てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

『敗北を抱きしめて』の感想②

敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人/岩波書店

『敗北を抱きしめて』の感想①の続きです。
 センチメンタルな帝国主義者と表現されるように、植民地総督・経営者による占領であった。ガルブレイスいわく戦勝によって経歴・出世が決まる植民地行政官のような「高貴なる意図への傲慢なる確信」の持ち主。恩讐・利害を超えた統治者ならともかく、このような支配者の下で民主主義がどうなるか言うまでもない。

 ふーん、江藤淳の著書で有名だけど、占領下の検閲というのは共産主義の影響力に対向するため最小限の制約と検閲を行うという名目だったのか。それがいかにして占領軍、アメリカに対する批判の封じ込めに拡大していったのかは気になるところだが、単なる戦勝国の傲慢で済ませていいのかしら?(なにか複雑な背景がありそうでしたが、後編読んだらもう何でもかんでも検閲してましたね。ちょっとでも自分たちの権威に触れそうなものは馬鹿げた理由でもアウトにしていますね)

 日本の「軍国主義」にメスをいれるために財閥解体や労働運動の促進、農地改革などを行うつもりでも、日本の経済復興・強化については責任を負わない。大量餓死などの危機は別として自前の汁をすすらせよという方針。これでどうやって日本の民主化を進められるというのだろうか?

 非軍事化かつ民主化というのは、都合の良い想定をしていたとしか思えない。現代のテロの根源に貧困があるように、民主化して軍事的思想が強まらないにするためにはまず生活レベルを上げるしかないではないか。歪んだ宗教・精神性だから軍国主義化しているという誤った前提に基づくからこうなのでは?

 まあ初期対日方針なんか見ても、平和のためには軍国主義を生む根を改変しなくてはならないみたいなことが平気で書いてあるしね。国務次官ディーン・アチソンはwillという言葉をやたらと使って日本の社会を戦争のwillが出ないものにすると強調しているし、言うだけあれですな。

 米がソ連の東欧政策と西欧の復興に注意しているあいだ、1948までマッカーサーは極東の尊大なる君主として君臨していた。上院委員会の証言で大統領の行政権に、立法権を持っていたと述べている。重大な戦後処理でこのように一個人の支配下に委ねたことが米外交の軽率さを象徴するように思える。

 日本政府はポツダム宣言を検討して有条件降伏であると、当初は抵抗をしたが占領軍は無条件降伏であるとして有無を言わせなかった。ポツダム宣言受諾の際、「米は契約を守る」という前提で行動していたのか?しかし当時の人種差別時代の米は有色人種との契約を守らない国だったことを失念したのだろうか

 有条件降伏を無視して、国際法的に根拠がない支配、無条件降伏というような暴挙を行うとは許せない!―としてGHQに抗議やテロ活動をした元軍人などが存在しなかったのは何故なのだろうか?組織的活動ができないほどのダメージを受けたとしても、個人的テロがなぜ起こらなかったのか不思議だ。

 やっぱり金甌無欠とか、神風吹くとか、戦えばかならず勝つみたいなアホみたいなことを戦時中に吹き込んだから。宗教化したからその天皇の神通力が働かなくてショックを受けたということかな?普通は戦争が終わっても外交という次の戦争が始まるのに、そこで闘うというメンタリティがポッカリ抜け落ちてしまっているもんなぁ。

 あと、もし占領軍によるダイナミックな改革が起こらなければ、せいぜい軍国主義勢力が権力を握る以前の状態20年代後半に戻るだけで小規模な改革に留まっただろう。GHQの改革がなければ今の発展はなかったみたいな事を言う人がいるんだが、あれだけ損害をもたらした勢力が衰退しないわけないでしょ 。

 改革は緩慢としたものとなったとしても、被害・損害を受けた人々はどうすれば戦前のような社会にならないかを模索して必ずその方向に進めたでしょうし、それこそが国民主権国家のあるべき民主主義の姿でしょうに。国民の意志なき改革は歪んだ影響を確実にもたらした事にも触れないといけませんし。

 だいたいそういう改革を「他者」が実行に移す際、丹念な取り組みが必要。現地調査で、どういう勢力を育てていけば日本という国家にいい影響をもたらすとか明確なプランがなければならないのに、明らかな理想主義の箱庭実験ですからね。到底手放しで評価していいものではないでしょう。

 当時の子どもの遊びに占領軍ごっこがあった。闇市ごっこやパンパン遊び、左翼デモを真似るデモ遊び、占領軍列車がきれいな人だけ乗車を許可するという列車遊びがあった。またルンペンごっこや泥棒遊びが流行っていたと。当時子供だった人達はこういう遊びの記憶があるのかなぁ?

 占領軍として真っ先に経済を再生させて民生を安定させることが日本の民主主義のために必要なはずなのに、占領軍の駐留のために巨額な予算を当てたことなどは言語道断ですね。所詮陸軍が消えたあとの支配者ということでしょうか?昔陸軍、今占領軍でしょうか。軍国主義は良くなくて米軍国主義はいいと?

