てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

都市国家の誕生 (世界史リブレット

 

都市国家の誕生 (世界史リブレット)

都市国家の誕生 (世界史リブレット)

 

  短くて簡単に読めるリブレット。たまに面白い当たりがあるのでその紹介でも。本文にちゃんと触れてませんけどね(^ ^;)。

 

 オリエントならずとも、世界の歴史は都市国家から始まり、その都市国家がある程度大きくなって、領域国家になり。それがまあ大きくなったり、質が高まったりで、統一国家となる。ここであまり都市国家→領域国家→統一国家という明確な定義はないのかしら?領域国家と統一国家の違い何よ?と言われた確かに困りそうですもんね。文明圏の違いがあって、多くの領域国家がAとBという統一国家に収斂されていったとか、特定の地域には言えても、また違う地域西アジアとか東アジア、インドとかで異なりそうな話ですからね。殷とか周が領域国家で、周が殷を征服したあと統一国家・王朝の始まりなんてしてもいいんでしょうが。

 

 まあ、王朝にせよ帝国にせよ、ある程度の段階まで行くとそういう大規模な領土を運営するための官僚制を発達させていくわけですな(今ならその領域国家は国民国家なんですけど、当然この時代にそんなものないですしね)。その発展によって王朝とか帝国とか言ったりするのでしょうか。面白い指摘として、アッシリアなどの軍事帝国・王朝はそのシステムとして戦争を体制として組み込んだものだった、そういう帝国は当然それ以前とは違うわけで、じゃあそれ以前はどうだったんだろ?となりますよね。

 

 それ以前でもやはり軍事というのは機構としてあったでしょうけど、それを何よりも重視するという形では当然なかったでしょうね。例えるなら戦国時代の秦でしょうか、そういうものが出てくる段階というものがオリエントでもあったわけですよね。まあアッシリアの誰だっけ?忘れましたが(あやふや)、結構デカイ版図を獲得した大王とかはそういうシステムを確立したがゆえに大王になったわけで。アケメネス朝が初めてオリエントを統一しますけど、まあその下地にはそういう軍事帝国という制度・システムがあったということですよね。

 

 で、話を戻してそれ以前というのは、どうも通商国家であろうと。戦争もそりゃあっただろうけど、そんな年がら年中、戦争してられないですからね。戦争による都市国家の盛衰あれど、まあ領域国家になってもある程度までは都市国家に毛が生えたようなものだったのではないでしょうか?領域国家を形成して、軍事力をグッと伸ばして、その力で帝国を!みたいなステップアップまでは相当時間があったかと思います。やはり長い時間通商というものをメインにして領域国家の時代があったのでしょう。

 

 ※追記①シュメールがアラム語を中心とする世界に変わっていくのは、その文化・民族系統が消えていくのは、やはり通商をメインとする方が諸国家連合に取って都合がいい、メリットが大きかったという現れでしょうね。シュメールが消えていくのは、彼らの世界観というのは中国で言う「詩経」のような世界観に近勝ったといえるのではないでしょうか。原始共産制とまではいきませんが、そこにあまり身分制とかそういうのがなかった、家産官僚制的な個別人身支配、戸籍&税収みたいな国家としてのシステムをきっちり導入したものではなかったからだとそういうことが書いてありました。なるほどなるほど。

 

 通商から軍事国家が主流の時代に転換するのに、どういう要因があったのか気になるところですね。アッシリアとかどこかの国が軍事国家、兵役=個人の富というようなシステムを確立してから、その強さゆえによその国もそのシステムを採用せざるを得なくなったというところでしょうか?はじめにその制度を採用できた国の背景など気になるところですよね。

 

 さて、そういうのはおいといて、シュメールのような都市国家・領域国家が隣のことなる文化を持つアッカドと争って、結果その両方を統合する初めてのバビロニアという国家が生まれたと。そういう点で革命的なわけですね、バビロニアというのは。

 ※追記②これ間違ってますね。バビロニアはバビロンとアッシリア、三日月世界まで領域が拡大したという意味で画期的という話でしたね。ここで言いたかったのはサルゴンアッカドですね。しかしウルとかウルクとかそういった王朝でも他の文化地域も征服したりしなかったり、あるみたいで、これもうわかんねぇな状態です(^ ^;)。アッカド帝国でシュメールすぐ滅んだといえるようなものでもないでしょうしね。ただ、全く間違っているというわけではなく、以後、バビロニアという領域・地理概念に個々の地方は統合されていくという要素もあるのでね。オリエントは難しい…。

 

 シュメールも、四方に住む蛮族をエラムだとかグティだとかアラムだとか呼んで蔑視していた。というかまあ神聖な都市、自分達の住処から離れるものはケガレたものだという価値観念は世界共通するわけですね。都市国家には広場、政治をするための話し合いの場があるなんて言いますが、この時代どうかわかりませんが、神殿もきっとちゃんとあって、その聖なるパワーを守るために大事な場所とか中央にあったんでしょうね(※やっぱり大事なもので中央にきっちりあったと書いてましたね)。

 

 アッカドと異なる文明圏であれど、彼らと宗教・言語が違っていてもそれで差別とか排除という論理はなかった。むしろ、彼らの神話のこの神と自分達のこの神が同じだろうという共通するもので捉えていたと。一神教世界観まであまり偏狭さとか非寛容さはそこまでなかったと。まあ奴隷とか身分制度にもとづくものなどはあったでしょうけどね。

 

 まあ、そういう話が面白いなと思ったんで書いときました。なんか忘れてるかもしれないんで、思い出したらまた書きます。

 

 あと、ツイッターで呟いて思いつきましたが、ピラミッドのような公共事業社会福祉だったり、職業訓練の場だったり、祭りみたいな共同体を創造・維持する意味合いがある。軍事で国家としての紐帯を生めるような時代ではなかった時に、このような巨大モニュメントを作る、「古墳」というのは非常に重要な意味合いがあったのではないか?と思いました。ジッグラトとかですね。まあピラミッドは墓じゃなくて、魂の再生装置ですけども。