てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

フォーリン・アフェアーズ・リポート 2011/11

フォーリン・アフェアーズ・リポート2011年11月10日発売号/フォーリン・アフェアーズ・ジャパン

地球温暖化リスクと原発リスク―フクシマの教訓と新小型原子炉のポテンシャル

/アーネスト・モニズ

新型小型原子炉SMRの話、これが資本コスト・安全対策コストを解消するか?

覆されるリー・クアンユーの遺産

/アミタフ・アチャルヤ

 シンガポールの人々は、貧富の格差の増大、不動産価格の高騰、物価を含む生活コストの増大、過密問題、そして移民流入の増大に伴う失業問題の深刻化などが不満を募らせている。

 シンガポール有権者の多くが「PAPは社会との接点を失っている」と感じている。PAPへの支持の低迷は若い世代の変化にある。PAPが政権を担った当時、シンガポールがいかに困難な経済情勢にあったかを知らないためか、両親たちとは違って、経済を繁栄へと導いたリー・クアンユーやPAPヘの尊敬と信頼を持っていない。

 ソーシャル・メディアの影響などで人々は政治的意見を18年前とは比べものにならないほど自由に表明できるようになった。実際この18年間で、複数の大統領候補が出馬したのは、今回が初めて。これまではPAPの候補が対抗馬もなく、そのまま大統領に選ばれてきた。

 だが、今年の大統領選挙を境に、シンガポールが純然たる複数政党制による民主主義に向かっていくとは考えにくい。シンガポールにおける集会の自由や表

現の自由は十分でない。また、9日という比較的短い選挙キャンペーンでは、知名度の低い大統領候補がメッセージをうまく有権者に伝えるのは難しい。

 政権党であるPAPは持っている力を、大衆の懐柔に使えば延命を図ることもできるだろう。トニー・タンが大統領としての見識と経験をもつ人物であること、特に、豊かな金融の知識と経験を持っていることに異論を唱える者はいない。経済的問題を解決すれば、政治的自由化は先送りできる。つまり逆も真なりで失敗すれば、国民の自由化&民主化圧力が高まるということ。最近の選挙結果は民主的な未来への感心が高まっていることを意味していると。

 1992年、リー・クアンユーはフィリピンの財界指導者を前に、「民主主義が必ずしも経済開発に結びつくとは思わない。国家が(経済開発を進めるために)育んでいくべきは民主主義よりも、むしろ(社会)規律だろう」と発言している。だがシンガポールの議会選挙が終わった7月には、次のようなニュアンスの異なる発言をした。「民主主義で好奇心を満たすことはできるだろう。だが、必要なのは優れた統治、腐敗の根絶、そして、経済開発だ」。

 彼のこのような姿勢・態度というのは民主主義にあまり興味はないですよね。おそらく資本主義と民主主義は道義であるとか知らないでしょうね。国家のスタート、初期ならともかく、結構成熟した国家にそんな開発独裁理論持ちだすというセンスはキツイですね。息子のリー・シェンロンの評価は高いとありますが、息子が民主化への流れを作れるかどうかになるのでしょうかね。ここもまた蒋介石蒋経国のように、蒋経国になれるかどうかということですかね

<特集 アメリカを覆い尽くす不平等と格差という病

―なぜ民主主義は問題を解決できなくなったか>

ブロークン・コントラクト

― 不平等と格差、そしてアメリカンドリームの終焉

/ジョージ・パッカー

 ニクソン政権とフォード政権はむしろ中産階級民主主義をさらに進展させた。

ジョン・ジュデイスは2001年に発表した著作『アメリカ民主主義のパラドックス』で、ニクソン・フォード期に、連邦政府は、消費者、労働者、そして投資家を守るために11の規制当局を立ち上げたと指摘している。1970年175年の5年間で、政府は環境保護庁、労働安全衛生局(OSHA)、消費者製品安全委員会(CPSC)を含む12の政府組織を新たに設立している。ニクソンは隠れリベラルだった。

 「スタグフレーション」と石油ショックによる1970年代の経済のスローダウン。アメリカの家計は追い込まれ、ベトナム戦争ウォーターゲート事件に加え、アメリカ政府への信頼はさらに傷ついた。

