てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

フォーリン・アフェアーズ・リポート 2011/10

そんなに読むものはないですが、意外に長い。

フォーリン・アフェアーズ・リポート2011年10月10日発売号/フォーリン・アフェアーズ・ジャパン

誇張された大国、中国の実像――持続的成長はあり得ない

/サルバトーレ・バボネス

 中国の経済発展は持続可能なモデルのものではない。都市化とか一回こっきりのもの。都市化の余地はまだまだあるが、スラム化しているし、解体されたスラムの人々がどこに行ったかもわからない。

 先進国のような市民&社会が成立しているのであれば中国の規模のまま先進国として莫大なGDPを持つ国になるでしょうが、現行共産主義体制を見ても分かる通り全く異なった制度の上に成立する社会が生まれているのですから、言うまでもないですね。

世界はアフリカ東部の人道的悲劇を救えるか

/デビッド・バックマン、ステファニー・バーゴス、リサ・メドークロフト

ソマリアにいかに食糧を提供するか

アル・シャバブを切り崩して、民衆を救うには

/ケン・メンカウス

 アフリカの角ソマリアなどの食糧危機について。米国内でさえ飢える子供がいる。他の経済・政治問題があって関心をフルに世界の食糧危機などには避けない。02~03のエチオピア危機で1300万人が飢餓に、農業開発プログラムで今はその半分以下になった。飢饉早期警戒システムでルワンダバングラディシュなどの農業投資で飢え・貧困を緩和している。支援表明9000万ドルを出すと行ってちゃんと全額出しているのは日本くらい。EUは表明の5%で日本の10分の1以下、米は10%で日の半分。資金がいくら集まるか不透明なため計画が立てにくい。

 2008年以降サウジと中国はアフリカに土地を買ってそこから農産物を自国に供給しようとしている。中国のエチオピアでのそれは新たな紛争の火種になりかねない。

 ソマリアの危機が深刻化したのは武装勢力アル・シャハブが援助組織を米欧の手先として叩いて、彼らが手を貸せない状況を作ったため。

アラブの春の進展を阻む石油の呪縛

/マイケル・ロス

 石油・オイルマネーがあると民主化が進まない―んー、民主化というのは色々なファクターが絡みますからねぇ。仮にオイルがなくとも関係ないと思いますけどね。オイルマネーが阻むという構造はあっても、なくなったら民主化出来るかと言ったら無理でしょうしねぇ。

リビアの安定を左右する原油生産の再開

/エドワード・モース、エリック・G・リー

 高品質のスイート原油はアフリカが42%で、リビアがアフリカの中で最大のシェアを持っている。リビアの輸出のほとんどが原油だった。

 リビアの選挙を急ぐべきではない。選挙までに5年をかけると内戦リスクが3分の1になる。様々な勢力の集合体である以上、武装解除が行われていない以上、早急な選挙は却って失敗する。選挙結果を正統なものとして受け入れようということにならない。

エジプトの民主化を左右する軍最高評議会

/ジェフ・マルティニ、ジュリー・テイラー

 革命後の軍、エジプト軍最高評議会(SCAF)のスタンス・動向について。

。1952年に自由将校団がクーデターによって権力を掌握して以降、エジプトでは軍人の地位が高かった。利権絡みのビジネスや土地取引に関わる特権が与えられてきた。その軍が、デモ隊を支持して体制を終わらせるとは、誰も考えていなかった。しかし、軍指導層とムバラクの関係悪化が背景にあった。10年ほど前から、ムバラク体制は取り巻きの資本家を育て、軍への比重を減らしていた。ムバラクは将軍たちの経済利益を軽視し、軍指導層の助言を無視して閣僚を任命するようになった。息子への権力世襲準備は将軍たちに危機感を抱かせた。

