てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

続 ジョセフ・ナイ著 国際紛争

国際紛争 原書第9版 -- 理論と歴史/有斐閣

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国際紛争 -- 理論と歴史 原書第8版/有斐閣

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※このメモは8版です。最新の著書は9版です。

 で、いい加減なメモの続き。もう章ごとでふっ飛ばして行っちゃうけどね(^ ^;)。既存の知識は飛ばしているので穴だらけなので実際に読むのをオススメしてます。国際政治学のことをひと通り理解できますし、ちゃんと読める本ですから。常々言っているように、理論を構築するなら、現実の史実に則した分析が不可欠。丹念な歴史事実検証・研究を踏まえた上でロジックを組み立てないといけない。抽象的な観念の羅列は役に立たないと言ってますが、この本はしっかり歴史を踏まえていますのでね。何が言いたいの?とちんぷんかんぷんになるということはまずないですから。

 ウォルツの三つのモデル、個人・組織・世界から分析するチャートはなんかパッと見わかりにくいのでどうですかね?あんまり一つの図にまとめないほうが良かったのでは?とも思いましたけどね。

 二章、学問特有の用語を正確に理解すること。しかし国際政治においては用語の難解さというものがない。医学・物理学などと違って、一般人でも気軽に話題にすることが出来る。参入障壁が低い。以下、推論の仕方と言葉の曖昧さを避けるために用語の解説(既知の範囲なので殆ど飛ばす)。

 そういえば、政治はだれでも簡単に語ることが出来る。が、軍事はそうは行かない。それに加え参入しようと考える人も少ない。日本の場合は軍事学部が存在せず、学者が少なく洗練された議論&学術上のマナーをわきまえた議論を目にする機会も少ない。ミリ関係の人が暴走しやすい理由はそこにあるかも?とかそんなどうでもいいことをこの話で思いつきました。

 ウォルツの言うように、個人・国家・国際社会の三つの異なる舞台で国際政治の問題を理解しようとすることは有益である。以後、このアプローチの応用が登場する。個人について4つのアプローチがある。

 ①認知心理学、例えばヒトラーが平和主義に付け込んで宥和した結果、大惨事を引き起こした。この教訓を元に指導者達は、いかなる危険な挑戦に対しても宥和すべきでないという事を学んだ。実際これはケネディキューバ危機の際有効に作用したのだが、1956スエズ危機には間違った反応を示した。ナセルはヒトラーだ!として対処を誤った結果、中東外交を誤り、ソ連ハンガリー侵攻を許した。

 ②動機付けの心理学、独在英大使カール・リヒノフスキーはベルギーの中立を侵犯した際、英が参戦するだろうという正しい報告を本国に送ったが、任地に染まりすぎたと召還された。好ましい報告をあげない外交官を排除するため優れた分析が上がらなかった。この事例はこのアプローチで説明できる。

 ③行動経済学、特にプロスペクト理論。利得・損失のprospectで人は決定を下す事が多い。利得よりも損失の時、人はリスクを冒して行動しやすい。しかしヴェトナムでの戦争の継続がある。これは損失回避の一般的傾向から理解できる。負け続けたギャンブラーが損失を取り返そうと止めないのと同じ。

 ④性格分析、ここまで書いといてなんだが、④つに一々分類する必要があるのか?とも思える。心理学のポイントとして反証不可能というものがあり、傍証・一つの可能性として使うならともかく、これを中心に論を組み立てるのはかなり危険と言えるだろう。

 国家レベルの視点で、リベラリズム第一次大戦前に戦争コストが掛かり過ぎるためもう起こらないと説明された。ノーマン・エンジェル『大いなる幻想』が代表的古典。カーネギーなどが国際平和のために財団を創設したが、平和が達成された後のことを心配して、その後のために詳細な条項を遺言に書いた程。それくらい平和を達成することは難しく無いと考えられていた。

 国家レベルの分析で最近良く行われるのは官僚政治アプローチ。ヨーロッパ陸軍、特に独が硬直的な軍事作戦を立案し、それが危機の中で指導者たちの選択を狭めた。騎士道・機動戦術を美化する「攻撃至上主義」が状況をより危機不安定的にした。

 官僚政治の最も有名な洞察は、立つ場所は座る場所によって決まるというマイルズの法則。自己の所属機関の利益で動く。もちろん当てはまらないことは多い。レーガンの州知事財務長官だったキャスパー・ワインバーガーは予算を容赦なく削減したが、同大統領の国防長官となると軍事予算を増額した。

