てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

ジョセフ・ナイ著 国際紛争

国際紛争 原書第9版 -- 理論と歴史/有斐閣

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国際紛争 -- 理論と歴史 原書第8版/有斐閣

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※読んだのは8版の方です。最新のは9版みたいですね。いつまで更新するつもりなんでしょうかね?まあ教科書として使っているから、毎年新しい情報は更新していってるからだと思いますが。

 ナイの国際紛争でちょっとしたメモを。紛争に一貫した論理は存在するのか?トゥキディデスを見ても基本的な国家の力学は現代と変わらない。古典は現代でも有効。しかし現代の新しい変化によって、通用しないものや力学の変化がある。古典=旧次元を抑えつつ、現代の新しい力学=新次元を抑えること。

 ベルリンの壁崩壊後の20年で220の国際紛争が75の異なる場所で起こり、うち9件が国家間戦争で、内戦の介入を伴ったものは24件だった。19世紀においてもっとも血腥かったのは太平天国の乱と南北戦争(その二つのような出来事が起きたら、第三次世界大戦なんかより大惨事をもたらすかも…)。

 ナイは歴史を三つのパターンで分類する。世界帝国システム、封建システム、無政府システムの3つ。欧州覇権国家が世界帝国で、インド・中国などは地域帝国と。皇帝が貴族に封建する要素があるから封建と言えなくもない。まあ理念型だろうし、そんなに精密化する必要もないだろう。

 古代ギリシャや15世紀のイタリアが無政府国際システムと。封建するような突出した権威がいない状態のことだろう。ナイとしては印度や中国の王朝はこちらの延長として扱うようだ。これには違和感があるが、まああちらさんは当時の欧米のシステムが発展して現代の国際秩序を作っているとするから当然か。

 主流は西欧諸国家にあってそれ以外の非近代国家は所詮傍流にすぎないと。まあ「覇権」概念を正当化する論があるくらいですからね。欧州覇権の延長=米覇権による国際秩序の安定化という思想は欧州版保守ロジックとも言えますからね。国際法には強制執行機関がない、覇権がそれを不完全ながらも埋めると。

 基本的に国際政治はその無政府性、強制執行機関がないという地点から始まって、リアリズムとリベラリズムの論争になる。前者は継続性を重視し、後者は変化を強調する。どちらが正しくて間違っているということはありえない。時と場合による。マルクスのような決定論は人文学の世界ではありえない。

 物理学ならともかく、人文学の世界では不確定要素が多すぎて決定論は通用しない。マルクス主義の考え方では共産主義同士の衝突を説明できないのもそう。その他重要な諸要素を見落として論を立てているから。 60~70年代には従属論が人気となる。周辺に追いやられた国は決して豊かになれないという。

 また第三世界の「二重経済」=貧富の格差拡大の説明もしたが、東アジアの「周辺」とされる諸国が成長を遂げると、それを説明できなくなるとその人気も衰えていった。(従属論を没落させた日本の経済成長ってスゴイなぁ…小並感)。

 80年代にはミクロ経済学に倣い、数理的演繹的理論の構築を試みたネオリアリズム、ネオリベラリズムというものが出てきた。前者がウォルツで後者がコヘイン。双方とも理論の優雅さや簡潔性は高まったが、それ以前の豊かな複雑性を低下させることになった。

 理論間の決定的対立と思われていたものが、国際関係における国家中心の合理的行為者モデル内部の比較的狭い意見の対立に過ぎないことがわかった。

 ということもあって、双方の理論の欠陥を埋めるようにコンストラクティヴィスト(構成主義)と言われる立場が出てきた。

 個人的には構造主義のアプローチそのままなんで、国際政治版「構造主義」ということで用語をそのまま用いてもいいと思うんだけど、構成主義と独自の用語を当てられている。構造主義structuralismとどうしてわざわざ分けられたのか詳しいことを知らないので何とも言えませんけどね(※すでに「構造」という用語をウォルツが使っているからみたいですね。他にも世界経済や南北関係のアプローチでも「構造主義」という用語が使われているからだと。)。

 アイデンティティ・規範・文化などテーマからアプローチして、問題・現実社会の有り様を探っていくなど社会学に似たところがやはりありますね。代表的なウェントは無政府状態と、一口にいっても実際は平和的なものから危険的なものまで様々。当事者の認識に左右されるのであり国家が思い込むものだとする。

 またネオリア・ネオリベが前提に「国益」の追求を置いているが、その「国益」がどう形成され、変わっていくのかという分析が十分でないとする。奴隷制も人種差別も昔は肯定されたが今では非難される。このような価値の変化は何に基づくのか?観念・概念は社会的に構成され、変化するものだから。

 だから今では人権という価値観がたまり、かつては国家間の安全保障だけが論じられていたものが、拡大されて「人間の安全保障」という価値観にまで至る。社会が構成する物事の本質を見極めないと十分な分析や、変化に対する予測・対応も上手くできないし、見当違いの方針を取りかねないと。

 また90年代フェミニズムが批判的アプローチをもたらす。国家間関係以外に注目する事で、社会プロセス・非エリートの問題などを取扱い、世界政治を包含的に研究しようとする。Jacqui Trueいわく国家以外の主要な社会的構成体の利害・アイデンティティもまたグローバルレベルで形成されると。

 それを解き明かすのが、彼女のいうFeminismという学・アプローチが存在する意義なのだろう。彼女の著作を読んだ事がないので分からないが、フェミニズムという視点が有益に役立っているケースなのかもしれない。日本だとお騒がせおばさんというイメージしかないからプラスイメージがないのだが

 Theories of international relationsか。失礼ながら彼女の名前を存じ上げなかったが、フェミニズムというシステムから国際政治に有益な提言をして欧州あたりの政治に影響を与えていそうな気がするな。近くの大学に本おいてあるかしら?

