てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

橋爪大三郎著 国家緊急権

国家緊急権 (NHKブックス No.1214)/NHK出版

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 橋爪大三郎氏の『国家緊急権』を読みましたのでメモ。緊急時において憲法や法秩序を無視して行動して良いとする「国家緊急権」というものがある。主権者=国民には憲法制定権力というものがある。政府・国家権力は主権者によってこの憲法で縛られている。だが緊急時ゆえに、政府がこの憲法の縛りを破ることがあると。

 憲法で縛られる政府が、臨時的に憲法を停止するという矛盾は、革命権の問題としても論じられている。ロックなどが唱えたように独裁・暴政は武力で倒すことを認められるとするもの、これを革命権という。革命権を認めると、人民が公共の秩序や義務を無視するからこれを認めるべきではないという説もある。

 ただ、革命権というのは絶対権力の腐敗の防止・対策という論理上のものであるから、義務が履行されずに無政府状態になるというがゆえの反対については、個人的にはまた別の領域の問題であると思う。いずれにせよその権力は緊急時のとき、余程の時でないと行使され得ないとするのは確か。

 国家緊急権を行使する際に軍隊が大きな役割を果たすことがある。というか緊急時に行動できるほぼ唯一の政府機関が軍隊。警察と軍隊の違いは国内と国外の場所の違い。そして犯罪者と同じ軍隊という対象の違い。さらに国際法で認められていることは何でもできる。軍は最初から容認されている権限が大きい。

 警察はポジティブリスト、通常の法令のようにAが出来る・Bが出来るという形で、出来る権限・範囲が制限されている。しかし軍隊はネガティブリスト、出来ないことが規定されている。軍隊は禁止されていないこと以外は何でもできるようになっている。そういう点で軍という機関は通常の政府機関と異なる。

 ちなみに日本の自衛隊は国際的に軍扱いでも、国内法では警察同じくポジティブリストで縛られている。故にいちいち法に抵触しないように行動しなければならない。集団的自衛権の議論の前に、ポジティブリストで縛って柔軟な運用ができないことを変える方が先ではないか…?と個人的には思う。

 戒厳令とは、緊急時に一部の権限を、地域・期間を限って軍に委ねるもの。日本では過去に五例ある(日清・日露・日比谷焼き討ち・関東大震災・2/26)。ある種の国家緊急権の行使と言えるが、戦争・内乱・災害という緊急時でも憲法を長期間停止するという異常事態にまで至らなかった。

 まあ2/26なんか実際政府要人が何人も死んでますし、政府機能が事実上停止してしまったので、またちょっと違うのかもしれませんが。いずれにせよ軍が大きな役割を果たしたことに違いはない。だが今後は経済危機やパンデミックなど軍でどうしようもないことが想定される。それについて論じておくべきと。

 原発事故がもしもっと重大なレベルだったら、関東から国民を避難させなくてはならなかった。このような緊急時にどうやって避難させるのか。その法整備ができていなかった。このような緊急時法制の欠如こそ最も恐るべきこと。補論として日本の占領はGHQ戒厳令下にあった―とありますが他国の占領による戒厳令というのはそもそも違法でしょ?短期間の治安維持とか講和条件が達成されるような干渉とかならともかく・・・。まあここらへんの価値観念は橋爪先生についていけない所ですね。

 独裁制、国王などの専制政治では、緊急時でも彼らが判断するために緊急権など考えなくてもいい。明治憲法では天皇機関説のようなことにもなっていたが、緊急勅令・非常大権が天皇に認められていた(2/26なんかは実際には天皇はこの権力を行使したと言えるのでしょうね)。

 「大権」とは、もともと君主が備えている統治権であり、憲法に先んじて存在していたもの。憲法が機能停止した場合、この大権が復活するという発想で明治憲法は作られていたと考えられる。緊急時において、憲法内的な緊急措置=緊急勅令/戒厳令が備えられ、憲法外の緊急措置=非常大権が行使出来る。

 そしてそれは憲法秩序に復帰するためとなっており、大日本帝国憲法はそれなりによく考えられた条文構成を持っている。このように国家緊急権は憲法内に規定してもいいし、規定しなくても構わない。国家緊急権は本質的には憲法外的なものなので、規定して完全にコントロール出来ないし、すべきでない。

 独裁は個人が国家緊急権を持っている。独裁と聞いて思い浮かべるのはナチス。ワイマール共和国はそも基盤が不安定だった。①独東部中心の小地主ユンカーが貴族として、皇軍のような意識・勢力を持っていたこと。②大統領・首相の二元的な体制でありながら大統領が実質的な権力を発揮しようとしたこと③敗戦後の仏の進駐が独ナショナリズムを駆り立てたこと。④賠償金とハイパーインフレによる経済の崩壊。このような危機にあって、ワイマール共和国は初っ端から、緊急立法を乱発し、権力を集中させることをやってしまった。これによって憲法外の非常時のことをおかしいと思わなくなったと。