 なんか日本の政治は、官庁の動向・意図、つまり省益さえ報道しておけば、ほとんどのことはわかっちゃうんじゃないか…という気がした。そ、そんなことはないよね(震え声)。

 リアリズム・リベラリズムコンストラクティビズムマルキシズム、それぞれパラダイムとして適宜現象に応用して分析すべし リアリズムにも古典的リアリズム、ネオリアリズム等様々。「防御的リアリスト」は安全保障を強調し、「攻撃的」リアリストはパワーを強調する(括弧の位置が違うのは何故だろ)。

 ジェームズ・メイヨールはこれらを「ハード・リアリスト」と呼ぶ。対照的に「ソフト・リアリスト」は国際秩序の維持が加わる。ヘドリー・ブルなど英の学派の多くはこれに該当する。 古典的リアリストは人文的なアプローチを取ったが、ネオリアは自然科学を模倣し純粋にシステムレベルに力を入れている。

 古典的リベラルは「平和はいたるところで芽生える」と期待していた。今日では、平和な「島々」が生まれていくことを求めている。これをカール・ドィッチュは「多元的安全保障共同体」としている。多元的な主体が成熟して生まれて、結果的に目的を達成するというのはネグリ・ハートの元ネタですかね?

 こういういくつかの核・コアが確実ではないけど、目的を達成するための機能を果たすというロジックは結構いろんな人が応用して展開していますね。その端緒・オリジナルがこの古典的リベラルのものということでしょうか?

 民主主義国家が増えれば平和になる・安定化するというdemocratic peace論がある。具体例として冷戦以後2007年までに、民主主義は76から123に、自由民主主義に53から90に増えたとしている。

 しかし、ここにおけるそれぞれの定義・条件はどのようなものなのだろうか?広義の民主主義なら日本も当てはまると言えるが、厳密に言えば日本は民主主義国家とはいえないだろう。そのような民主主義の性質を論ぜずに、democratic peace論は意味があるのだろうか?と思わなくもない。

 Margaret KeckとKathryu Sikkink人権・環境保護・女性の権利

 Martha Finnemore武力行使を支配する規範の変化

 Matthew Hoffmann環境

 Emanuel AdlerとMichael Barnett多元的安全保障共同体

 Peter Katzenstein日本の反軍国主義の発展とその強靭さ ―という論者をコンストラクテヴィストの有効な事例と上げているがその分析はいかほどのものだろうか?チェックしてみるかな。

 あとは反実仮想、ニール・ファーガソンなどが仮想歴史というものくらいでしょうか。この二章で触れておくべきことは。

 ナイが説くように第一次大戦は決して不可避なものではなかった。反実仮想として1916まで開戦がずれ込んでいたら、露の力の増大が独の墺支持を抑止させたかもしれない。モルトケ将軍、ヤーコブ外相は露との戦争を不可避と考えていた。露は強大であっても輸送が貧弱であり、動員に時間が掛かる。

 よって先に仏を叩き、その後露を叩くというのが独のプランだった。しかし16年までずれ込めば成立しなかった可能性は大。仏が露に鉄道建設を援助し、1890年代には動員に2,3ヶ月かかったのが1910年には18日だった。少なくとも独は仏露同時に相手をすることは出来なかっただろう。

 またテイラーは戦争がもう少しずれ込めば、独の工業力の伸張は英仏を越え、両国とも戦争を起こす気になれなかっただろうと説く。開戦しなければ、独は欧の覇権を握れていたというのはかなり皮肉な話。また英もアイルランドに問題を抱えていて、その頃に紛争が爆発していればまず介入することは不可能と。

 カイザーはボスニア危機1908―09をバルカンで想定していた。墺を全面支持すれば露を同じように手を引かせられると考えた。戦争は避けられると思ったカイザーはクルーズに出かけた。帰った所、彼が墺に渡した白紙小切手にはセルビアへの最後通牒が書かれていた。そこで初めて慌てて戦争回避に動いた。またカイザーは戦争を最小限に留めようとした。モルトケに東方のみに限ることは出来ないかと聞くと、そんなことをすれば軍隊は只の烏合の衆になると。しかし、戦後陸軍鉄道担当のシュターブ将軍いわく東方のみに絞ることは可能だったという。もし実行されていたらどうなっていたか?独露戦争のみに限定されていたかもしれない。

 無論、英は外務省エドワード・グレイのように独に欧州の支配を握らせることを危険視していたので、ベルギーの中立侵犯がなくとも参戦していたと考えることも出来る。 個人的には独はビスマルクのように一国ずつなぜ対象を絞らなかったかが不思議。対露一国に交戦国を絞る努力をすべきだったと思うが…。背後を必ず仏に攻められたということだろうか?

