読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

学校では教えてくれない日本史の授業/井沢元彦

 

 

 井沢元彦『日本史の授業』からメモ。三巻があったの今知ったけど、それはおいておく(^ ^;)。

 

 安土桃山時代という言い方はおかしい。本来織豊政権の居住地を指す安土大阪時代とすべき。

 

 江戸幕府朱子学などもあり貴穀賤金。これまでの貫高制から石高制に何故変わったかわからないとあるけども、現物統制経済が江戸時代の方針だから当然だと思うが…。貫高制、お金を中心にするということは資本主義・実力主義の社会にすることに繋がる。日本という一国単位を有効に治めるために物納主義、幕藩体制という多重権力構造を取っているんだし、当たり前に思えるが?

 

 井沢さんの朱子学が近代化を阻んだ、明智がいたから朱子学を導入したとかも個人的には疑問。間違いだとは思わないんだけど少しピントがずれていると思う。朱子学を導入したからそうなったんじゃなくて、そうしたいから朱子学を導入した。因果関係が逆。日本が近代化出来たのは商売のセンスを持ったものがいたのと中・朝は昔から儒教でそれがなかったというのも?二重規範の問題などが近代化成否のポイントだと思われる。

 

 日本はペリーの前に平和的に帆船で通商交渉にきたビットルという軍人を殴って追い返している。言うまでもなく外交儀礼上考えられないこと。結果、ペリーの来日・不平等条約を招いた。

 

 元のときも馬・飼葉などを運べないから日本は安全だった。海がある故に日本は安保の問題がなかった。ところが蒸気船の登場で状況が一変。艦砲射撃で海上から長距離で大砲を撃てるから海に囲まれる事は逆に安保上の巨大なリスクになってしまった。現代のお台場は黒船が江戸城射撃を防ぐために急ピッチで作ったもの。江戸の代わりに横浜が開港し発展したが、それはこれまで江戸だけで十分だったから。

 

 日本の道路舗装率は79%とタイ・エジプト・中国・韓国よりも低い。ローマのように帝国が通商・軍事的目的で馬車用にインフラ整備がされなかった。タイはモンスーンのために整備する必要があった。日本には舗装する必要性がなかったので貴族は馬車ではなく牛車に乗っていた。

 

 確か戦国時代でもポニーくらいのサイズでしたっけか?まあだからこそ馬を最大限に活かそう!なんて発想も出て来なかったようですね。いずれにせよ、日本の環境は馬を育てるのに向いてなかったし、そういう技能集団もいなかったし、必要性も当時の支配階級は感じてなかったってところでしょうかね?あってもデメリット大きそうですし。

 

 ポニーの騎馬軍団はありえたのか?ポニーでもめっちゃ小回りがきいたとか?いずれにせよなんか可愛いなぁ。萌えブームに便乗した可能性が!?義経は小人だったし、小人集団が騎馬隊だったとかあるのかね?

 

 武田騎馬軍団もロバだったりして(笑)。当時はリトルアイスエイジ、ちょっとした寒冷期でありましたから、冬でも動けるロバを使ってその軍を動かしたとかだったら面白そうですなぁ。まあ、ロバがいたかどうか知りませんが。

 

 ロシアはシベリアの開発を求めて日本に開国を求めていた。食糧・水の供給が目的で英のような植民地化・収奪ではなかった。アメリカも目的は露と同じ。しかしフェートン号事件という英が蘭人を拉致し食糧・水をよこさなければこいつらを殺すと脅した事件があり、以後幕府は異国船打払令を出した。

 

 幕府はこれをきっかけにモリソン号、丁寧に開国を要求してきた米を追い払うことになる。それ以前だがロのレザノフの皇帝の使節も贈り物だけ受け取って追い払っていた。異国事情は入ってきており、ロや米と協調する方針を取っていれば不平等条約締結を避けうる可能性は十分にあった。事実、福岡藩藩主黒田長溥はそうすべしという提言をしていた。決して当時の人間では考えもつかない、ありえないことではなかった。

 

 佐賀藩だけは身分にかかわらず藩校に通えた。よって新型武器・蒸気船・アームストロング砲を作る技術が備わった。明治維新は佐賀で達成されたといわれるのも宜なるかな。

 

 井沢さんは元TV記者で当時の日本の派閥政治の異常さを指摘している。中選挙区制で派閥序列による大臣ポスト回しのおかしさに、「和が乱れる」からという理由で首相を党内選挙で決めないおかしさを指摘する。首相の椅子さえ談合で決まっていた。

 

 日本人の宗教は競争を嫌う、「和」を優先する話し合い絶対主義だという。では何故その話し合い絶対主義になるのか?個人的にそれは「棲み分け」という発想に基づくとものだと思う。自分たちの「縄張り」を設けてそこに安寧する。そして他者のそれを犯さず共存するというのが日本独自の行動様式だと思う

