てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

朝日新聞②―問題の本質はその傲慢さ

池上コラム不掲載問題、異議を唱えた記者以外は何を呟いていたか(dragoner) - Y!ニュース bylines.news.yahoo.co.jp/dragoner/20140
 ―というのを見ましたが、前回、朝日内部の異議を唱えられる健全性について言及しましたが、これを見ると、この問題に限ってですが、他にも真っ先に自社の不備・不祥事について言及すべき人物がいる。しかし、おすまし決め込んだという不健全性もあるわけですね。ある種、最も率先してやらなきゃいけない人物が沈黙したというその卑怯さは、記憶にとどめておくべきでしょうか。警察が身内の犯罪という不祥事を隠して、犯罪扱いにならないようにするのと同じですからね。

 朝日新聞の対応が問われるべきことでもありますが、それ以上に普段他所のメディアの不祥事を指摘してきたジャーナリストも、その主張を明らかにしてほしいところですよね。そのメディア不祥事・問題を担当する人たちが、自社についてフェアに対応する!と明言して欲しいし、そうすべき事件ですからね。今回の事件は、朝日新聞内の健全性と不健全性が同時に明らかになったという意味で大きいのですね。他社は子供のように「こいつは間違えた!やらかした!」なんて騒ぐのではなく、社会・報道のあり方をきっちり論じて欲しいところでしたね。

 そういや毎日新聞の「変態記事」騒動の時ってどうなりましたっけ?今の朝日みたいに会見開いて、トップは責任取ったんですかね?第三者機関による検証とかもやりましたっけ?あれもなかなか痛い事件で、トップが責任をとらないで良いわけがない事件でしたからね。


 しかし、吉田証言を疑うと上層部の責任を問うことになるから、できなかったというロジックは、戦前の軍隊と同じロジックじゃないですかね?そんなことで今後どうやって朝日は、戦前の日本や軍隊を批判するんでしょうかねぇ?

 戦前・戦時中の奴らは「ケガレ」ているーといって切り捨てて、私達はそういう「ケガレ」た世代とは無関係ですよ!という戦後民主主義のロジックのように、朝日も失敗報道をした世代を切り捨てるのかしらね?卑怯な報道をする旧世代の朝日と今の朝日は別物です!安心してください!とやるしかないかもですねぇ。

 で、朝日をバッシングすると、バッシングする側の暗い過去もあぶり出されるということが起こっていました。産経が読売が過去にどんな間違いをしたか、TLで盛んに流れていましたね。共倒れ的展開になっています。

 正当な批判が起こるのではなく、バッシングという現象が起こるのを見てどうなってるんだこの業界…と頭を抱えざるを得ない今日このごろ。そしてその指摘がなされるのではなく、バッシングするものの過去のあら探しをしてバッシング返しという荒業で返すこと…。魔封波返しじゃねぇんだぞ、オイ…。


 今回の朝日新聞の一連の事件、誤報&撤回事件構というのは「日本軍は悪い」、「東電はろくでもない企業で現場で卑怯な対応&稚拙な対応をしたに違いない」という記者の願望、まず「想定する悪・問題」があって、それを「叩く」「裁く」という思いあがりがあることですよね。

 ~に違いないと自分が「こうあってほしいストーリー」をまず先に作って、それに都合のいい事実を集めて記事を書いてしまうという体質こそが最も問題なんでしょうね。人は見たいものしか見ないというやつですね。今気づきましたが、これ検察の失敗、事件に都合のいいストーリーを勝手に作り上げるというものと全く同じですよね。その背景にあるのは、悪い奴がいてそれを叩いたら世の中が良くなるというような、社会の複雑な相互連関を無視した単純な善悪二元論モデルで物事を考えていることですよね。

 善意が善なる結果をもたらすわけではない&悪意が悪なる結果をもたらすわけではない―マキャベリ以降の基本的な政治学の力学すらわからないからこういう馬鹿なことを平気でやらかしてしまうのでしょうか…。

 問題はそういうレベルの人間が記者となっている&記事を書いてしまっているということなんですよね…。まあ当然、トップが掲載する前に、この記事はAという観点からおかしくないか?とチェックを入れるので、末端の記者一個人の責任であるわけがないのですが。

