てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

『敗北を抱きしめて 下』(感想③)

敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人/岩波書店

 後編殆ど飛ばしちゃうから内容あんまりないかもしれないけど。続き*1です。

 降伏まで天皇は国民教化の献身対象だった。戦陣訓『臣民の道』は個人主義自由主義云々を否定するという相変わらずの指摘があるんだけど、総力戦において全体主義思想統制に偏向していく傾向はどこの国家でも見られるものだし、どうかなというところ。そもそも戦前という時代状況について根本的に誤解しているのではと思われる。文章を読む限りは誤解しているかどうか微妙な所があって最終的に判断できないのだが、おそらくそういう誤解をしている人だと思える。

 天皇は人種的純粋さや文化的同質性の体現者。戦前の日本人の価値観「国体」を尊ぶような価値観からすると、現代では疑問に思う思想でも当時としてはこれこそが常識。それこそ白人やキリスト教至上の価値観と方向性においては何ら変わりない。それを米抜きで日本の責任云々論じるのはどうなのだろう?それを批判するな!ということではなく、それが当時の常識という視点がないのが気になる。

 マッカーサーの軍事秘書官、心理戦の責任者フェラーズの分析には日本の戦争への道として「軍国主義者のギャング達が国民を騙した」という表現があるが、軍部に騙された!という神話は彼に始まるのか。東洋の安定のための礎としての日本支配があり、そのために天皇と軍部に楔を打つというのが基本戦略。

 天皇と軍部と国民を分けることで平和的な安定的支配が可能になる。軍国主義者を排除した後はそれ以前の支配者、上層貴族と老齢の保守層が中心となると。「国体護持」とは天皇制よりもこの支配階級の地位・身分安定という性質が確実にあるんでしょうね。

 無論、軍国主義者の横暴・欲求という側面も間違いなくあったわけで。天皇を殺せ!日本人を抹殺せよ!という過激な声が米であったことを考えると「軍国主義者」に責任を押し付ける、人柱にするというのは当時として穏当な妥協策であったと見ることも可能。

 天皇の処刑というのは我々からするとキリストの十字架に匹敵するという指摘は的を射た者だろう。また英太平洋艦隊が艦船の横腹に天皇の肖像を描けば神風攻撃を防げるかもしれないという案があったというが、それが現実化していたらというifは面白い。果たしてどうなっただろうか?

 フェラーズは投降を呼びかけたにも関わらず殺戮する米軍を嘆き、空爆を歴史に残る非戦闘員に対する非道行為と非難し、この戦争は人種戦争だったと述べる。欧州の戦争は政治的であり社会的、対して太平洋は人種的だったと。

 東洋の平和を築くためには白人至上主義ではありえない。東洋人と我々は完全に平等でなければならないとしている。 このような彼の思想を見ると、また同僚のマッシュビルなどと比べてもむしろかなり理解している人物だといえよう。当時の米人としてはこれがベターな人物の部類に入るのだろう。

 三種の神器や国民の種を残すこと―と昭和天皇の手紙にはある。これについて敗戦の責任に対する無責任さを書いているが、やはり筆者は当時の人間の価値観や発想を理解できなかったのだろう。皇太子の私的文章では敗戦の理由に科学の遅れと個々の身勝手だとある。日本人は個人では勝てていても、団体になると劣ると。これも面白い指摘。

 天皇が戦争の責任を一身に追うと言った発言は、非公開を前提とした(三十年後に公開された)会見録には記録されていない(あるとしたらマッカーサーと個人的な会話の中か?)。マッカーサーとの会談で天皇GHQが戦後統治で協力するという方針が確認される。

 その方針以後GHQへの協力・従順という方針は社会上層にまで及ぶことになる。それは東京裁判での被疑者ですら同じ。友好を意味する宮中での鴨狩というイベントがあるが、筆者はこれを日本のアメリカ化だけでなくアメリカの日本化であるともしている。日本に抱き込まれた象徴としている。

 フェラーズによると戦後、天皇に対する国民の態度は熱狂・崇拝・畏敬から愛着・我慢あるいは無関心に近いものになる。戦況の悪化に伴い、子供が戦死者の天皇の写真を遺骨箱に真似て首からぶら下げたり、幼い子供が皇居の消失を望んだ歌を歌っていたという。まるで史書の記述みたいですね。