 国家社会主義を名乗っていても、ナチスの支持階層は没落中産階級だった。労働者は仕事があって賃金を得ていたが、中産階級は倒産により路頭に迷った。その受け皿になったのがナチス国家社会主義とはいえ、資本主義も私有もナチスは否定しなかった故、彼らの要望とうまくマッチしていた。

 全権委任法で権力を独占したヒトラーには、国家緊急権を発動してもそこに説明責任がない。この構造はソ連や中国も同じ。中央軍事委員会の統帥は憲法内の権限において行われると言い難いし、天安門事件共産党のトップの判断で行われたように、政府(国務院)が緊急権を持っているとは言い難い。

 国家緊急権を持っているのが共産党で、その説明責任をもっていないのなら、当然立憲制とはいえない。共産党は革命政党であり、人民への説明責任を持たない。個人的には中国は革命の終了宣言と、憲政の樹立を何年後かに約束しないといけないでしょうね。民主化というより、憲政シフトは不可避でしょうね

 ワイマールの事例を見ると、ヒトラーに無期限・無条件に権力を委譲したことが問題であるから、国家緊急権の行使には期間を区切ることが大事。緊急避難と似ていて、その国家版と考えるとわかりやすい。国家緊急「権」、緊急避難のような一種の権利として認められるもの。

 つまり、緊急避難のように国家緊急権も一時的な例外。緊急時の非常時が過ぎたら、元の状態に戻ることを前提としなくてはならない。ココが重要。しかし、喩えとしてDVを上げているが、DVはあんまり適当な例じゃないような…?病気・事故などで家庭生活を営めない故の一時的別居とかの方がいい気が?

 領土の規定は国内法で行うものではない。自分達が宣言しても領土にならない。領土とは国家間の条約で決まるもの。他者の承認によって領土となる。中国の国内法の規定は滑稽というか、自分達が宣言すればそうなると思っている。前近代国家、中華思想時代のその思考を引きずっていると言えますね。

 憲法9条と安保は歴史的経緯を見ても分かる通りセット。片方だけ論じても意味を成さない。ここまでは同意だが、だから日米安保がある限り、安保での緊急事態に備えたり、国家緊急権の発動はナンセンスとか、むしろ有害とかそういうロジックはどうも賛同できない。ただの現実認識であるならともかく…。

 戒厳令は軍政の一種で、軍の権限を強化する。それに対して国家緊急権は軍ではなく、行政府に権限を集中する。軍は重要な役目を果たしても政府の指揮下にある。テロリストのダーティボム・プルトニウムBC兵器の使用などを考えるとその危険性は以前の比ではない。戦争より危険。その備えが必要アベノミクスハイパーインフレが起こり、国債暴落につながり、デノミ&預金封鎖などの策が必要になる場合がある。その時に国家緊急権を行使して、国民の財を管理しないと全て吹っ飛んだり、大きく失われてしまう恐れがある。信憑性はともかくそういうリスクにも備えてを考えとかないといけませんね。

 噴火などの時に、そこに留まろうという住民も強制的に避難させる。それは警察・消防などの安全確保のため。そこに留まる十人が死んでもいいからほっといてと言われても、彼ら職員のコストとリスクが高まるから。なるほど、ようするに強制避難とは効率のためなのか。その人が何らかの犯罪を犯す、事件を引き起こすとか余計なリスクになる恐れもありますしね。

 国家緊急権を発動した場合、宣言した本人が解除を宣言するのがいい。そして議会において事後検証を受ける必要がある。首相はそのため辞職&離党が好ましい。場合によっては裁判でのチェックも必要となるから。慣習として不文化でいいとあるが、憲政の常道が怪しい日本では成文化すべきだと個人的に思う。

 国家緊急権を憲法に規定することで、むしろ足を引っ張ってしまうからそうすべきではないとあるのだけど、指摘してあるとおり日本の「法の支配」は「規則の支配」になってしまっているので、事後検証が確実にできるように意思決定の経緯が確実に保存されるように書いておくべきだと個人的には思いますね。

 事後検証が求められるのは軍の指揮官に似ている。仏革命後の仏では、敗戦の将軍は死刑となる慣例があった。そこで海戦で沈む艦と運命を共にする、不名誉な敗戦の将よりも、名誉の戦死を選ぶという事があった。こういうことをされると戦争の真の敗因が分からなくなるので、こういう事を認めてはならない。自ら責任をとって、死ねば愚かな指揮官でも許されるというのはニヒリズム