 1905モロッコ危機、1908ボスニア危機と英独の緊張は高まり、英独戦争の可能性は大と思われた。しかし独首相ベートマン・フォルベーグデタントを求めた。英は独が海軍軍縮をするなら欧での中立を保つと示唆した。アジアで露や仏と緊張が高まり、英独関係が深まる余地はあった。

 1912年には自由党のホールデーン卿がベルリンに送られ、多くの問題が解決した。海軍軍拡競争に英が勝利したことも明らかで、再び選択の幅は増えたと思われた。事実、英は1914年公式訪問でドレットノート戦艦4隻を派遣。墺太子暗殺の日には英独海兵が仲良く歩いていた。このことから分かる通り、戦争は考慮外だった。そうなら海兵が敵国となる兵士とのんきに出歩いたりするはずがない。

 第一次、第二次世界大戦って言うけど、結局欧州大戦と東亜大戦なんだよね。特に二次は第二次欧州大戦と第一次東亜大戦というべきで。欧州だと宥和の声があったんだけど、東亜ではまるでなかった。満洲までは譲歩しよう、そこから先は叩く―とかもなかった。そういう性質があまり論じられないですよね~。

 そういやウォルツの二極構造が最も安定するって話があったっけ。二極構造はめったに誕生しないというのも確かにそう。今後二度と起こりそうにないが、二極構造は一度成立すると安定し、構造が変化しにくいということが出来るかもしれない。南宋と北方王朝もある種二極構造だしね。

 さらにそういや覇権安定論は覇権サイクル論、長期循環とかそこら辺から来てるけど、極構造による安定化の流れを受けているわけだわな。ウォルツのネオリア・システム化とどっちが先だっけ?覇権安定論の方があとか?それぞれ相互影響しあって生まれてきたんだっけかな?

  1967年のイスラエルのエジプト侵攻の話は面白いですね。口火を切ったのはイスラエルだが、スエズ・紅海を封鎖し、国境線に軍隊を動員していた。最早開戦間近であり、先んじて手を打ったのがイスラエルということ。そしてエジプトの動員はイスラエルがシリアを攻めそうだからシリアを助けるためと。

 でもって、ナセルはパレスチナと組んでテロを仕掛けていたと。まさに延々と開戦理由は遡ることが出来、どちらに大義があると言えない状態に。で、ナセルからサダトに指導者が変わって汎アラブ主義を放棄するわけだが、このように講話に持ち込んだのは強硬派の軍人だったことは留意すべきだろう。

 現在、中国と揉めているが、新しい二国間関係(もしくは多国間)で安定した秩序を作るとしたら、国際力学を理解した強硬派路線の人間でないと絶対に無理。鳩山政権があっという間に崩壊したように、すわお家の一大事に安全保障で断固たる姿勢を示せない人間では新しい次元の外交を開くことは出来ない。

 強硬派路線と言っても、ただ相手国を罵倒したり、一歩も引き下がらない高圧的な姿勢を取る政治家のことではない。その裏にしっかりとパワーゲームの論理を理解しているもの。駆け引きの結果、落とし所を探れる人間でないと不可能。リアリズム・リベラリズム双方持ってないとダメでしょうね。

 あんまり適切なたとえでないかもしれませんが、日本の政治家ってリアリズム・リベラリズムの考え方、思考を両方備えており、それをきちっと使いこなせる人って少ない印象がありますね。まあ、だからこそ外交下手何でしょうけども。

 それはさておき、エジプトと組んで汎アラブ主義を推進していたシリアは今度はイラクと組んでその路線を追求することになる。そしてそのイラクも米によって潰れ、当然シリアも頼りにならず、今や頼れる国もなく自国の体制強化で締め付けた結果が今の内乱というわけで。時代の変化を象徴しますね、シリア。

 イスラエルにとっては、シリアは喉元に突きつけられた匕首。日本にとっての北朝鮮的な感じでしょうか?イランとの核合意はシリア介入のため?なんてことも当然思うのですが、シリア介入はありうるのでしょうかね?

 サダトもラビンも和平に乗り出そうとする政治家は宗教的狂信者に暗殺されるわけですが、国家の命運を切り開こうとする英雄が暗殺されるというのはやりきれませんなぁ…。もちろん和平の中身について歴史的評価は多々あり、時に叩かれるものですけどね。あそこら辺の政治家の覚悟は非常に重そうですね。。