 フェミニズムといえば、やはり従軍慰安婦にまつわる日本が避難される、批判される根拠に大きな影響を与えていそうだし、そういう問題を解決するためにも抑えておくべき!という側面があるかもしれんしね。それくらい有益な分析をしてる書ならいいんだけど、どうかな?

 現在の論争では、主権・人道的介入・人権と集団殺戮といった用語の意味を巡って盛んな議論が起こっているが、リア・リベ以上にコンストラクティビズムは多くの視点を与える。リア・リベの補完物として機能している。体系が不十分で予見にかけるとはいえ二つにないものを提供してくれる。

 国防省国務省時代の経験から見ても理論は有効。リア・リベ・コンの三つを状況は異なれど、応用した。理論は有益な現実の道標。必ず何らかしかの理論を人は用いている。自分の理論が何であるかをしっかり把握することでその強み・弱みが理解できる。

 ケインズが言ったように、自分たちは何の理論にもとらわれていないという実務家ははるか昔の三流経済学者の説に従っているだけということがある。

 主体、目標、手段が分析の材料として一つのポイント。軍事で動いていた時代と大きく変わって多様化していることに注意。

 バランス・オブ・パワーは有力な覇権国を中心として動いてきた。西→仏→英→米と覇権は移って今に至っている。新興国はこの覇権を獲得しようとして、これら最有力国に挑戦する。これを覇権戦争・世界戦争という。そしてその後に結ばれた条約が戦後秩序の新しい枠組みとなる。

 1713ユトレヒト条約、1815ウイーン会議、1919国際連盟、1945国際連合である。アテネ・スパルタ以来、覇権を巡って必ずぶつかるという図式は変わらないのか?そして現在では、台頭する中国は覇権を巡ってアメリカに挑戦するか?ということが問われている。

 ウイーン体制とかヴェルサイユ体制と言われるのに、それではなくなぜ国際連盟国連?で代弁したのかな?国連を持って戦後秩序というには疑問を覚えるが、戦後ドイツが崩壊して講和条約・体制が明確に決まらなかったから、苦心してこういう書き方にしたのかな?

 日本・東アジアサイドはサンフランシスコ体制でわかりやすいんだけどね。まあ、中国は加わっていませんけど。ポイントは西欧と東亜で戦後秩序が二分化されていることですかね。ヤルタ体制ポツダム体制?ともなかなかハッキリ言いにくですしね、西欧の戦後秩序は。ブリュッセル→WEUで西欧自体はそれでいいんでしょうけど…。やっぱ体制不在かな?

 まあ、大戦→戦後講話→戦後新秩序・新体制というのは最早成立しないと見るべきかもしれませんね。冷戦以後、ソ連崩壊でも大国招集&戦後新体制の話し合いというプロセスもないですしね。新戦後秩序なんて上手くいかないと思いますが、会議をやろうという提案自体すらなかったんでしょうかね?

 ちょっと前にユトレヒト条約こそが主権の観念成立に大きな役割を果たしたという説を見ました。ウエストファリアとウィーンの間にあってユトレヒト条約は埋没しがちですよね。有名なウェストファリア条約で以後主権という概念が成立したとよく説明されてますがいきなり主権ルール作りまーす!はーいみんな主権絶対だよ!ってズッ友みたいにいきなり出来たわけじゃないですよね。実は主権概念の法的根拠はユトレヒトにあるってのは面白いですね。しかし歴史的産物、慣習を経て法的規範が育成されていったという感じがするので、ユトレヒトに見出すことができるというのはどうかな?と思いましたね。実際見てみないと何とも言えませんが。いっぺんなにかウェストファリア~ユトレヒト辺りのの著作を読むべきでしょうかね。

 ナイのツキュディディスの『戦史』が完結にまとめられているから自分自身の目でぜひ読んで欲しい(ファミ通)。まあリアの古典なので読むべき本ですけどね。 アテネが休戦条約を破ったのは「恐れ」が原因である。一時的な休戦はあっても大国が並び立つことはありえないと当時考えられていたことが原因。

 まさにセキュリティジレンマによる破滅的な結末を招いた。囚人のジレンマに言われるように、双方が裏切らなければ双方最高の結果を得る。が、これには長期的な信頼関係、時間が必要。学習による叡智がなければ成立しない。 ツキュディディスいわく戦争の原因はアテネの力の増大をスパルタが恐れたから。