 戦争に備えた物資が隠匿され上の人間に横流しされたことは国民にとってもショックなこと。加えて占領軍が日本人が飢え苦しむのを横目に贅沢な生活をするのはまさに弱肉強食時代の到来だったのでしょうね。RAAなどを見てもまさに日本は植民地扱いだったと見ていいでしょう。

 そもそも空爆も戦後の支配を念頭に自分たちが生活するような高級市街を避けていたとか。まあ戦後支配を考えるのは当然ですが、その後の占領軍の贅沢な有り様を見ると…。加えてRAAやMPの女性性病検査事件など軍隊が植民地でむしることを肯定しているとしか思えないですね。

 将軍・天皇と同じくマッカーサーはあらたなる権威主義的な君主であった。彼は司令部の外には出ず、自分の目で実情を確認することはなかった。制限された者のみが彼と対面することが出来たが、マッカーサーは帝王のような態度で命令を下すのみで一切の批判を許さなかった。

 GHQは「命令ではないが命令と同等の強制力を持ったもの」で日本政府を指導した。これが後に日本の悪名高き「行政指導」になるわけだが、米人が非難する日本の独特の悪しき慣習がGHQによって作られたものだと知る人は殆どいなかったと。

 民主主義を広めるために「啓蒙」する必要があるとして、上からの統制を目的に現NHKに放送用電波を独占させた。今に続く悪しき報道業界の慣習もやはりこの時代を抜きにしては語れないのだろう。

 東京の中心には「リトルアメリカ」が生まれ、占領軍を中心とした新しい臣民が登場した。

 「猿人間」という言葉が日本人をどう見ていたかまさに示す言葉で、日本の異質性を強調し、軍国主義に染められていた思考、脳を新しく作り変えなくてはならないと考えられていた。それが日本との戦争の本当の終わりだと。発想は「洗脳」に近いものですね。当時とすればそれが当然なんでしょうけど。

 ルース・ベネディクトは出てくるのに、米の戦後問題・外交を説く上で重要なヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡・日本』はなんで出てこないのかしら?テーマ的にも絶対必要な名著だと思うのだが…。 マッカーサーに日本やアジアに関する専門的知識はなく旧日本派は遠ざけられ重要な政策決定から排除された。

 マッカーサーの子供が生みたい!で有名な抱かレタ―の逸話があるけど、全体の総数からするとむしろ少ないとも言えるのか。これまでの天皇制時代が終わって、新たな君主に対してまんま天皇に対する尊敬・畏敬がスライドした人々が一定数いたというのがマッカーサーGHQ宛の手紙でよく分かりますね。

 マッカーサーの宗教的情熱(キリスト・リンカーン・ワシントンを尊敬)から考えると、彼を表現するのに適した言葉はさしずめ「サーベルを持ったキリスト」というところかしら?マッカーサーというのは。まあ、キリストがサーベル持った時点でキリスト足り得ないんだけども。

 失敗から責任を考える「悔恨共同体」というのが知識人に形成されたと。敗戦と体制の崩壊に国土の壊滅はまさに最後の審判のようなものと同じ効果があっただろうし。民主主義やマッカーサーを聖書や救世主のように受容した者が多かったのだろうか。無論、西欧的ではなく日本的な解釈をした上での受容。

 戦時中に総力戦に備えて労働者が様々なレベルで組織化されていたため、戦後それがそのまま組合に吸収され労働組合員は急激に膨れ上がった。デモやボイコットではなく生産管理運動で対抗したというのが面白い。彼らは生産現場を占拠してより効率的な生産の結果を出すことで経営者に賃上げを認めさせた。

 当時の経済状況からすると生産が止まることは労働者・企業にとって生活が出来なくなるといった背景があっただろうが、抗議をして仕事をサボる後ろめたさもない、負の面がない反抗の仕方のうまさが労組の主張に理があると人々を納得させたのではなかろうか?当時の労組はさぞ勢いがあったことだろう。

 46年5月、数百万の群衆が食料を求めて首相官邸、皇居を囲んだ。皇居の台所が覗かれるという事件もあった。暴力的な行為もなかったがマッカーサーは暴民としてこれを解散させた。これを受けて米からの食糧支援が約束されたと。この事件はどこまで民主主義が許されるのかを示す象徴的な事件となった。

 共産党や左派はGHQの圧力を受けてデモを自主解散させたが、共産党への懸念を抱いた。以後保守派とGHQの同盟のようなものへ繋がっていく。当時の社会を考えるに民主主義より社会主義共産主義の方が理想化され、そちらが求められた。故に民主主義の理解は軽視されたという性質があるのかな?

ここまで上巻。下巻はそんなに長くないけどまた下巻は別で書きます。続き→『敗北を抱きしめて 下』(感想③)