モデルでみるのが最適かもしれない。非軍事的パワーの源泉が、軍事的パワーの源泉を上回りかねない。外交に脆弱という要素以外にも敏感(脆弱・喫緊の課題ではないのにもかかわらず、国内世論が過敏に反応する、過剰反応を引き起こす)という要素が加わる。1947GATTで、途上国が1970にNTEOという組織化を図ると、途上国の不満をより組み上げようとレジームが1990WTOに。後述。レジーム変容の観察が重要。※自由貿易+安保という構造が冷戦が緩和されることで「国家安全保障」の観念が曖昧に。相互依存の世界で単純なそれが成立しなくなる。経済ナショや国益衝突を防ぐレトリックが相互依存。
「国家安全保障」の観念が曖昧になったことが9.11のインパクトで暴走か?そのような明確な的ではないこと、異質な敵であることも大きいか。いずれにせよ中国のように味方でもあるし、敵でもあるという要素が国家にせよテロリストにせよ目立ってきた時代であるのは確か。Arnold WolfersのDiscord and Collaboration Ambiguous symbolは第一級分析

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 これか、両義性に対する分析をこの分野で初めて行ったのかしら?旧版のハードカバー見たら1962年とかありましたし、古典的名著かな?

 冷戦期に国防から国家安全保障ドクトリンに変わったByダニエル・ヤーギン(Daniel Yergin)

二章
 イシュー・アジェンダが用語化され必要性が高まる。p48伝統的リアリズムの描く世界と違い、複合的相互依存の理念型では安保より問題領域ごとの目標・達成を重視する。トランスガバナンスにより国益定義も難しくなる。アクターも国家よりトランスナショナルになる。軍事・経済パワーより問題ごとにパワーの源泉が存在する。相互依存関係の操作国際組織・トランスナショナルアクターが主要手段に。アジェンダも国防から相互依存の結果生まれてくるものを中心にしたものに変わる。リンケージも国際的階層構造を作らない。国際組織化が進みそこで好ましい提案・行動がパワーの源泉に。
 p107、国際レジームは段階的なもの。ブレトンウッズの段階的衰退で通貨兌換義務はアドホック・非公式制度的な取り決めネットワークによるものに。正式・公式なそれがなくとも機能した国際通貨レジームのこの現象は特筆すべき。
 p148、20~70年代、海洋は軍事性が低下し、非階層性で、多様なチャンネルを持つ。通貨は多様なチャンネルがあったが、軍事性と階層性において従来のリアリズム傾向があった。
 p156、レジーム衰退期に大国は単独より国際組織への代替案を選ぶ。弱小国は大国に勝てないから必然的に国際に従う。
 p160、米は通貨と軍事をリンクさせていた。冷戦後当然これは切り離される。強力な欧州・日本というパートナーの喪失
 p165、70~75年代海洋において競合が薄無、通貨はある程度進む。リンケージ、国際組織化は停滞。
 p181、パワーの構造・変容では海洋と通貨の変化の流れを説明できない。
 p218、カナダは複合モデルよりで、豪はリアリスト・軍事モデルが支配的。だからといって軍事で問題解決ということはないが
 p265、同盟維持のために国務省国防総省が農務省・総務省に対抗してカナダ・オーストラリアを支持する。
 p309、20世紀は英が通貨・海洋レジームの中心で国内利害の抑制と海外への支配的パワーに適用していた。しかし現代のアメリカが同じ事、レジームを支配・利用してパワーを適用させることは難しい。
 

