てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

野党が腐敗追求に熱狂する集合意識についてのメモ

 まあ、何度も腐敗は民主主義と必ずしも相反しない。ある程度の規範(倫理)が機能している国では、金権政治(汚職)は民主主義を殺すことはないが、汚職追求は民主主義を殺すことがある。

 で、今回思いついたのは、冷戦時代の国会対策ではプロレスのように、ここでどの人が質問をする。牛歩戦術をするとか、与野党で話し合いをして議会を動かしていた。ある種八百長のような工作をしてそれぞれのメンツを立てていたと。んで、問題はここなのですが。よく言われるように、野党に法案を通すために機密費とか国会対策にお金を配っていたと。与党の族議員は利権とかあって金やコネとして色々政治資産があるのでおいしいですが、野党はそうではない。ですから金で転ばせていたと言いますね。

 で、英のように議会政治の礎を築いた初代首相のウォルポールはどうやって議会政治をうまくコントロールしたかといえば汚職・買収だったわけです。民主主義の揺籃期は革命という暴挙(虐殺など)と汚職(買収)が目立つ。優曇華の花ではないですが、民主主義の歴史はあまり良くないものからスタートしているわけです(まあ、後は海外侵略とか色々付け加えてもいいですが)。

 民主主義の基礎作りのために、そういう不都合な事実というか過去の黒歴史といいますか、あまり褒められたものではない経緯があるわけですね。というかまあ普通に見れば、非難轟々・後ろ指を指されるようなことがつきものなわけですね。

 ですから、「本来議会において論説で決着を着けるべきなのに!与野党の政治家が談合して!議会の形骸化を図るとは!万死に値する!お前ら全員死ね!」と言いたくなるところなのですが、民主主義の論理が浸透していない民意を考えて、当時の時代意識・背景を考えるとまあそんなものになるのもやむを得ない。流石に今でもやられたら困りますが、議会政治の歴史が浅いことを考えてまあその程度のことはやるだろうなと特に言うべきこともないのですがポイントはまた別のところにあります。

 ※あと、貴重な国民の税金をそのようなことに使うとはけしからん!といったセンシティブなものもありますが、まあここでは本題と関係ないので置いときます。

 で、今回思いついたことというのは、与党議員のそういう国会対策の野党への買収と汚職報道・批判というのは実はリンクしているんじゃないかな?ということです。

 あの時代、途上国につきものである政治と企業の癒着・汚職関係が真っ盛りであり、国民がそういうものを嫌悪していたという時代背景以外に、野党議員はそれを叩く理由があったのではないかと。

 汚職の追求をすることで、普段はあまり取り上げられないのに、メディアに取り上げられる・世間に注目され名前を売れる。また自分達の政党にとって有利になるということ以外に、この国会対策としての買収資金が跳ね上がるという背景があったんじゃないでしょうか?

 世間が汚職で騒ぐ。で与野党の代表が集まって国会での日程調整をする時、これだけ騒がれている、大問題になっているわけですから、うちの若いもんの収まりがつかないんですよねぇ―と言うかどうかはおいといて、緊張状態が高まれば交渉のハードルは当然上がるわけですから、それを収めるためにも普段より金額が上がる。そういうロジックがあったんじゃないかな?と思いついたわけです。

 んで、今ではそういう与野党で買収工作するということもなくなったけども、集合意識として汚職に過剰に反応するというパブロフの犬のようになってしまったという構造があるのではないか。ウェーバーは現代の資本主義の起源の分析で、資本主義とは全く関係のない宗教的情熱から始まって、その精神が資本主義の基礎を築いてその宗教的情熱が消えた後も、資本主義の制度・社会は残った、社会に定着していったと説明しました。このように、汚職問題の構造が消えてさほど優先的な課題ではなくなったのにもかかわらず、集合意識として、野党政治家は与党政治の汚職に対して必要以上に注目し、非難するという事になっているのではないか?

 今の野党政治家にとってちょっとした汚職なんて大した問題ではない、そんな下らないことを追求している暇があったら、別の問題の解決を訴えるほうが大事。にもかかわらず汚職の臭がすると大騒ぎをするのはそういう集合意識を引きずっているのではないか。

 ―とまあそんなことを思いついたので、メモとして。

 ※それと汚職問題はメディアが大きく取り上げる。であるから与党側の致命的ミスとして譲歩を引き出す材料になるということも考えられますが、それによって野党がなんか業績を上げたことってあるんですかね?本来そういうことはすべきことではないんですが、それによって大きな成果を上げた、改革をしたとかならまだ納得できるのですが…。

 小沢の政治資金疑惑なんて野党政治家の彼にそんな権力があるわけがない。地方政治で実力者、汚職政治家でも大枠から見れば大した問題ではない。今後野党で実力をつけて中央政界に名乗りを上げる人物が地方政治をバックにしてくるというルートも封じられることになりましたよね。今から考えると、そういうニューリーダーが出てくる芽を摘むという危険性もそこに見ることが出来ますよね。

 そりゃこんなことであれば、橋下さんが大阪で政治基盤を築いても、中央政界に進出したらいつ危うくなるかわからない話ですよね。熊本から中央政治に乗り出した細川さんのような末路になる可能性大ですね。小沢さんが自民党の大物・利権関係者であったからということもあるんでしょうけどね、江田さんとか渡辺さんとかの反応は。有力中央政治家としての小沢しか見ていなかったのでしょうが、岩手のドン・地方政治家の性質を見落としてしまいましたねぇ。小沢さん自身も道州制地方分権が話題になった時、わては岩手人やねん!岩手大好きや!とか東北という政治単位・政治家を育てたり、岩手の代表的存在を育てて、太いパイプを築くとかそういった目立ったことしていませんでしたからね。良くも悪くも国家という単位で物事を考えすぎる人だということでしょうか。

 なんか話が変に広がってしまったな。もう一度まとめると、要するに今の汚職に対する野党のヒステリックな反応は、そうすることに意味があった昔の政治の名残。今では意味が無いのにパブロフの犬化したこと。集合意識としてヒステリックに反応することが根付いてしまっていることですね。そして別にそういう風に反応するのなら、計算として騒いで与党から有効な譲歩を引き出すこと。譲歩を引き出して、与党に出来ない有意義な改革を実行する。自分達の言い分を飲ませることで国民に政治手腕をしっかりアピールすべきことってことですね。