 当時の常識からすると両雄並び立たずが当然。いつでも強硬論は国家内部に内在されており、それがいつ爆発するかは実際にそうなるまでわからない―と個人的には思う。 また一つのポイントとして急激な力の増大があると思う。このケースは違うが。今叩かねば将来やられるという危機感が働くケースもある。

 ケーガンによると戦争前にアテネの力は増大していない。むしろ均衡していた。両者とも奴隷制で、その反乱こそを恐れていた。相手が強攻策にでないだろうという見誤りこそが戦争の原因。意思疎通が正確であれば火花は消し止められたという。

 しかし当時の社会背景を考えればいつかは必ず衝突したと思う。今回の危機を切り抜けられたとしても、お互いが相互不信に陥りやすい環境・条件だから、この危機は乗り越えられるものだという分析はそれ自体は有意義でも、あまり意味が無い気がする。

 対照的に現代では、戦争が不可避という環境にない。この古典を研究する価値はまさにその比較対象にこそあると個人的に思う。スパルタ=ソ連アテネ=アメリカと言った単純な類推はダメ。

 ここでは書いてないが、ソ連強制収容所で、アメリカは人種差別。同じ性質を持っていたが、奴隷制に似たシステムを克服したほうが勝ったとかそういうことは言われているのかしら?不完全といえども公民権運動で米は国内の不平等な構造に目を向けたしね。

 歴史は選択的記述であり、当時の背景に拘束される。歴史とは抽象化、理論化することだから当然そこに見落とし、語られないことがあることは注意。

 国際政治と倫理の問題。国際政治において倫理のあり方は、懐疑主義(倫理は殆ど働かない)と国家中心的道義主義(ある程度道義が作用するとする)とコスモポリタニズム(世界市民主義、世界中の人を皆平等に見るもの)の3つ。国際政治においては必ずしも倫理が高いほど、安定するというわけではない。

 コスモポリタニズムは世界平等をモットーに再分配に繋がる恐ろしさもあるので=秩序を乱し不安定化させる可能性もあるので、良い性質しかないとは言い切れない。共産主義化の恐れがありますからね。

 道義は無論、正戦論に繋がる。キケロ・聖アウグストゥス・聖トマス・アクィナスに古典的議論がある。武力行使が道義的に許容される条件として開戦の原則jus ad bellum、交戦の原則jus in belloがある。

 開戦には①動機②意図③手段④最後の手段としての武力行使⑤成功の可能性―の5つが問われる。交戦には①戦時国際法の遵守②(敵との)手段の均衡③非戦闘員の安全の3つ。

 米兵でも法を犯せばヴェトナムで罪に問われるという例をあげるが、むしろ米兵の戦時国際法違反はゆるゆるだと思うのですが…。そういえばソフトパワー論を提唱しながら、ナイはもっと戦時犯罪取り締まれ!とか言ってなかったような…?どうだったっけ?

 ゲリラの村に迷い込んで、無実の村人を救うために誰か一人殺せば、村人の残りを見逃してやると米兵に言われた―みたいな話があるけど、マイケル・サンデルみたいにそういう究極の選択みたいな喩え話好きだね、米人は(笑)。で貴方自身で答えを考えてほしいで、投げッパで終了。結局答えを提示しないとw。

 こんなのさ、「愛国」という意味を理解できていない典型なんですよね。国を愛するために命をかけて「敵」と戦うことと、国を愛するために国家が間違ったことをしていると判断できたら国家と戦うことはおんなじなんですよ。国のために敵を倒す英雄を目指して行動することと、反政府ゲリラとなって国家と戦うことは一見真逆のベクトルに見えますが、その根底は同じなんですよね。向いてる方向性が違うというだけで。

 ですから、いついかなる時も国が正しいと無条件に信じて一兵卒として敵を殺す行為も、いついかなる時もこの政府がおかしいと抵抗活動・テロ活動をするという行為は本来おかしいんですよ。所属する国家に対して盲目的信仰で行動する人くらいでしょうね、そういう行動をするのは。あとはセクショナリズムにとらわれている人でしょうかね?いるとしたら。

 だから国家が正しいとなったら、その前提として徹底的に相手の言うことに耳を傾けて、説得する&話し合うというプロセスを踏んでいるなど、国家がちゃんとしたプロセスをきちんと踏んでいるとしたら、非人道的行為といえどもゲリラ皆殺しという選択肢はあるでしょう。

 逆にそのプロセスを守れていない、国家が暴走しているということだったらゲリラ側について自国の軍の兵士を殺すということになるでしょうね。まあ、ケースバイケースでこんな簡単に決められることではないですが、まあおおまかな原則はこういう感じになるでしょうね。こんなんじゃなくても、せめて自分の答えを提示して欲しいですよね。こういう問題があります。さてそれについてどうしようか、困った困ったでは学問にならないですからね。無論、己のが正しい答えなんて言うつもりはないですよ。行動する価値基準としての一例ですからね。

 一章おしまい。結構つぶやいたけど。自分用メモだからいい加減。既に知っていることは飛ばしているからね。国際政治・関係を知りたい人は入門として最適だから、自分で読むことをおすすめします。長いので分割します。