てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

トクヴィル 現代へのまなざし

トクヴィル 現代へのまなざし (岩波新書)/岩波書店

¥840 Amazon.co.jp

 富永茂樹さんの『トクヴィル』をチラ見・パラ見したメモ。

 諸条件を平等にしようという圧力が社会のあらゆる方向に働く。これこそがデモクラシーであるとみた。 仏革命がナポレオンの独裁になったように、何故革命は独裁になってしまうのかというのが彼の問題意識だった。これには第二帝政に関わった経験も反映されている。

 アメリカのデモクラシーで知られるトクヴィルですが、彼の研究は「デモクラシー」であって、題材に米を選んだわけで、別に米に注意していたわけではないんですよね。アメリカの「デモクラシー」研究であることを忘れて、アメリカを知るための古典と捉えられることがありますね。

 トクヴィルは米を見る上で「奇妙」「不思議」という言葉を使う。それこそが米理解のポイント。米人には「奇妙な憂鬱」がある。物質・快楽・野心の追求が認められ、これこそが憂鬱をもたらす。これまでの伝統主義支配、身分社会ではそのようなことはありえなかった。しかしそれが是認されるようになった。

 これまでの支配原理、身分秩序がアンシャン・レジームとして正当性を失う。自身の能力の追求で富の獲得・身分の上昇が認められると、人々はそれに駆り立てられるようになる。すると後天的な身分秩序が成立し、そこで負けたものは自分自身の無価値を突きつけられることになる。

 実力競争の結果敗者になる。これこそ人を憂鬱にさせるもの。さらに人々は自由移動をするから、そこに生地に繋がる紐帯はない。社会の紐帯がなくなり、アノミーになると。伝統主義支配や身分支配というものは強固な紐帯であり、アノミーを防ぐには最適なんですなぁ。

 人間は平等でなくてはならないという強迫観念がある。出世が遅い部隊は不満を抱きやすい。将校でも兵卒でもなく、下士官こそが不満を抱く。それは最も出世する可能性があり、かつ意欲を持った人間がいるから。このような期待とそれに見合わない心理を「相対的不満」という。

 近代化・資本主義があらゆる伝統主義的社会を破壊し改造していくように、民主主義もまた既存社会を破壊するイデオロギーとなる。平等化への圧力ということは、当然そうでない社会を破壊していくことになる。民主主義とは暴力的性質を持つということですね。

 仏では18世紀に売官制が始まり、新貴族となるものが現れた。中産階級に身分上昇のチャンスが与えられたこと。これこそ仏革命の起源。学校病院などの福祉の恩恵は仏人を被後見人状態にした。力を失ったは貴族が未だに階級として残り続ける。ノブレス・オブリージュを果たせない貴族身分はカースト化。

 支配下の民の面倒を見ない貴族を「心の不在地主制」と表現。英の紳士は身分ではなくそれに相応しい人間の事になっているのに、仏では未だに身分の壁が残り続けていた。身分上昇の欲求と既得権のしがみついて離さない態度が仏革命の源泉と言えるかな。仏革命は貴族の革命の次に農民の革命と言われるしね。

 トクヴィルは「下は農民から上は国王まで一つの長い鎖で繋がれている」とそれまでの社会を表現した。前近代国家はこのように一つのイデオロギーで社会をがっちり縛り付ける。まさに鎖で繋がれてるわけですね。身分という階級・階層を通じて。民主主義社会はその鎖を解き放つわけですね。

 ―とだけ、表現するといいことに見えますが、当然それまで結びついていた人々の絆・連帯をズタズタに引き裂いてしまいますから、そこにアノミー(無連帯)が発生し、社会が崩壊・不安定化してしまう重大な課題が発生してしまう。身分制度に代わる人々を結びつける紐帯が必要になると。

 米の場合、そこにタウンシップというものが見られる。人々がバラバラになったのを一番身近な自治体が埋めていると。かのように近代化、民主化以後は人々の連帯を保証する、国家と個人の間に中間的な共同体が重要になるわけですね。市民の結社が、学問や政治の結社とつながっていったと。

 逆に言うと全体主義社会は個人と国家の間に中間的存在が殆ど無いわけですね。国家が国民を被後見人状態にするという表現で思ったが、子が父の被後見人であるように国家もまた民を子とする。国王=父という家父長国家的イデオロギーはまさにこういう価値観念か。親子関係なら子が何人いても成立するしね。

 トクヴィル君主制と専制を名誉による支配か恐怖による支配かで分けた。家父長制は専制を生み出すと。個人主義による人々の孤立と平等への欲求は、専制をもたらす。平等が実現できない時、隷従による平等を選択しかねないと。「監獄」が身体から精神の支配に変化した時代、米の監獄に専制の色を見た。

 米の社会の自由は最も進んでいるが、対照的に監獄の専制も最も進んでいると。精神の支配は専制の危険性。その監獄がもし、別の形を持って社会に出てきたら…ということですね。人々の自由意志による結社、二次団体が貴族的精神を持つことでデモクラシーは保たれると。