 欧州の君主制が殆ど大戦後に解体していることは当然日本に同じ状況を連想させた。万一天皇のみに何かあっても国民が無関心になることを思想警察は恐れたし、戦後主権在民思想や金権万能思想が蔓延することを恐れた。何より苦心したことは天皇に開戦・戦争責任がないことを国民に納得させることだった。

 当時戦争は天皇に認められていると思われていた。それと戦争を終えるのに天皇が決定的な役割を果たしたとした当時の大宣伝と、天皇に何の責任もなかったという説明をストーリーとして繋げるのは当時の国民が理解するには甚だ難しかった。

 後世の人間は史料や文書から当時の事情を知ることができるので、理解をする・ストーリーをこしらえるのに(人によって差異はあっても)さほど苦労することはありませんが、当時の人間からするとまるで情報がないので、そりゃ混乱しますよね。ましてそこに当事者の利益が絡んだ駆け引きがあれば尚更。

 国民は天皇への関心を失いつつあった。「マッカーサーは日本のへそである。それは朕=チンコの上にあるからだ」などという冗談が平気で出るほど。また島根では天皇家の起源はインドにあり、日本人から大統領を選出するのが好ましいと表明する人が出た。

 自称天皇、女神があちこちに現れた。岡山で酒本天皇が、鹿児島では長浜天皇が、新潟では佐渡天皇が、高知では横倉天皇が、愛知には外村天皇と三浦天皇が出た。有名な熊沢寛道は言うまでもないか。王朝が滅んだ中国のようだが、やはり向こうの史実が知られていたからこそなのだろうか?

 熊沢の「裕仁戦争犯罪人」「マッカーサーは神の使者」などという発言は政治戦略に基づいたものなのだろうか?仮に皇統を継ぐものだとしても、マッカーサーを承認する姿勢は結局、「敗北を抱きしめる」路線を現状より更に積極的に継承しようとするもので新天皇を名乗る意味がそれほどあると思えないが。

 偽物の系統である天皇家が日本を支配したが故に、国が間違った方向に向かい、滅亡の危機に瀕したというロジックなのだろうか?天皇に責任を取らせ、別系統の新天皇なら確かに戦前と戦後を明確に分かつという意味では筋が通るが、一度皇籍・宮廷を出た人間に皇室としての権威があるかと言われると微妙。

 天皇制に対する信頼低下=神道信仰の失墜ってあるが、これはどうかな?元々明治以降の新興宗教はそれなりにボチボチあったという印象なのだが…。確かに敗戦、戦後の混乱で飛躍したとは思うのだが。やはり璽宇教、長岡良子(ながこ)が面白い存在かな。ハルマゲドンが起こると言ったオウムに似ている

  双葉山とか呉清源とか信者に超有名人がいたというのが驚きですね。人間宣言によって天皇の現御神の威光がなくなって、自分に移ったと。皇后から新しい名前をとったり、神格が高まるほど天皇に近づいていくというロジックだったのかな。

 また天照皇大神宮教があった。北村サヨという山口県の主婦によるもの。何かが取り憑き天照大神が自分にメッセージを送るようになったと。歌を通じて説教し無我の舞というものを推奨。天皇を含むあらゆる権威者を手厳しく批判し、30万人以上の信者がいた。このような状況は「神々のラッシュアワー」と言われた。これを以って天皇への信仰が衰えたと見るがちょっと違うかな?

 まずやはり天照大神というものが大きく作用していること、基本形として天皇のアナロジー。代替機能としての教主であるから、本家本元である天皇制・天皇が依然として大きな意味・役割があると見るべきかと。敗戦でいわばパニック状態であり、藁をも掴むという心理を考慮しなくてはならないと思うしね。

 「人間宣言」というものはてっきり天皇の神格を否定するものかと思っていたが少し違う。実は、確かに現御神という天皇陛下自身の神性を否定するものの、天皇が神の子孫であること自体は否定していなかった。これは知らなかったなぁ。実際そのような一文は宣言前に削除された。

 で当然あちらさんはキリスト教を冒涜するような神性の否定がポイント。日本人が他国へ優越しているが故に支配することが運命づけられている的な思想の否定を念頭に置く。例によってこのような重要案件を進めていくプロセスはお粗末&ドタバタ。秘密裏に進めるために吉田茂は草案をトイレで受け取った。