 資本主義そのものが、(環境保護運動を推進した)レイチェル・カーソンや(消費者保護運動を展開した)ラルフ・ネーダーのような人物によって攻撃されていると危機感を覚えた財界指導者は、ビジネス円卓会議やヘリテージ財団などのロビー団体やシンクタンクを組織し、これらは短期間で、誰もが知るアメリカ政治の有力なプレイヤーに台頭していった。こうした組織が使う予算と影響力は、ブルッキングス研究所のような社会的コンセンサスを重視する古くからの組織に匹敵するものになっていった。

 1970年代半ばまでには、企業のエグゼクティブたちは、国民経済を公正に擁護していく責任を負っているとは考えなくなった。新保守の評論家アービング・クリストルの「企業のフィランソロピーは公正無私なものであってならないし、そうなるはずもない」という言葉に代表される状況に。

 企業利益を高めるロビイングに力が注がれ、ロビイング数・資金は飛躍的に増大していった。選挙と金が結びつくことになった。またオープンプライマリー=

大統領予備選挙、クリーン選挙法を導入したジョージ・マクガバンの支持派やウォーターゲートを問題視する改革派たち、そして、テレビ広告を重視した政治キャンペーンによりこの流れは一層進んでいった。

 理屈上は、これらの改革は、密室政治や党内の政治基盤、シカゴのリチャード・ダレイに象徴される都市部の政治ボスの影響を排除し、それまでは政治を敬遠していた有権者に政治システムを開放した。その結果、例えば、公民権活動家だったジエシー・ジャクソンを政治的に台頭させた。

 だが、現実には、古い政治に代わって登場したのは、より平等な新しい政治ではなかった。政党が一貫性と権限を失うにつれて、ロビイスト資金援助のもと、特殊利益団体の意向を受けた有権者から議員への手紙攻勢に象徴される、新しいタイプのグラスルーツ政治に支配されてしまった。

 1978年、三つの改革法案が議会に提出された。一つめの法案は消費者を代弁する組織を、官僚組織内部につくることを求めていた。二つめの法案はキャピタルゲインの課税率を少し引き上げ、豪華な食事が並ぶランチミーテイングのコストを経費対象から排除することを求めていた。三つめは、一雇用主が労働法の適用を迂回し、組合の結成を阻むのを難しくすることを目的にした法案だった。ウケが良かったこの法案も、ロビイングによって撤回させられた。

 組織マネーと保守派は1978年以降、アメリカの富裕層への富の移転という流れを作り出した。この流れは、経済状況が良いときも悪いときも、どちらの政党が政権を担い、議会を支配しているかに関係なく続いた。民主党資金力のあるウオールストリートと「コーポレートアメリカ」に頭を垂れた。共和党同様に、民主党も、完全に合法的な賄賂(選挙キャンペーンヘの寄付)を受け取り、必要なタイミングで、選挙資金提供者の意向にそった投票をした。

 格差増大の決定的な要因は、税制、予算配分、労働法、規制、選挙キャンペーンヘの寄付ルールなど、政治と公共政策領域にあつた。この数年で数多くのエコノミストや研究者が「過去30年にわたって、政府が一貫して富裕層を優遇する政策をとつてきたことを示す」著作を相次いで出版している。もっと的確に言えば、「政治家と制度」が格差という現状を説明する決定的な要因なのだ。

 エリートのマナーとモラルが変化したことが、公共政策以上に大きな要因。かつて行動をためらったこと、考えさえもしなかったことを、いまやエリートたちは公然とやってのけるようになった。

 格差は市民間の信頼をむしばみ、ゲームの結果は最初から決まっていると人々に思い込ませてしまう。不平等と格差への不満のはけ回は、移民、外国、国内のエリート、政府など、あらゆるターゲットに向けられ、政治的にはデマゴークの台頭を促し、改革者への信任を失墜させる。不平等は多くの人が共有する問題に対する大胆な解決策を模索する意思を失墜させる。もはや問題を多くの人が共有しているとは考えられなくなるからだ。こうして不平等と格差は民主主義を損なっていく。