 p411、グローバリストである、近代主義者である=つまり現実離れしすぎているという批判に、逆にそう呼ばれる者たちから理想主義、理念の要素が足りないという批判、双方の立場から批判をウケた。「イシュー構造理論」、イシューを先に考えるやり方。もしこれが単純なリベラリズム的観点から理論化をしていけばより理解されただろう。少し理解が誤って受け取られることが多いのは、これはリアリズムの基本的過程を逆にした思考実験だから。つまりナイ自身はリア・リベどちらの学派でもないということですね。故にその学派から否定的だったり、理解されにくかったりすると。それでも現代の学者はあまり、リアだったリリベ専の学者というのは少ない気がしますが。カーのように両方やりなよ!とかウェーバーの理念型を理解していれば、むしろごくすんなり入ってくる話だと思うのですが、そういった己が素晴らしい古典的業績だと思っている先人の理解が浅いということなのでしょうかね?そういや構造理論とシステム理論の違いというのがあったな。違いを正確に理解しなきゃな.。単純に構造主義→構造=機能主義(理論)→システム理論じゃあかんのか?レベルやし

 あとがきがよくまとめられていたという印象を持ちました。滝田さんが書いていたっけか?
 p461、ディビッド・イーストンは政府・統一的権力のある国内政治の場合、「希少資源の権威的配分をめぐる行為」という定義をしていた。しかし国際政治にその基礎はない。統一的な権威・権力機構がない故に、分析をする際には様々なメガネが必要になる。経済ならマクロ・ミクロと言った眼鏡があり、国際政治にはリアリズム・ネオリアリズム・アイディアリズム、それに相似のリベラリズム・ネオマルクス主義(世界システム論・従属論・構造的暴力論)などがある。リベラリズムにはアクターに注目するもの、政策決定論、ツーレベルゲームなどの交渉論がある。これらは客観的なものになり得ない、間主観的なもの。それに注目したものにコンストラクティビズムがあるくらい。リアリズムてきみかたに対抗したという意味ではリベラリズム(個人的にはコンストラクティビズム+半分リベラリズムって感じがするが、どうも国際政治学的には構造主義がちょっと違った感じで展開されている気がするなぁ)。相互依存関係に注目する大きな転機はやはりブレトンウッズの崩壊と金兌換停止にも関わらず70年台は10年で世界貿易が五倍に拡大したこと。これに注目したのがRichard Newell Cooperリチャード・クーパーの『相互依存の経済学』であり、相互依存の先駆となった。

The Economics of Interdependence (Council on Fo.../Columbia Univ Pr
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 これですが、どうも再販されていないみたいですね。一番初めに相互依存に注目した割には扱いが悪いですなぁ…。翻訳もされていないですしね。

 
基本的に敏感性の問題は枠組みを変化させはない。しかし不満故、相互依存関係を変更しようと模索する動機は生まれる。原油を敏感性の問題とするか、脆弱性とするか当然その国の状況によって変わる。オイルショックは双方の視点から、アラブから北海やインドネシアなどに輸入先が多角化され、相互依存関係が変化した例。最初は脆弱性の要素もあったが、注目を集めその問題に取り組むことで脆弱性の要素は大幅に減った。しかし万一何かあれば、市場に大きな影響を与え、政治的にもインパクトをもたらすので敏感性は高いと見るべきかな?国内政治においても敏感性と脆弱性の勘違いというのは使えそうな話ですね。脆弱性ではないことにどうして敏感に、過剰反応するのか?という論法は論じるうえで凄い使いやすいですからね
 相互依存関係は非対称性がある。五分五分の関係ということにならない。
相互依存の多角化非対称性は低下する傾向にある殆ど一方が優位で一方が劣位ということになりがち。無論、多くの関係があるので部分においては逆転するだろう。低下する傾向にあるとしているが、うーんどうかな?あまり一方が優位・劣位と見る必要性がそもそも低下してきているというのには賛成なのだけど、やはり根本的にどちらかが総合的に優位に立つという点を見過ごすべきではないと考えるんだけどなぁ…

 レジームについてSDグラズナー、ジョン・ラギーですが殆ど本もレジーム単独、レジーム理論を中心として出したってのはない感じですかね?現状を分析しつつ、その過程でレジームが出てきているって感じでしょうか?読んでみないとわかりませんが、International Organaizationとかそちらの論文を読んだほうがわかりやすいかもしれません。なんとなくこういうタイプは論文にきっちり書かれていそうなタイプかなと思うので