 そもそも天皇陛下自身に日本人の人種的優越みたいな考えがないし、自身の神格化についてもそこに拘りがなかっただろうから、「人間宣言」のようなものに苦渋の決断みたいなマイナスな負の感情はなかったと思われる。明治天皇五箇条の御誓文を加える事を熱望し、その精神に立ち返るべきだと説く。

 五箇条の御誓文の精神に戻って、旧来の陋習を捨て去り、平和と豊かな文化の追求を目指すと。民主主義と明確には述べていないが、未来の礎を五箇条の御誓文の精神から作っていこうという宣言が、「人間宣言」の要諦か。神格の否定ばかりクローズアップされて知らなかったな。

 ちなみにマッカーサーもこの誓文を賞賛し、誓文全体を掲載することを強く主張した。たまに五箇条の御誓文云々で、「戦前に戻す気か!」的な主張があるんだけど、それって明らかに戦後の立脚点の一つにこの五箇条の御誓文の精神があるってことを知らないってことなのかね?やっぱり。

 プライス草案には天皇と日本人が神の子孫であることを明確に否定していたが、これを切り抜けるために「現人神」「現御神」ではないという表現で乗り切ることにした。逆に言うとそこがどうしても譲れない重要なポイントだったということですね。

  「人間宣言」は米に好意的に受け止められ、マッカーサーはこれにより天皇民主化の指導的役割を担う偉大な指導者になったとした。「人間宣言」はマッカーサーにとっては民主化の象徴であり、天皇にとっては日本人のアイデンティティを守るための苦心の象徴と見なすべきか。

 予想された右翼の攻撃はなく、それほど大きな衝撃もなくやり過ごすことに成功した。これがその後の占領安定化の一つのターニングポイントかな。天皇サイドの混乱を起こさないという目的は達成されたといえよう。しかしもし神の子孫であることを明確に否定していたらどうなっていたのだろうか…?

 天皇の新年の和歌「松上雪」 ―ふりつもる雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ― が陛下の心情と世相を見事に描写している。敗戦によりそうせざるをえない人もいただろうが、「いろ」を変える人ばかりでそれを見続けた陛下の心情を思うとぐっとくる歌ですね。

 天皇本人も、東久邇宮首相も近衛文麿も退位するものと考えていた。しかしマッカーサーがストップをかけた。皇族に摂政にふさわしい人物がいないこともあり、退位案は退けられる。共産主義化・米上層で天皇の戦犯追求に繋がる事を恐れフェラーズも反対。安定的な統治のために天皇が必要と判断した。

 一連の経緯を見ても、天皇制を支持することと天皇個人を支持すること自体は差異があることがわかると思う。新しい憲法で新しい政体になるのだから、責任云々とは別に退位というのは筋が通る話だと思うのだが。占領期における歴史の審判など批判対象になるとして恐れたというファクターはないのだろうか?なくても不思議じゃないが…。ソープやアチソンなどは天皇に戦争責任があると考えていたが、戦後統治のために天皇が必要だと考えていた。
 ―こういうのを見て思うのだが、政治上、表面上の法・制度(機構・機関でもいいが)とその実際の運用が乖離することがママあるのだが、どうもそういうことを理解していないのではないか?という文章が多々ある。

 GHQ当時の人間がこう考えていたというのは、当時の人間の常識として理解できるのだが、現代の筆者がその当時のGHQとおなじような捉え方で話を進めるのはどうも???とならざるを得ない。この人政治学ちゃんと学んだのかな?と思ってWikiみたら文学専攻の人だったのか…。なるほどね、納得。

 天皇の権威を利用するため巡幸が行われた。真珠湾の日を選んで陛下が広島を訪れる日程を組むなど、こういう所は米ならでは。国民の天皇像を大元帥からやさしい紳士へとイメージを作り変える旅であった。藩公は目に見える、公方(将軍)様は見ると目が潰れる、天子様は目に見えないといわれた時代。

 こういった観念を持った当時の人々は天皇陛下を目の当たりにして一体どう思ったのだろうか?多くの人は同情と、わざわざ全国を回る姿を見て敗戦によりこんなことをさせたという罪の意識を覚えた。今のように簡単に地方から上京できない時代、天皇を目の当たりにできることは人々に熱狂を抱かせた。

