てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

袁世凱と天皇教


 袁世凱の皇帝即位は当時、皇帝や帝政でなければ中国が運営できないということだけでなく、実は日本の天皇の真似をしたのかな?とか思ってたりする。天皇を模倣して立憲君主制、さらには天皇の下の平等で「日本人」を作ったことが日本の近代化の一つのポイントだったように、袁世凱皇帝の下の「中国人」を作ろうとしてたのかな?とか考えたりする。

 日本・天皇というシステムを参考に再び帝制を取り入れた、元に戻そうとしたのであれば、さすが袁世凱!その時点で近代化に必要な本質を見抜いていたとは!そこにシビれるゥ(ryだったんですけどね。袁世凱再評価にも繋がりますし面白そうなんですけどね。

 天皇を神とすることで、神の下の平等を以って「日本人」というアイデンティティを形成する事が、近代化の成功に必要不可欠という説がありまして(※天皇教を参照)。それを参考に袁世凱も、皇帝=神として「中国人」というアイデンティティを作ろうという狙いがあったのかな?と思ったんですよね。

 そういや日清戦争で敗北した時点で、日本の強さの秘訣を研究して、「日本人」という一体化があるからだ。じゃあウチラも「中国人」を作らなきゃ!となって、清朝皇帝を日本の天皇のようにしよう!という動きがあった可能性もあるのか。康有為・梁啓超・譚嗣同の思想にそういうのがあったら面白いんだけどな~。 
北京のモリソン: 激動の近代中国を駆け抜けたジャーナリスト/白水社

北京燃ゆ―義和団事変とモリソン/東洋経済新報社

 こんなのが当時の状況をしる上でいいのではと教えていただきました。まあ、突発的な思いつきなので、調べる気になったら、そこら辺から調べてみたいと思います。

 まあでも、多分そういう要素に注目して政策立案していたとは考えづらいと思いますけどね。そうだったらwktkするなぁという話なので。袁世凱が洪「憲」皇帝(元号ですけどね、正確に言うと)と憲法を意識していそうなところがあるのが、あるのでね。有賀長雄さんという人が政治顧問に関わっているということもあって、彼の思想を見れば、その発想があったかなかったか、よりはっきりするかも?とか思ってます。

 でも、それなら溥儀を皇帝に戻して、彼を天皇のような形にして、立憲君主にする。そうじゃないと日本の天皇と違って、袁世凱が皇帝のまま軍人になってしまい、権威と権力が一体化してしまう。日本モデルが導入できなくなるという見方もできるんですけどね。まあ、何より一旦退位した溥儀を元に戻したら、変な勢力も一緒についてきて、周辺の政治勢力が権力握っちゃうんで出来なかったんでしょうけどね。
 あと勿論、清は異民族王朝であって、国民国家漢民族王朝&国家を作りたいっていう当たり前のポイントがあったことも大きいでしょうね。打倒すべき異民族支配!そのてっぺん・顔である溥儀を皇帝に―は自分が訴えても周囲はまず理解・承認しないでしょうからね。