 ライターさんの文章でかなり扇情的、抽象的、倫理的なものになっていますね。言いたいことに共感しなくもないですが、根拠がどうかな?という感じ

富める者はますます豊かに― アメリカにおける政治・経済の忌まわしい現実

/ロバート・C・リーバーマン

 多くの失業者を生み出し、労働者の生活環境が不安定になった中で、奇妙なことが起きている。金融メルトダウンのきっかけを作ったグローバル金融の巨人たちを含む、アメリカの富裕層がますます豊かになっているのだ。それも、少しばかり資産を積みました程度ではない。これまでと比べてさえ、非常に大きな富を手にしている。

 2009年の数字をみると、アメリカの富裕層トップ5%の人々の所得はますます大きくなり、平均すると、その他の層の人々の所得は低下している。しかも、これは異例の現象ではない。この40年にわたって、上位富裕層の所得はますます大きくなり、一方で、中産階級以下の人々の所得は停滞し続けている。1960年代、上位1%の富裕層の所得がこの国の総所得に占める比率は8%程度だったが、現在ではそれが20%を上回るまでに上昇している。

 この現実を、政治学者のヤコブ・ハッカーとポール・ピアソンは「勝者がすべてを独占する経済」と描写した。たしかに、どうみても健全な経済の姿ではない。経済格差がかくも大きくなったのは、大恐慌期直前の時期以降初めてだ。金融配当が一握りのエリート層に独占され、しかもエリート層のリスクが、次第に保護されず、無防備なままの状態に置かれつつある中産階級層に押しつけられている。

 格差を拡大させているのは政府と議会。勝者がすべてを支配する経済を加速したのは、ヤコブ・ハッカーとポール・ピアソンの言葉を借りれば、一連の政策が「漂流した」結果だった。法制化された政策が変化する環境についていけないか、あるいは、その目的を果たせないか、逆効果になったときに、この現象が起きる。抑制と均衡の観点から権力を分立させ、しかも、拒否権やフイリバスター(議事妨害)などの複雑で奇妙なルールを持つアメリカの政治システムでは政策は特に漂流しやすい。多数派の意見を素直に尊重する、より合理化された議会制度を持つ諸国に比べれば、その傾向ははっきりしている。アメリカの場合、ひとたび政策が決められると、それを簡単には覆したり、修正したりできない仕組みになっていることも、政策の漂流と関係がある。

 

 労働法は40年代のまま、会計基準・ルールは90年のままという指摘は重要ですね。ヤコブ・ハッカーとポール・ピアソンによると、アメリカ政治は多数派支配による民主的なゲームではなく、「組織化された集団による抗争」の舞台。そして、企業と富裕層が中産階級の力を抑え込み、その結果、持てる者が40年にわたって政策決定を支配してきたのだと。

 公民権運動以後、民主党と共和党も人種問題をめぐって対立するようになり、結局、共和党は富裕層だけでなく、白人の政党になった(オバマの時代になっても、人種間のあからさまな不平等が存在するし、人種偏見は依然として手に負えない問題としてくすぶり続けている。人種的な反発が、中産階級が見捨てられていることに派生する他の不満と結びつけられ、ティーパーティー運動が不気味に台頭していることからも明らかなように、この問題がアメリカ政治を今も汚染し続けている)。

 ―とりあえずメモってみましたが、本に対する書評・コメントみたいな感じで、中途半端感は否めないですね。この文量だとポイントを掘り下げるのが難しいですしね。中産階級を増やせ、社会のバランスを!と言いながらその有効処方策ないまま終わっちゃってますから。

エジプトの政治と外交を変えるムスリム同胞団の正体

― その圧倒的存在感の秘密/エリック・トラガー

 エジプトのイスラム同胞団は秘密結社のようなシステムになっている。これはナセル時代からスパイが入り込むようになったからその対策としてそうなった。ナセル時代びは暗殺・投獄という弾圧を受けた。同胞団と言っても内部で様々な声があるが、対米・対イスラエルと協調的な外交を採らないというのは共通している。