 米憲兵が護衛するという図式がまさに巡幸の性格を表しているといえよう。巡幸によってその道路が整備されたり清掃されるため、天皇は箒と揶揄された。歓迎のために時に地方財政が破綻することもあった。地方の高官から天皇が入った風呂のお湯に浸かることで高い料金を取れたという所が時代を表している。

 1977に出版された『砕かれた神』という天皇崇拝者が書いた本が、天皇主権・明治憲法以来の政治体制の崩壊でアキュートアノミーになった格好の例として読める。機会があればぜひ読んでみたい本だ。

 ポツダム宣言第6項で、軍国主義者を除去するということを理由に、東京裁判を行っているが、ハーグ陸戦条約にまつわるこれまでの国際法体系に明らかに違反していると言えるのだが、そこはナチス同様、ユス・コーゲンス違反ということで正当化しているのだろうか?

 むしろ逆に当時の国際法違反・非道行為を正当化するために―「軍国主義者」に洗脳された・支配された日本がアジア侵略に乗り出した。故に米の国際法違反も緊急事態の行動として正当化される―としたいがためにこのような「物語」を今でも必要としているといえるかもしれない。

 憲法改正プロジェクトは内閣とGHQと近衛の三つで並行して行われていた。日本人自らの自由意志によって憲法を制定せよとしながらも、内閣の憲法案が満足できるものでないとGHQ自ら作ることにした。近衛は公的なポストなくとも当時の政治能力を評価されて、GHQから憲法立案を任されていた。

 近衛もまたこれまでの憲法を踏襲した穏健な憲法改正案であった。これがマッカーサーに拒否され戦犯として起訴されると服毒自殺した。時に民主主義憲法として出来が悪かったからという説明がなされるが、民主主義というのは憲法を作ったから出来るものではない。民主主義の精神が国民になければならない。

 当時の日本人、社会制度などを考慮して、「理想的な憲法」を作ったって意味が無い。現実と理想のバランスを取って初めて政治は機能するもの。理想を追求すれば民主主義社会・政治が出来るなどというものはまるで理解していない証拠。いわずもがなGHQはそもそも民主主義について知見が欠けていた。

 理想的な憲法があればいいとか、民主主義の機能を阻害する要因を取り除けばそれがうまく機能するとか、困った理解の上に作られた憲法の問題点は今もなおひきづっている。言うまでもなく彼らは善意に基づいて行動していた。地獄の道は善意の石で敷き詰められている―とはかくのごとしか。

 幣原・松本・吉田のような支配層にとって憲法改正は軽薄かつアメリカ人のとんでもない思い込みに過ぎなかった。筆者はこのような改憲に対する後ろ向きな姿勢を否定しているけども、占領下で国民の支持・民主主義の基盤なき新憲法を否定するのはむしろまともな姿勢であると言える。

 民主主義の基盤の一つは慣習である。慣習なき、社会基盤なき新憲法・民主主義など根付くはずがない。松本委員会を自己破滅的、島国的な自己満足と近視眼的な専門知識の哀れな一例として歴史に名を残したとあるが、民主主義が簡単に生まれる・成立すると考える時点で同じ穴のムジナとしか言い様がない。しかも米国人である人間がそう語る時点で語るに落ちたと言えよう。

 松本委員会での改憲案では天皇が「神聖」から「至尊」に変わっただけであった。当時の人々にとってこれだけでも驚くべき変化だった。ポイントはこのような僅かな改憲でありながらも、改革を少しづつ積み重ねて最終的にどのように自由・民主主義社会を作っていくかというビジョンだったはず。

 が、結局GHQ憲法を作ったことで最も大事なプロセスは不明に。私見ではGHQにも当時の上層にも、一番大事なプロセス、そしてそれに伴うビジョンが欠けていたと思われる。

 マッカーサーにとって極東委員会、つまり戦後国際秩序のために新憲法が絶対に必要という事情があった。占領下で生まれた改革もGHQあってのことで、もし占領が終了して軍が引き上げたら、あっという間にまた元に戻るかもしれない。その戦後不安定化を回避するためにも新憲法は彼にとっては絶対に避けられなかった。つまり彼は、天皇+新憲法=日本の安定化→国際構造の安定化とセットに見ていた。