 エジプト軍が民主化デモを政治における重要な地位を取り戻すチャンスとみなしたのはこのため。腐敗や経済政策の失敗の怒りを、ムバラクに近いビジネスマンや旧政権与党の国民民主党(NDP)に向かうように仕向けている。彼らはSCAFの地位を脅かさない政体を作りたいと考えている。新政党の結成承認も権力分散のため。

 軍とワフド党などの既存の野党勢力とムスリム同胞団などのイスラム主義勢力が今のエジプトの主要プレーヤー。

 軍は、「農民」と「労働者」に下院の議席の半分を割り当てるという従来の選挙法を踏襲することで、影響力を維持しようとしている。これはかつてナセル大統領が導入したルールで、退役将校や治安部隊を引退した軍関係者が農民や労働者として政界に進出する方便として利用されるようになった。過去に外相アラブ連盟事務局長を歴任し、この秋の大統領選に出馬するアムル・ムーサは「現実には『農民』の90%」が元将校だとしている。元将校たちは議員に当選すると、議会の国防。国家安全保障委員会のメンバーになる。この委員会は軍を名目的に監督する政府唯一の機関であり、そのメンバーが元将校で固められれば、軍に対する文民統制は一段と骨抜きにされる。

 中央によって任命された知事たちは地方の開発プロジェクトすべてを監督する立場にあるため、情実主義政治において中心的な役割を果たすことができる。ムバラク時代は、全知事のおよそ4分の3が軍か治安部隊か情報機関の出身者だった。「アラブの春」以降、SCAFは文民の知事を増やすのではないかと期待されていたが、実際にはその逆でむしろ増えた。

 ムスリム同胞団はSCAFに協力的。デモ隊がムハンマドフセイン・タンタウィSCAF議長の辞任を求めると、ムスリム同胞団は「軍が革命を批判せずに見守つてくれたことに感謝すべきだ」とそれに反対。SCAFにとってムスリム同胞団が魅力的なパートナーなのは、イデオロギーが近いからではなく、民衆の間で人気が高い一方で、法的に弱みを持っているから。

 新憲法制定をめぐる国民投票の流れをつくったことからも明らかなように、ムスリム同胞団はデモ隊の要求が軍の「我慢の限界」を超えた場合に、SCAFに都合のよい方向へと世論を動かすことで事態の沈静化を図ることができるし、民衆デモが掲げる要求に反対するデモも組織できる。一方で、将軍たちはイスラム原理主義者に国が乗っ取られることを恐れており、利用価値がなくなればムスリム同胞団を弾圧するかもしれない。その場合、SCAFはムスリム同胞団の新しい政党である「自由と正義党」をターゲっトにするだろう。

 選挙法では、政党は宗教的グループを超えた支持基盤を持っていなければならないと規定されている。自由と正義党はコプト教キリスト教の一派)の一部から形ばかりの支持を取り付けているとはいえ、その基盤はムスリム同胞団と「自由と正義党」は名目的に分離されているに過ぎず、同胞団が本当に宗教活動と政治活動を分離しているのかどうか疑間がある。エジプト政治における地位を確固たるものにするには、同胞団は、「エジプトの基本秩序を脅かす意図はない」と軍を納得させる必要がある。この点を同胞団指導層は理解しており、ことある毎にSCAF への忠誠を示している。

 しかし、SCAFとムスリム同胞団の非公式の同盟関係は、長期的には民衆にとつて危険を伴う。ムスリム同胞団はSCAFを支持する見返りとして、エジプト政治における一定の発言権を与えられているが、両者の関係は対等ではなく、同胞団は格下として扱われている。当然、同胞団がより大きな権限を求めるようになれば、軍と対立する可能性がある。軍指導層が懸念しているのは、ムスリム同胞団がイラン型のイスラム革命を起こすことよりも、トルコのイスラム主義政党の公正発展党のように政治的勢力として力を付け、軍から少しずつ権力を奪っていくことだ。この場合、60万人の献身的な支持者を抱えるムスリム同胞団は、軍の政治支配を大きく脅かす存在になる可能性がある。ムスリム同胞団原理主義=現実主義を理解しないでやたらめったら対イスラエルを煽るようなイメージが有りましたが、これを見るとむしろそういった現実政治を計算できるような能力があるのかもしれないですね。トルコまでとはいかなくとも、トルコのように脱宗教・世俗化政治が出来るかどうか?