 

 2000年、オオクニヌシ出雲大社が日本で一番大きな建築物であった可能性を示す巨大な柱が発掘された。むしろポイントは日本で最大の建物でなくてはならない出雲大社が何故再建されなかったのかということだと思うが、いつ崩壊して何故再建されなかったのだろうか?気になる。

 

 日本は、縄文人=ネイティブジャパニーズ。狩猟採集民が元々いて。次に第一次弥生人、ζ*'ヮ')ζうっう~が来る。農耕民だがまだ青銅器を使っていた。これが出雲族。そして第二次弥生人の大和族が出雲族を征服する。彼らは鉄を使っていたため強かった。

 

 侵略戦争であり、有名な国譲り神話も実際は虚構だろうと。確かに衝突がないわけはないが、「棲み分け」という発想を考えればあまり過激な形にならなかったのではないか?という気がする。お前らは汚れて奴隷になって当然だ―というものもないし、やはり共存を前提として融和を図ったのではないか?

 

 古代の競争というのは単純化して言うと、国王と奴隷、富者と貧乏人(=やっぱり奴隷)を生み出すものだから。それを未然に防止しようという発想が働いたのではないか?一神教の貧民救済のロジックの力学と同じで。広大な土地・開拓地でもあれば競争の力学が働いたかもしれないが、日本の場合それがなかったし。

 

 日本人の宗教・行動様式は、つまるところ限られた土地・資源においていかに平和裏に上手くやりくりすべきか?そういう前提に基づいた結果、談合政治をする=和を以て貴しとなすに行き着いたのだと思われる。よって「棲み分け」の力学が働くのだろう。

 

 丁度、甲野さんのツイ見て思った。やはり「棲み分け」と「縄張り」だけだと日本の宗教・行動様式を上手く表現できないなぁ。欧州とか一神教には自然を征服するという価値観念がベースにあるが、日本の場合は自然との「共生」があるもんなぁ。この「共生」の観念を入れた宗教観を説明する用語はないものか…。まあ、自然と共生する感じ、その延長で移住民とも折り合ったという感じのような?自然現象・季節の変化のように、あるいは災害のように受け止めたのではなかろうか

 

 聖武天皇の遷都・大仏建立は死穢や怨霊鎮魂のためなのだろうか?無論それもあると思うが他の政治目的のほうが大きい気がする。天皇の死穢を嫌って遷都なら何故以後遷都が代ごとに起こらないか説明がつかないし。桓武天皇が大仏を捨てたのは効能がなかったからじゃなくて別系統の天皇だからだと思うが…。

 

 天武天皇系の作った大仏なら、逆にもう一度天武天皇のために!と自分たちにたたりをなすと考えたんじゃないかな?まあ何にせよ敵対派閥の首都なんて使えたもんじゃないに決まっている。んで当然新政権だから新しいイデオロギー、新仏教や風水を導入し、周辺ブレーンなどを作ったのだろう。

 

 清盛が頼朝を殺さなかったことを甘いとか考えられないという意見がたまにあるが、あれはまだ武家社会以前の話で、「敗者を根絶するのが当たり前」という前例がなかったためにやろうとしてもやれなかったという性質が強い気がする。また源氏鎮魂係として祭祀の担い手が必要だったのかもしれない。

 

 頼朝も安徳天皇を生け捕りにせず死なせてしまったことで鎌倉幕府の正当性に傷をつけた義経にブチキレていますからね。当時の頼朝に彼を押し上げる背景、有力な政治集団もいないので殺す必要性があったか微妙ですね。むしろ担ぐ旗頭があったほうが反乱に追い込みやすいですしね。

 

 ついでに、晋でも皇帝殺しちゃうという無茶苦茶な事件があっても、曹氏を抹殺には追い込まなかったですしね。その後の遊牧系からですね。相手の王家抹殺とか。それでも皇帝周辺だけに限定とか色々ありますけども。まあいずれにせよ当時は過激な一族抹殺とか心情的にも政治権力的にも難しかったかと。

 

 

 藤原氏VS源氏の権力闘争時代があったように、源氏には辿れば過去に貴族の人・高位高官に上り詰めた人がいたというのがあったけど、平氏には貴族で上り詰めた人がいない。まずは貴族としてその地位を固めなくては!という力学が背景にあったのかなぁ?