 批判が多いマッカーサーの「押し付け憲法」であるけども、国際秩序という視点から考えるならば、正急なしかも占領下の新憲法というのもそこに根拠が無い訳ではないといえる。無論、それによって占領下での憲法制定が正当化されるとはいえないだろうがが。

 大正デモクラシーの思想的根拠を支えた美濃部達吉も外国の占領下における憲法改正に断固として反対した。近年の問題は憲法の欠陥ではなく、憲法の真意が曲解されたためだとした。西洋の憲法でも神聖、不可侵という言葉は使われており、天皇の地位についても全く問題ないとした。

 天皇機関説を説いて、明治憲法の字面上天皇に主権があるように読めるが、実際は国民主権の方向に社会をリードしていった。憲法の精神を考えるとそうなるに決まってるから。統帥権干犯問題についても兵力量の決定は内閣の裁量であり、それには当たらないと氏はきっちりまともな判断を下した人物。

 かのように美濃部達吉のような憲政&民主主義を理解した人物がいるからこそ、民主主義政治というのは機能するものであり、逆にいうとそういう人物が排除・非難される社会だからこそ民主主義は機能しなくなる訳だ。問題は憲法の文字・文面ではなく人や社会にある。氏の改憲反対は的を射たものといえよう。

 筆者は美濃部を否定的に扱っている。占領下での立憲についても、国際法的にどうなのか?という視点はないし、また大多数の普通の人々がアメリカ人の推進する民主主義を受け入れていることが明らかになったなどと書いている。こういうところは根本的に誤解をしている、というかそもそも理解できていないのだろう。

 新憲法天皇の手から明治憲法の改正案として国会に渡ることになった(これだけでもかなり立法・立憲のプロセスとして瑕疵があると思うが…)。吉田は天皇と臣民は一つの家族であることに変わりはなく国体は変更されていないということを力説した。多くの人にとって第一関心事はまさに「国体」であった。

 現代の我々の価値観からすると(おそらく)、この時代に重要なのは国際法が守られているか、法の支配という正統性があるかどうかなのだが。当時の人々にとっては「国体護持」であった。現代の日本人の殆どがもはや国体ということすら知らない時代。こういう点で我々は全く別の民族になったといえよう。


 検閲とか東京裁判の部分は大体既知の範囲なんで飛ばしました。資料として目を通す価値はあると思うので興味のある方は是非どうぞ。こっから下はほとんどおまけ的な話です。

  陸軍大佐辻政信は本当に凄いよなぁ。逃亡生活を送って、反共のために国民党から重宝され、その経験を買われ戦犯の手配から外れるとアメリカの庇護を受け、潜伏生活の手記と実体験の戦記を書いてベストセラー作家に。占領後初の選挙で議員当選まで果たすとか本当凄い良いキャラクターしてるよなぁ。

 与太話だが、「あたらしい憲法のはなし」という薄い本が発行された―という記述で薄い本で違う連想をしてしまった(笑)。今後翻訳する人はパンフレットとか違う言葉で訳すようになるかもなぁ。世代でここに敏感になるかどうか別れるかも。史料でこういう字を使わないから偽物と判定する話に近いものがありますね(笑)。

 これは戦前から始まっていることだけども傾斜生産方式、寡占企業に政府が資源を回し経済が早く全体的に回復するように、統制的経済政策が取られた。いわゆる1940年体制ですね。当然これは政経の癒着を生む。昭和電工事件を代表するようにGHQまで汚染された。

 日本の社会構造の問題として、政経の権力的もたれあい、政経独立せずに不正常な関係を築く。自由競争の余地がない、個人を中心に考えられていない社会モデルというのは、ここに一つの起源があることが出来るのかな?と思いました。さすがに今では政経癒着問題の社会的優先順位は下がっていますけどね。

 マッカーサーの演説で日本は12歳の少年であるというフレーズによって、日本人の多くは侮蔑されたとショックを受けた。が、老兵は死なずただ去るのみのセリフと、「若い」ということが重要視される米の文化を考えても、これから日本は成人して明るい未来が待っているという意味だとわかる。無論、そこには日本を異質なものと見て、自分の支配・改革によって日本が素晴らしい国・まともな国に生まれ変わったという自己の業績をアピールしようという意図があったことは間違いないが。