 朝日の中にも、「そんな馬鹿なことあるわけ無いだろう、なんでこんな馬鹿な記事書くんだ!」と怒ったというエピソードが、元朝日の人の批判本でありましたよね。リテラシーがちょっとでもあればわかることを、それに違和感も覚えずに事実として認定してしまうという指摘が本に書いてあった覚えがあります。そのツケなんですかねぇ…。

 もちろん、己も色々書く中で、こうなってほしい!&こうあってほしい!という願望をよく書きますが、それは個人的な願望でしかなく、現状を分析して予測をする際にそんな願望が意味を成さないので、そういう要素は排除して分析します。分析と願望は明確にわけます。もしくは仮にうまくいくパターンというのと、逆にうまくいかないパターンという形であくまでケースの一つ・可能性の一つとして論じます。そうしないと論じる意味が無いわけです。

 まあ、何度も言ってるやつですが、基本的な「事実」と「当為」の区別をつけないと社会科学は成り立たない。基本的なことを大学で学んでこなかったんじゃないでしょうかね。もしくは社内でそういう健全でない流れを止められない、暴走する空気を止められない組織だったという構造的問題でしょうかね。

 要するに社会で高い階層・特別な職責を持つものが職業を身分と勘違いして驕っている、うぬぼれているということですかね。検察不祥事を見ても、不祥事をする組織というのは、そういう傲慢さが間違いなくあるでしょうからね。ヤクザ屋さんではありませんが、そういう傲慢さを捨てて誠意を見せてほしいものですね。


 朝日新聞の代わりになぜか関係のない地方新聞が、新聞を信用できなくなったからと、どんどん解約されていくというツイートを目にしました。なんですかね?この風評被害は(^ ^;)。まあ慰安婦報道では北海道新聞の記事が大きく影響したなんてのもありましたけど。非大手として、地方新聞がタッグを組んで信頼回復に取り組むことをやったほうがいいのではないでしょうかね?実際大手よりも地方の方が強いといいますしね。

 実際は、もう新聞を取るようなお金がない。でも付き合いで解約を言い出せないとか、お金がないからやめると言いづらかったので良いきっかけになったとかあるかもしれませんけどね。


 朝日新聞は頭がいいやつが揃っているので、そのうち論調を右に変えたり、紙の媒体を諦めて儲かる業態に経営シフトするなりしてくるだろうというのを見ました。頭が良くても、組織の論理&これまでの顧客層・支持層のしがらみでがんじがらめになって方針転換出来ない可能性のほうが強いんじゃないですかね。むしろこれからは右の記事を書いたら売れる!部数回復!って現象が起こらないと無理じゃないでしょうかね。産経に勝てると思えませんけどね。まあこれまでのような左一辺倒じゃなくてなんらかの右要素を増やしてくるといった策はありうるんでしょうけどね。

 本来右・左という分類の仕方は嫌いなんですが、便宜的に右・左ということで説明しました。あやふやで嫌ですね、この分類法。

 そういえば戦前の朝日といえば戦争礼賛新聞ということは有名なんですが、大正デモクラシー頃までは普通にデモクラシー礼賛新聞だったんですね。それが右翼のテロにあって、編集者が変わって&そういう記事書くと売れるからという理由でいわゆる戦前朝日という感じになったんですね。そういう歴史・経緯を考えるとまあ、また論調変えなくもないんでしょうかね。ただもう今の時代は論調をどうしようが基本的に売れないと思いますけども。


 まとめとして、今一度。本当の問題は、新聞社が「間違えました」と釈明する会見をしなければ、責任逃れが可能になることかもしれませんね。あと、誤ちを認めたら、川に落ちた犬を棒で叩くような風潮ですか。となると、この帰結として「じゃあ、謝罪なんかしないですっとぼけよう」になりますよね…。もうちょっと社会の将来というものを考えた対応を朝日以外のメディアはして欲しいですね。朝日の猛省は言うまでもなく、朝日がなくなれば~みたいな変な擁護も意味無いですね。基本的なルール・リテラシーがない新聞に社会を正常化できるわけないですから。