平和を勝ち取る―アメリカはどのように戦後秩序を築いたか/岩波書店
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なぜか、ラギーはこれだけ訳されているみたいですね。読んでみようかな。

 p437、マルクス主義死して国際主義の時代。前者は欠陥だらけだったが、後者はむしろアメリカの欠点を浮かび上がらせる。多国間協調主義>単独主義は明らか。多国間協調主義に独特の欠陥があっても、今や主導してきた国際レジームに自分たちが苦しんでいる状態。
 p448、レーガン曰くIMF官僚的だからいや、IEAより国内エネルギー生産で、核レジームも後退した。国連海洋法条約もダメ。しかしアメリカ債務が大きいメキシコ・ブラジルの債務不履行IMFに介入・増資すると、核不拡散レジームへ取り組み、イラン=イラク危機でIEAにも。相互依存社会で単独主義が不可能なことをまざまざと見せつけた事例。
 なのにもかかわらずブッシュは初期においてあの有様。レーガン時代の教訓はどこに行ったのか、少しは学習せ―よと言いたくなる外交姿勢。共和党、米保守の特徴なのか、世界のことなんか知ったこっちゃなくいつでもアメリカは世界と手を切って、自由の砦のアメリカ大陸に引きこもれるのだという幻想があるということでしょうか?悪どい欧州から逃れて自由の国・理想郷を建国する、植民地は悪しき欧州政治の賜であり、それを解放するアメリカなんておめでたい世界観が第二次世界大戦時のアメリカのリーダー層に共有されているくらいですからねぇ。痛快までもそれがかなりのレベルで引き継がれているというか…。9.11なんかまさに青天の霹靂で悪が急に降って湧いてきた、奇襲してきたという受け止め方ですしね。人生なんてクソゲーだみたいに、アメリカ以外の国なんてクソゲーだって感じかもしれません。丁度中華大国の化外の地感覚というか?化外の地に魑魅魍魎が済んでおり邪をなすというか…
 レジームは保険・破滅を防ぐ。
 p451、transnationalな問題はパワーの行使ではなく、情報の生成と分散(つまり高い情報の公開を要求する)と自己強制に依存する。レジームの多くは外から受容することが大事。
 p452、長期的プラン=レジームは国益の価値・政策を正当化する。国際的に信頼出来るパートナーという評価が高まれば、同盟諸国は自然と協力&従ってくれるようになる。レジームづくり=同盟圏内における国内諸制度の相互干渉。アメリカが受容するならメリット大、同盟諸国も満足する。
 自身をレジームの対象外とするのは一時しのぎに過ぎず国際秩序の衰退を招く。各国にインセンティブを与えるべし。つまりルールを作り、秩序を作れ!レジームをドンドンやるべし。PKO・債務問題・為替、この三つが今後のポイントになってくる。レジームか待ったなし。

 要するに、条約・法・制度化をして国内主権を国際機関に移譲してその制限を受けろということ。国際社会における法制度・機関の整備、秩序化を率先して行うべきだという当たり前の提言。国家政府みたいなのはともかく、国際組織・法が進んでいけばアメリカより強力な権限を持つ、アメリカの上に君臨するから、今のような国際組織内社会で国家でナンバーワンの実力を持つアメリカが好き放題出来る体制が好ましいというのはわからないでもない。でも当然、法で縛られなければ同盟諸国は協力してくれないのだからプラマイゼロ。むしろダブルスタンダードでワガママ。ルールを守らない信頼出来ないという点、ソフト・パワーの点では不利マイナスになっているといえる。やはり欧州諸国がその地位を滑り落ちて法や・規範と言ったルールに目を向けだしたように、アメリカも没落しない限りはこのような道には進まないのだろうか?