てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

長崎市長に噛み付く表現規制派・土屋議員の自滅

 以前取り上げたことのある土屋正忠衆議院議員という珍な人*1についての話です。またやらかしてくれたので続編みたいなものですね。彼が今度は長崎市長の発言に噛み付いて話題になっていましたので、それについて一言。

 田上市長が平和宣言をする舞台で、集団自衛権について発言したのを、それは筋違いと指摘して、だったら国政に出たら?とツッコンだ。それでひんしゅくを買っているわけですね、まあ既に皆さんご存知のことと思います。

 この事について触れたいのは、意外に思われるかもしれませんが、この指摘それ自体はとくにおかしくはないのです。まず平和主義・パシフィズムという大事な教訓が歴史的教訓として存在します。第一次世界大戦後に生まれた平和主義、いかなる戦争にも反対するという思想・主義主張が却って戦争を産んでしまった、ヒトラーを産んでしまったという教訓があるわけです。

 戦争反対という主張が平和をもたらすとは限らない、むしろ却って戦争を招くというのが第二次世界大戦の貴重な教訓です。故に平和主義の危険性について警鐘を鳴らすという点では正しいわけです。無論、そういうきちんとした論が氏にあるわけないのですが。

 問題は、「核廃絶だけで余計なこと言うな」というのと、「国政出たら発言」。確かに集団的自衛権は国政に関わる議員が決められることですから、もし現実を変えたかったら、そこ(国政)に出て、国会議員になって法案を通すしかないわけです。

 筋道論としてはそのとおりで正しいとしても、わざわざそんなことを言う必要があるのでしょうか?逆に長崎市長核廃絶だけで安保云々に踏み込むべきではない、彼の主義主張が正しくないと思うなら、ご自身が長崎市長に立候補して彼を落選させればいいわけです。どちらが正しいか民意を問えばいいわけですね。

 そして、言うまでもなく政治というのは誰がどんな思想を語ろうと自由ですから、公人として発言した以上、公人としての責任が問われるわけで、長崎市長選であれ、次の衆院選であれどうなるか楽しみですね。一々長崎市長に噛み付いてめんどくさいトラブルを引き起こすような人を、党や国民を支持するかかなり微妙。というかありえないと思います。

 前回取り上げたようにこのように危険な思想を持つ人には是非民意で厳しい判断を下していただきたいので、無用なトラブルを招いて軽率な態度も相まって有権者ひんしゅくを買っていただきたいところです。


 で、この件で思い出したのですが、そういえば石原さんが東京都で尖閣の土地を買って、日中に無用な対立を引き起こして外交問題を招いたことは記憶にあたらしい所。外交は言うまでもなく、国政・国会が決めるもの。石原さんのやったことは紛れもない越権行為。関東軍とやってることは本質的に大して変わらない。どんなに正しかろうが都知事がやっていい範囲を超えている。これがまさに土屋さんが言うように、国会議員になって国会でやってはいかが?と突っ込まれるもの以外の何物でもないわけです。

 石原さんが仮に正しくても、本来の権限・役割を超えている範囲に手をツッコんでいる以上、正当化はどうあってもされません。国会でそういう法案を通したのであれば、それに個人的に反対でも、それはそれとして認めざるを得ませんけどね。

 本来の権限、越権行為に敏感な土屋議員のことでしょうから、さぞや石原さんにも出すぎた真似をするな!と一喝して叱りつけているんでしょうなぁ。

 てっきり日本会議の地方議員連盟とかそういう系列の人かと思っていましたが、そこには加わっていないみたいですね。まあ、そんなによく調べたわけじゃないですからあやふやですが。まあ、そんなに長崎市長におかしいぞ、といいたいならもっととんでもない余計なことをした石原さんについてまずツッコむべきでしょうね。※もちろん、一々この人の主張を調べていないので万一していたらすいません、己の負けです(何を勝負してるんだ(^ ^;) )。まあそんな道理がわかる人ならそんなむちゃくちゃなことを言わないはずですからね。予断を持ったガバガバ主張も許してください。

※いちいち分けて転載するのも面倒くさいので、痛い議員繋がり・自ら地雷を踏み抜く繋がりでこちらに追記。ある市議会議員が少子化対策にコンドームに穴を開ければいいんじゃない?というような地雷を踏み抜いていく持論を展開したらしいです。まあ最近よくある地方議会議員特有のアレでそれ自体は大した話ではないのですが、今度はその発言を受けて愛知県新城市議会がそれを受けて議員はSNSなどネットで発信を禁じるようにするとのこと…。オゥ…もう…。

 日本全国地方議会の議員は全部ひっくるめれば、そりゃ結構な数になって痛い人も必ず混ざっている。だからまあ、そういう痛い発言する人がいても風物詩程度にしか思わないのですが、議会がそれを上回る「議員は公的な言論スペースの一つであるネット上で発言するな」とはね…。恐れ入りました。

 市議会議員が脱法ハーブやりまくって、ほとんど捕まって、議会がほとんど空になっちゃったという事件ありましたが、そういうのは民主主義社会では別にどうってことはない、痛いことは痛いが考えうる事態・話。しかし、議会が議員について機密事項でもないことについて自由に発言するなよ!持論を語るなよ!なんて、学校とか企業みたいな対応をするのは、びっくり仰天卒倒しますね…。物凄い事件ですねぇ、これ。

 世間、メディアがどういう対応しているかしらないけれども、民主主義・議会政治では、弁論・討論こそが命。ですから、それに関係する議員の公的な発言を取り締まる、自粛させるような決議は大事件。議会政治への反逆ですね、それについて報道界が適切な批判・対応が出来るか見ものですね。

*1:わざわざ持ってくるほどの話ではなかったので、補足説明です。表現規制派でとんでもない発言を国会でして地雷を踏み抜いてくれたひとです。エロ漫画は性犯罪のシミュレーション。 創作物というのは人に希望を与えたり励ましたりするもの。気持ち悪くて劣悪なものはそうではない。表現が萎縮するというが、萎縮してもらわないと困る。心あるマンガ家ならわかってくれるという迷言を残した人です。
 人によって何か良いと感じて、何が不快と感じるか異なるに決まってるというアタリマエのこともわからない痛い人ですね。何が健全・何が不健全と国家が指定できるわけ無いでしょうに…。儒教じゃないんですから道徳で政治を動かしてどうするんですかねぇ…?
 この迷言を揶揄すると、政治活動というのは、人に希望を与えたり励ましたりするものであり、気持ち悪くて劣悪なものは政治家(政治活動)とはいえない。(法律によって)政治活動が萎縮するというが、萎縮してもらわないと困る。心ある政治家ならわかってくれる。ということですね。ぜひ取り締まって欲しいですね。本を焼くものはいずれ人を焼くというように、表現を取り締まろうとするものはいずれ人を取り締まろうとするものですから。