てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

大研究!中国共産党 沈才彬/著

大研究!中国共産党 (角川SSC新書)/KADOKAWA / 角川マガジンズ

大研究! 中国共産党 角川SSC新書/角川マガジンズ(角川グループパブリッシング)

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 上はKindle版ですね。中国の政治情勢の話がそこそこ面白い本でした。あとはそれほどでもない本でしたが。中国人が書いた本で、専門が経済というか経営らしく?という事が後半は多かったです。なんで経済専門なのに政治のほうが面白いんですかねぇ…。孔健さんなんかそうでしたけど、中国人の書き手で必要以上に中国に楽観的だったり、今後も中国が世界をリードする!みたいな視点で書く人多いですね。関志雄さんなんか優れた学者でちゃんと物事を見れる人で、そういう人もいるんですけどね。

 薄煕来の失脚は左派路線・毛沢東路線=文革回帰を連想させるものであり、警戒されていた。上海・北京・重慶直轄市での政変はつきもの。起きていないのは天津だけと。反腐敗ということで極端な路線を取ることが可能でも、民主化自由主義・民主主義を求めて立ち上がるような有力者、政治劇は期待できない・ありえないというのはポイントになりそうです。

 腐敗は必ずしも民主主義や資本主義を殺すことにはならない、むしろ時にそれを促進しさえするというのは歴史が教えるところ。というか中国のような大都市がバカバカ誕生している資本主義ボーナス・興国ボーナスの時期においては、腐敗は必然と言っていいですからね。大事なのは民主主義をいかに確立し、守っていくべきかというところなのだがそういう議論もないでしょうしね。中国の命運は決まったと言っていいでしょう。

 中国人は自分たちの権利を守るために、反腐敗闘争をしているのでしょうけど、日本人が反腐敗で「改革」を進めていった結果、結果的に民主主義政治を殺してしまったのは記憶に新しい所なのに何も学んでいないでしょうね。腐敗闘争という観点において、個人の権利を確保したいという意識があるのは分かりますが、その危険性の認識欠如やロジック不在を見るとどうなるかはおのずとあきらかでしょう。反日デモが反共デモになる日も遠くなさそうですしね。

 薄煕来のような政治権力を持った人物が死刑ではなく、趙紫陽などのように死ぬまでそれなりの待遇で幽閉されるというのは面白いですよね。胡耀邦趙紫陽のような人物が出てこないといけないのでしょうが、出てきそうもないですし、出てきてもどうしようもないでしょうしね。

武断政治から文治政治への移行の必要性

 関係無いですが、帝国には「拡大の帝国」と「停滞の帝国」がある。帝国の過剰拡張over stretchが起こると、辺境における防衛問題を巡って撤退の問題が起こるわけだが、ここが最前線・有効防衛ラインだと設定すると以後拡張ということは国防戦略から消える。防衛をメインに考える。国力を有効に機能させる、帝国としてのシステムを効率化させるための帝国化つまり「拡大のための帝国化」と、これ以上拡大させることは無意味であるという「撤退・防衛のための帝国化」がある。現状維持を目的とした「閉鎖帝国」は武官よりも経営を第一とする文官が重要になる。

 当然軍事から内政への切り替えが必要になる。科挙というのは帝国の経営のために文官を要請する目的があるのだけども、果たして効率がいいだろうか?あまり効率的なシステムだとは思えない。多分効率的ではないはず。現場の人間に任せて、オンザジョブトレーニングの方が効率的だろう。そうすると帝国の論理よりも、人・地縁・血縁の論理が優先して派閥が生まれてしまうから科挙を導入せざるを得なかったというところが実情ではなかろうか?

 今の中国は丁度共産党という軍事政権が、経営を第一とした文治に切り替わっていく過渡期であると言える。そのような状態で「科挙」のようなシステムが不在で太子党のようなコネ・生まれに基づく「先天的原理」で政治の中枢にある人物が多々いるということは効率性はともかく、社会の透明性・公平性という点で非常に問題がある。明でも清でも武断政治から文治政治には非常に苦労してその転換を図ったという経験があるが、中国共産党ではそれがなされていない。この点どうやってパラダイムシフトをするか重要なテーマになると言えよう。

 今の中国政治のポイントというのは畢竟これで語られる問題だといえる。「民主化」というテーマで現代的視点で片付いてしまうけども、歴史的な流れで見ると文治政治への移行という観点の方がしっくり来る。

 まあ、そんなことを思いついたので、メモとして。