 米でも日本は変わってないと見る声が殆どで「12歳の少年」として封じ込められた、脅威でなくなったという見方だった。そして再び経済大国として注目されるまで、なんとなくミステリアスな国でイメージは変わってないだろう。米は中国並みに外国に対する関心が乏しいのだろう。大国故なのかな?こういう諸外国に興味が無いのは。

 米などが問題視する「日本のモデル」は戦後統治によって生まれた「(SCAPからとった)スキャッパニーズモデル」の問題と言える。

 で、本書を読んだ感想はなんというか凄いわかりづらいですね…。筆者のスタンスが明示されてないから、一々出て来る事象に筆者が肯定なのか否定なのか判別しづらい。

 最初にジョン・ダワー氏が自分のスタンスを明確にしてくれたら良かったのに、どういう観点から物事の当否を見ているかわからないので、これはこういうことを言いたいのかな?とスタンスが違う自分からすると非常に困ってしまう。もうちょっとスタンスが違う読み手のことを考えて書いてくれないと…。

 やはり、文学出身の人故か、そういう所の指導を受けていないのかな?という感想を持ちましたね。ですから、オチがおかしいんですよね。何が言いたいかわからない。戦後統治を検証した結果、では今後はどうあるべきか?といった大事な結論がポッカリ抜けてしまっていますし、ちょっと問題あるかな?と思います。

 こういうレベルの人がMITの教授なのか…という感じは少なからずありますね。日本について関心が薄い、そもそも研究者自体が少ないでしょうしね…。最初のほうでそういう指摘がありましたし…、そもそも日本についての書籍が少ないと。歴史学政治学、国際~~的な学とか、そういうモノの見方がひょっとしたら足らないのかな?と思いました。

 日本統治を検証すること=アメリカの問題を論じるということでもありますから、故に、今のアメリカの方針は日本と同じミスをしているとか、これを教訓に活かして違った占領政策を~とかそういう話がないのはどうなのかな?メインテーマが日本だとしても米を論じないのはおかしいですよね。

 日米関係を通じて、米の外交戦略を見るわけですからね。そういう広がり、深みが当然欲しい。戦争前、戦争中、戦争後(占領)→∞。その三段階の内の三つ目を論じて、ではその前はどうだったか?とかロジックにリンクが欲しい。次の戦争では~とか。このトピックだけを論じて、「点」で終わってしまってる。「点」が「線」に「線」が「面」にという展開がない。ちょっとロジックが体系付けられてないかな?残念ですね。

 まあ、でも感心した話も多々あるので、戦後について色々な話は参考になりますね。この時代について読むべき文献であるのは間違いないのではないでしょうか?もっと読みやすそうな良書もあると思いますが一読の価値はあると思います。

※転載ついでに。『東京裁判に乗っからなかった中国共産党』―というタイトルで書いたメモ程度の話をおまけに追記しておきます。
 『敗北を抱きしめて』で忘れてた話。国民党はともかく、共産党東京裁判に乗っかっていない。戦犯を裁くようなことをしなかった。無論、そこには洗脳という戦略があったわけだけど、事後法の裁きに組みしなかったことは、中共にとって、日本へ非常に意味のある外交上の財産なのだが、なんでそれを利用しないのか不思議。

 中国の外交路線だと多分、米と同じロジックで「軍国主義者」が日本国民を騙したというものを踏襲していると思うんだけども、それだと既存外交レジームを承認する。今の中国にメリットがないような?戦後秩序構築に関係なかった中共は戦後秩序を否定して、日本を自陣営に組み込む方がいいと思うんだが、なんでそういう外交戦略を取らないんでしょうかね?

 戦後すぐなんか、日本が脅威でその復活、「軍事大国化」を恐れていたなんてことは理解できるんだけど、未だにその路線を引きずるってのはよくわからないなぁ。共産陣営の拡大という戦略時代と今であまり外交基本戦略・大枠が変わってないのは何故なのか?まあ対ソで友好時代もあったけど。やっぱ彼らの外交戦略は行き当たりばったり?そもそも外交レジームという発想があるのか?と言われればないでしょうからね。まあそんなところがちょっと気になりました。