 軍はエジプトにおいて自身の権力を確立しようとし、民主化を認めない方向に行く。米も軍を支持したくなくとも、対イスラエル上、軍を無視できないと。なんとかSCAFをコントロールして民主化にうまく誘導する必要があるとしていますが、まあ難しいというところでしょうね

なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか

―巨大地震からの復興を阻む統治の空白

/ポール・コリアー

 ハイチ地震で100億ドルの支援。しかしハイチ政府には政治能力がない。拠出国がお金を出しても腐敗するだけでは?という疑念がある。ルワンダでは虐殺の危機から国際世論が能力のある政府の建設を求めて、国際支援がそれを後押しし、成功したケース。ルワンダには有能な官僚がいた。しかしハイチにはいない。ハイチ政府と暫定ハイチ復興委員会IHRC共同で復興を主導することに。委員会には一時的に決定権があった。リーダーはベルリーブ首相とハイチに長期的に関わってきたことが現地で評価されているクリントン元大統領。当然IHRC権限の強さに省庁は反発。ルワンダ役人は拠出金を引き出すために国際機関のコントロールの必要性を理解し、責任・権限共有を受け入れたが、ハイチ省庁はそうではなかった。NGOなども彼らの下にはいらなくてはならないことに反発と。なかなか面白そうな話ですね。Paul Farmer Haiti: After the Earthquake 

変わりゆく宗教と文化、宗教と政治の関係

―宗教が文化を変えるのか、文化が宗教を変えるのか

/カレン・バーキー

 イタリア欧州大学院のオリビエ・ロウは『聖なる無知――宗教と文化が道を分かつとき』で、「宗教の拡大は新しい文化の広がりと同時に起きるのか、それとも宗教は特定の文化とまったく関係がないからこそ拡大していくのか」という重要な問いをしている。

 『聖なる無知』は世俗化する社会におけるキリスト教福音主義ユダヤ教超正統派、イスラム教サラフィー派などの宗教運動の説明を試みている。筆者はグローバル化の進展とともに文化と宗教の関係は変化するという。

 ロワは長い歴史のなかで宗教と文化がどのような関係にあったかを、「脱文化、文化への同化、文化内開花、文化外開花」という4つのカテゴリーに分類する。「脱文化」は、宗教が異教徒を根絶しようとすること(これは、ヨーロッパのキリスト教が北米で、正統派イスラム教インド亜大陸でしたこと)。

 「文化への同化」の顕著な例としては、17世紀後半の啓蒙時代にユダヤ教徒が主流派の価値観を受け入れたことを指摘できる。

 ラテンアメリカにおける「解放の神学」のように、ある宗教が、自らを特定の文化の中心に位置づけようとするのが「文化内開花」の一形態。

 そして「文化外開花」とは、宗教が自らを主流文化から切り離す、現代的なプロセスのこと。うーん、いまいちピンときませんねぇ。

 キリスト教ペンテコステ派福音主義イスラム教サラフィー派など、現代の主な宗教運動は「文化に縛られていない」とする。これらの宗教は大きな影響力を持っているが、普遍性を高めるにつれて、特定地域とのつながりは弱くなっている。宗教は個人的、私的にとらえられるようになり、自己実現のための精神的な基盤とされている。

 これらの宗教が、「ハラールイスラムの戒律に即した)なファストフードやデート」、「エコなコーシャ」、「サイバー空間で発されるファトワ(宗教例)」と、「ロック音楽によるキリスト教」、「超越的瞑想」など、宗教表現としての「浮遊する文化マーカー」を認めていることが、「宗教が本来育まれてきた文化から遊離している証拠だ」とロワは主張する。