 

 んで、蝦夷征討、東北征服が終わった後に軍隊を廃止してしまうんだけど。これを言霊思想、軍隊なんか穢れているから止めてまえ!という発想に基づくということだという。その思想もあっただろうが、ポイントは外敵の脅威が消えて統一政府の必要性=安保上の課題がなくなったということだと思われる。

 

 どうして武士が台頭したか、貴族社会から武家社会・幕府へと政治の主体が移っていったかというと、荘園という脱税システムの上にあぐらをかいた貴族が政治を放棄したからだという。その要素はゼロではないが、むしろ進んで現地責任者に委託・権限移譲していったという要素を見逃してはならないと思う

 

 日本の律令政治、唐という東アジア政治モデルを導入したのは半島を失い、大陸から侵略される恐れがあったから=安保上の必要性から国家を統一せねばならなかった。が、大陸勢力と蝦夷の危険性がなくなれば中央集権国家は意味がないので、律令制・国家の政治制度を積極的に瓦解させて権限を地方に移譲しようしたのだと思う。つまり対唐戦争を前提とした時代以前に戻すということですね。

 

 安保上の要請がなくなると、「帝国」としての国家経営が不可能な日本では(地勢上、ダイナミックな通商&大土地所有制に向かない)当時の律令制・中央集権国家は非効率的でしかない。よって藤原氏を中心に天皇の権限を剥奪、政治的実権のないただの祭祀王として祭り上げる作業が始まったのだろう。

 

 このような力学が当時の政治に働いていたと考えられる。よって藤原氏の政治が脱天皇&脱税で地方政治をまるで顧みないものだというのは疑問に思う。それぞれの地方において実情は大きく異なる気がするしなぁ。少なくとも藤原政治が地方で絶大な支持を得てなければ摂関政治が成立した説明がつかないだろう。

 

 兵部省刑部省からひとがいなくなったというのも、「中央ポスト」としてのその存在が地方政治に干渉しかねない邪魔な存在であるからこそ、人員なり予算なりが削られていったのだと思うんだがなぁ。地方ごとで独立状態にあって中央軍を維持できるような政治環境(財政など)じゃなかったのが先ではないかな?

 

 そもそも単純労働、身体を動かすことが卑しいものという観念はどこでも共通してあると思うんよね。部落のような差別は本当に海外で見られないのだろうか?皮革業に携わり血に触れているから汚れが取れなくなった。禊=きれいな水で穢れを祓えるという観念から川を挟んで部落を閉じ込めるという発想へ。

 

 東北、狩猟文化の残る所はウチの部落は~と普通に使う。関西が激しく、東に行くほど差別が薄くなる。部落という発想は農耕に基づく。おそらく取り残された縄文人の末裔。農耕民族は穢れ=毛枯れと捉える。毛とは二毛作などの作物を意味する。つまり汚れは作物を枯らすという発想をもって部落を差別する

 

 んで井沢さんは言霊信仰という観点から、それを言うと実現してしまうから起こってほしくないことは言ってはならないという話をするが、単に「事実」と「当為」の違いがついていない話のような気がするけどなぁ。海外で戦争が起こるというような情報を有楽町に送っても却下された。

 

 だから日本人は最悪のケースを話したがらず危機管理が下手になる。結婚式の汝病めるときも~云々はお互い犯罪者になっても不具になっても商売に失敗して借金まみれになっても一緒にいますか?という意味。国際結婚した大前研一氏はそれを知って妻に確かめたらもちろんそういう意味よと言われてびっくり下という話がある。

 

 ちなみに、キリスト教式の結婚というのは「契約」だから夫婦が結婚を誓い合って、お互いの合意によって成立すると考えるのは間違い。あれは神に誓う、神との「契約」。それぞれが神にこの人と永遠に一緒にいますという「契約」をする。だから原理主義の人は離婚を許さないという発想になる。

 

 ペルーの日本大使館が占拠された事件で東京新聞の若手記者が現地で突入になるだろうと情報を得て予想していながらそういう風に書けなかった。そういうことが起こってほしくなかったからと後日反省文を書いている。こういうことは普通かけないので書いた記者も載せたデスクも立派。

 

 一橋名誉教授の藤原彰氏が朝鮮戦争は韓国の侵略であると論じた。んで、この人は近現代史の権威でこのことについて謝罪もせず、権威として尊敬を集めていたとあるが、これは本当なのか?歴史学会はこういう人が叩かれずにのほほんとしていられる現状があるのかしら?

 

 井沢さんの面白いところは数少ない小沢一郎を評価する人なのよね。裏を取らない新聞の異常さと記者クラブの異常さを指摘して、脱記者クラブを進めた小沢・鳩山を評価している。記者クラブ情報統制をするし、世論調査なんて簡単に操作できると。上杉さんの記者クラブの質問は削除され報道されなかった。

 

 確か井沢さんはメルマガかなんかでも小沢一郎裁判についてこういうことが起こると日本の民主主義は危ないって書いてたしね。小沢一郎プッシュツイはよく見るけど、あまり井沢さん経由で小沢は正しい!っての見ないけど、なんでやろね?

 

 まあ、そういう小沢推しの人達には井沢さんの本を読むのがいいんじゃないかしらん?という露骨な宣伝をしておきましょう(笑)。

 

 一緒に2巻も載せる気でしたがやっぱ分けましょう。分量的にもそれがいいかな。