てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

社会変える日本発の「自動運転車」 圧巻…人間では不可能な反応速度

社会変える日本発の「自動運転車」 圧巻…人間では不可能な反応速度 ーというのを見ました。

 自動車に人間が運転するものだという常識がなくなると凄い面白い影響が色々出てくるので、そうなったら面白いなと、その結果どんなことが起こりうるのか考えてみました。

 自動車が無人ですべて動くようになるのなら、当然免許というものが要らなくなる。目的地を入力するだけで勝手に目的地まで向かってくれるのだから。全て無人タクシー化するのだから、日本の免許にかけている仕事すべてがなくなることになる。警察関係が管理しているデータや試験に係る仕事に更新手続きなどなど、全てが一気に無くなると警察関係から一体どれくらいの規模でのリストラが行われるようになるのだろうか?

 当然、それに伴う警察関係からの失職者が多ければ多いほど、天下り先というか失業者の受け皿として新しい職・権能を欲しがり、児ポ法なり、表現規制なりで暴走する可能性も出てくるだろう。

 また、これまで身分証として機能することが多かった免許証というものがなくなるのだから、当然I国民が身分証を持つ必要性からID導入が避けられなくなる。なんで今に至るまでIDが進んでいないか、まあそれに伴い変な企みをする・余計なことまでセットにしようとするアホがいるから、ID自体がダメだとかそういうことになるのだが。

 警察の話はそんなものとして、自動車が無人タクシー化するのだから、タクシーという仕事自体がなくなってしまう可能性があるだろう。事前にスマホだったり、家に電話して、家から家族が車に目的地を打ち込んで操作すれば駅前に独りでに迎えに行ってくれるのだからタクシーを利用する必要性がなくなる。観光利用、たまたまの遠出でその駅に降りたとしても無人タクシーを利用すればいいのだから、タクシー運転手という仕事が消滅する可能性は大である。

 確か京都のタクシーが外国人観光客に対して、この店の何が美味しい、ここが見どころで今の時期ならここに行くといいという事を教えることで客を掴んでいるという話があった。ガイド兼運転手のようなものだが、今後は殆どガイドになるしかないかもしれない。ガイドに特化して、色々な話をして客を楽しませる。海外観光をターゲットにした陽気な案内人のような新しい仕事としてのみしかタクシーに人がつくことはなくなるかもしれない。

 あるとしたらリムジンのような高級車か特別なスポーツカーのようなものか、あえて運転手をつけて高級感を演出するものくらいしか運転手という仕事はなくなるのだろう。またリフレクソロジーのようなマッサージやネイルサロンのようなソコソコのスペースでも出来るサービスか?それに応じて車内空間設計も大きく代わるのだろう。もしくはトラックの荷台のようなスペースで、サービスを提供するとか。絶対違法風俗のようなものも出てきそうだなぁ。

 目的地まで勝手に来てくれるのだから、これに伴い飲酒運転という社会問題はなくなるだろう。飲み屋に車が送り迎えしてくれるのだから。しかしこれにより警察の仕事がなくなるのは前述通り、しかも交通ルールを無視することもなくなるだろうから、完全に警察が交通ルールについて云々というケース自体が消滅する事になるだろう。

 日本の道路は制限速度がかなりキツメに設定されている。どうも何かあったら、そんないちゃもんを付けてなんとかしてやろうといういやらしい根性が裏にあった気がするが(もしくは最初に作ったルールが車なんて珍しい時代の規準で、アホみたいにその基準を変えられなかったか)、当然無人で動く交通網をデータ管理する上で、ここは40k制限だと混むから60kに。技術が向上して事故率がありえないくらいの数値になれば、そもそも制限速度という観念自体なくなるかもしれない。まあ、だからといって一般市街地を100~200kでビュンビュン滑走するなんてことはないだろうが。

 車を運転する必要がないということは老若男女に運転技術に対する制限がなくなるわけだから、今は一家に二台くらいかな?その常識が変わって携帯のように一家に四~五台は当たり前になるかもしれない。そこにモバイルを組み込んでしまえば人を運ぶスマホだからファミリーパックような形で自動車会社と契約するのが当たり前のような時代になるかもしれない。交通管理上、いろんな情報を集めなくてはならない、データ化が避けられないから、自動車会社が豊富なデータを持つようになる。人がどういう行動をするか膨大なデータを持つ自動車会社が、こういう人にこういう広告を出すのが有効ですよと顧客に有益な情報を提供できるから、広告業にまで手を出すかもしれない。

 まあ、ユビキタスがそこまで進むのなら、車というより家にあらゆる家電などがコントロールされる機能が付いているだろうから、家単位での契約になるだろうから、自動車会社がかつてのテレビのように一家に一台感覚で車を売るレベルになるまで発展していくと考えるのは難しいか。

 また日本の住宅事情を考えるとそこまで広いわけではなく、立派な庭を持っている家庭が少ない。駐車場のスペースがかなり大きく庭が持てない、そのために一箇所に巨大駐車場を作ってそこに収納する。そして出かける前にその駐車場からかかる時間を逆算して呼び出すという形になる事も考えられる。一つの市に幾つか巨大駐車場がモールのようにどーんとそびえたつ日が来るかもしれない。

 自転車やバイクはともかく駅前から自動車を止める月極の駐車場もなくなるだろうし、そういう意味では日本の地価に対してかなりの影響も与えるだろう。土地が豊富ではない、住宅事情などの改善のために国策として追求する可能性もあるかも?

 自動車が会社に人を送って、帰ってくる。またどこか途中で待機する。そういうことになれば通勤電車の混雑も多少なりとも解消されることになるかもしれない。

 走り屋じゃないが、個人で運転をすることがなくなり、スピードを追求するスポーツとしての性質が追求される可能性もある。モータースポーツとしての需用が呼び起こされるなんてことも考えられる。特にバイクはわざわざ自動運転してまで乗る必要があるのかと言われると?になるし。運転ということが一般人のすることでなくなれば、特殊な技術としてプロスポーツ化が進むことは当然考えられるし、レジャー・趣味としてのバイクという要素もまたでてくるかもしれない。

 配達は人が最終的に手渡すところがまだどうにもできないので無人化しても人は乗ることになるだろうが、長距離トラックのような仕事はなくなるかもしれない。

 ―とまあ、そんなことはつらつら考えてみた。うーん実現したら面白いが、失業者が半端なくでるのだろうなぁ。

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自動運転と法