てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

戦勝国という価値観はいつ終わるのか


 ノルマンディー上陸作戦70周年記念式典が行われました。今回はウクライナ情勢もあり、これをきっかけに米ロ首脳会談が持たれる。緊張緩和のための話の舞台として、かつて独を対象にソと米が同盟国(正確には同盟というよりパートナーですか)として戦ったという枠組みをうまく利用したという形になりますが、この
ノルマンディー上陸作戦の記念式典というものについて一言。

 別に一国においてこのような式典を行うのは、戦没者追悼(称揚)の意味合いから構わないと思いますが、多国間の枠組みとなると果たしてどうなるのか?敗戦国に対する挑発になりかねないし、自分たちは戦争に勝った国なんだ!という変な意識を国内に胚胎させかない、育ててしまう可能性がありますので果たしてどうなのか?という気がします。

 例えば、冷戦が終わってソ連が崩壊した日を祝っているでしょうか?ソ連=敗者もしくは悪、西側=勝者・善という図式でしょうか?ベルリンの壁崩壊記念式典は冷戦という悲劇や独の東西分裂という悲劇を克服したことを祝ってもそこに前述のような勝者・敗者などの観念の意味合いは薄いものです。

 この式典は独が大国として復活、国際社会において勝利したことを記念するものと言ってもいいものですが、ドイツにことさら自国を顕彰する意味合いがあることはないと言えます。自分たちこそが欧州の、世界の指導国である!特別な国だ!なんていう意識はそこにはありません。

 翻って、このノルマンディー記念式典には連合国=戦勝国が世界を動かす、経営する、世界のルールを決めるという価値観が色濃く現れたものです。国際政治の現実的な面を見て、勝者がルールを決める。パワーのあるものこそが現実の決定権を有するというものはたしかにあります。しかしその正当性を高めるために、力によるものではなく、多国間の合意によって動かしてシステムの安定性を高めるべきというのが昨今の国際政治学の流れです。

 「力の支配」から「法の支配」へ。散々言ってることですが、今求められているのはいかにして、「法の支配」を強めて、国際社会の安定性を高めるかということ。その時代において未だに連合国の勝利という「力の支配」の価値観を称揚するような式典を行い続けるのはどうなのか?ロシアはともかく、アメリカはいつまでこのようなことを続ける気なのでしょうか?80年式典どころか、100年式典も行ってしまうのでしょうか?

 いつになったらアメリカは自分たちは正義という価値観や、自分たちの正義に基づく力の行使は正しい・法的に正当化されるという歪んだ価値観から卒業できるのでしょうか?まあ、式典を見てそんなことを感じましたね。