 一方、彼は著書の後半で、グローバル化は宗教と文化の距離を広げ、むしろ、経典主義と原理主義を強め、教条的な純粋性というバリアを立てて世俗派との壁を作っていると主張している。その結果、「信仰は純粋性を増し、経典に立ち返ることで、特定の文化的背景の外にいる信徒にも語りかけることができる」と。

 グローバル化は、この類の純粋な宗教を運ぶベルトコンベアーかもしれない。しかしロワは、これらグローバルな信仰が各国の文化とかかわりを持たないために、一種の『聖なる無知』という現象が作り出されていると指摘する。

うーん、言ってることは面白いと思うんですが、表現が回りくどいですね。あと、教義が純粋化されて、特定の文化背景から離れてしまえばそれは「受肉化」されていない理論にすぎませんから、自分たちの文化との接点がない教理にどこまで引きつけられる集団が出てくるかと言われるとかなり疑問ですね。宗教が優れているから受容されるという性質を否定はしませんけど、一番重要なのはその宗教・教義がもたらす当該社会への変革。社会がそれを受容することで富を増やしたり、社会問題を解決したり、世界的文化圏と接合を容易にしたりと言った側面があって初めて成立するものですからねぇ…

 アメリカのキリスト教右派、イラン、サウジアラビアパキスタンカイバル・パクトウンクワ州のさまざまなイスラム主義運動、そしてイスラエルの超正統派などの宗教運動はみな勢いを失いつつある。

 イスラム原理主義者の宗教運動は、地域に縛られず文化から遊離しているため、「自らの歴史」を忘れつつあると指摘している。

 原理主義は、文化的産地が記載されていない宗教商品のグローバル市場を作り出した。自分の好みの商品を選べる宗教市場が、世界中の人々に提供されている。オプションがたくさんあるため、人々は頻繁に改宗するが、これは決して目新しい現象ではない。集団改宗は過去にもあった。しかしロワによれば、現代のほうが改宗(特にキリスト教からイスラム教とその逆)はしやすくなっている。こうした主張をみる限り、ロワの理論はサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」に対する暗黙のアンチテーゼのようにも思える。

 あら、「聖なる無知」の拡大、原理主義拡大の背景だけじゃなく、文化から乖離したそれがそれが根付くわけ無いだろ!って主張だったんですね。それはいいとして、原理主義から原理主義へと容易に振れる実例ってそんなに多いのでしょうかね?気になりますね

 こっから、筆者の主張パートですね、ロワは基本的に「原理主義は長続きしない」と言っている。「宗教の個人化とグローバル化が進むにしたがって、宗教が文化に与える影響は小さくなっていく」と。しかしその主張を説明する上で、彼はグローバルな宗教運動に焦点を絞るあまり、「宗教が社会生活や政治生活、経済生活を規定していく」という重要な事実を軽視し、宗教が文化的変容を促す力を見過ごしている。

 宗教は文化・政治領域に入り込もうとする、常に干渉作用があると。キリスト原理主義がコミュニティに入り込むの然り、イスラム原理主義が現代文化のツールを利用して勧誘するの然り。例えばエジプト同胞団などがその事例。イスラム原理主義は世俗社会を宗教化しようとするが、その自身の世俗化も決して避けられないと。

 重要なのは、西ヨーロッパであれ、イスラム諸国であれ、宗教が民主的文化など政治文化に適応していくこと。変わりゆく宗教と文化の関係で重要なのは、ロワが主張するようなグローバル化による宗教と文化の分離ではなく、宗教運動と政治の緊密な相互作用だと。確かにそのとおりでしょうね、政治・宗教による相互変容こそがポイントでしょうね、一時的に切り離されても必ずまたそれぞれ関わってくるものですからね