てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

『冷戦の起源』③

冷戦の起源I (中公クラシックス)/中央公論新社

冷戦の起源II (中公クラシックス)/中央公論新社

冷戦の起源②の続きです。
 p53、二章 冷戦論争のアメリカ的性格
一、歴史認識政治学
 スターリンはベルリンを単独占領することが出来たが、しなかった。これはヒトラーダンケルクの奇蹟と言われる失敗に似ている。もしソ連がベルリンを単独占領していたら、ベルリン封鎖ベルリンの壁もなく歴史が大きく変わっていたというIfが成り立つ。しかしこれは一章で触れた書簡のIfに近い。

 ヒトラーは東方にその戦略的目的があり、英には愛憎両面amvibalentな複雑な感情があった。英との早期講話を望んでいた故に、決定的に叩いて講話が成立しなくなることを恐れた。ヒトラーは英をカトリック教会のように偉大な貢献をしたとして讃え、必要とあらば海洋国家英を、大陸国家独が支援したいとしていた。シンガポール陥落の際、二〇箇師団派遣して支援したいといったのは有名。スターリンの決定は軍事問題で慎重な姿勢や、政治の優先。既にベルリンの三国区分が決まっており、無駄な犠牲を避けた。対西協調を優先させたこと、独との単独講和の警戒もあり余計な疑念を産みたくなかったことなどがある。ただそこに、ヒトラー同様、独へのアンビバレントな感情を見出すことは可能だろう。

 ド・ゴールプラハ占領を、ヤルタ会談による米ソ分割の遺産だとしたように、「ヤルタ神話」のように一回限りの現代史では生々しい怨念を伴って新しい神話が生まれうる。また「中国喪失の神話」がそうであるように、「冷戦の起源」を語る上においてもまず、「歴史認識政治学」を慎重に検討しなければ、新たな神話を生み出すことになりかねない。

 p58、ヴェトナム戦争の敗戦により新左翼・修正学派が世論に受け入れられていく。情報を故意に隠匿し、世論を強引に捻じ曲げたベスト・アンド・ブライテストの誤り。エリートの力の驕りによる意思決定の間違いを指摘する説は人々に受け入れられる。が、何より世論・議会こそが戦争を支持したという当然の事実から目を背けている。

 正統学派・修正学派への多々言及あり、省略。これは近年公開された資料からこのような傾向になる。しかしスターリンについては資料がまだなく(※この本が書かれた時には)同じことが可能ではない。指導者個人から分析するには片手落ちになる。ローズベルトの病弱が原因で東欧・中国をセールアウトしたのではなく、ヤルタ体制がそもそもヒトラーを倒す上でソの協力を求めた同盟である以上、戦後ソ連に配慮がなされるのは構造的必然。そして冷戦を引き起こしたポーランド問題も、西側を対立に駆り立てる判断を下したのはスターリンの方だった。

 正統学派はソ連の膨張が構造的必然であること、米の道義主義・法律万能感外交を批判することで共通がある。また、大まかに分けて三つの研究の傾向がある。①スターリン個人にその要因を求める、人性論的な見方に、②ソ連の構造に要因があるとするもの、そして③修正主義の批判を考慮して第三の立場から冷戦の責任をどちらか一方に押し付けるのは誤りとするもの。

 正統学派をもとに、冷戦の「悪役」を求めて新左翼の影響を受けて生まれた修正学派には次の三つの特徴がある。①2000万の死者を出して傷ついているソに対してパワーが有った米の選択の誤り、トルーマンにその責任があるとすること、②ソ連の東欧への膨張を現実主義的立場から正当化しながら、アメリカの行動についてはアメリカの道義的・理想主義的観点から批判すること、③国内改革の重要性を唱え、それなしにアメリカのグローバリズムは変わらないとすること。この学派は膨大な資料を駆使するもその扱いに杜撰さ、都合のいいものを取り上げ、悪いものに目を向けないというのが目立つ。ホッパーの言う反証可能性という仮説証明の基本ルールを無視している。

 我々がこの学派の論争に注目せざるをえないのは、冷戦コンセンサスが崩壊したあと、いかなる思想が外交の中心になるのかという極めて重要なものをはらんでいるから。どのような思想が外交の中心になるかは同盟国日本の運命も決める。その上で「歴史認識政治学」という立場から詳しく検討しておく必要がある。ポストミュンヘン世代からグローバル外交が生まれたように、ポストヴェトナム世代から新孤立主義的外交が生まれないとも限らないからである。
 ※この永井の予言は真逆の方向であるが、いわゆるネオコンというものの登場によって見事に当てはまっている。『文明の衝突』もケナンのX論文のように都合のいいように受容されたのは必然と見るべきか。

 ウィスコンシン学派の代表的な人物ウィルソンなどがアメリカの方にパワーが有り、その選択性が大きかったことから批判をする立場があるが、それならば日本に対する外交、日米交渉にも同じことが言える。日本よりも圧倒的にパワー・選択権があった。潜在的工業力という点から言ってもヒトラーよりローズベルトに責任が大きかったことになる。どちらがよりパワーが有ったから責任があるというこの論理はそもそも意味を成さない。

 冷戦開始の争点となったのはポーランド問題であり、その選択権は圧倒的にスターリンにあった。また修正主義学派は冷戦開始に米のパワーの大きさをあげながらも、ソ連が軍事力を持ちながらその行使に踏み切らないのはパワーがあるが故。そしてそれはスターリンの平和思考の現れだとする論理的倒錯を起こす。彼らはマルクスやビアードを尊敬し、政治・歴史の擬似=経済決定論者であり、米は海外市場を求めて不断に膨張していかざるをえないと考えている。原因は歴史的必然論や経済決定論を用いながら、責任は指導者の意思決定の完全な自由を想定するという二重基準を犯している。

 p72、歴史の答え、結果を知っているからこそ「後知恵」としてあとから結果の原因を探す態度は基本的な誤り。あたかも推理小説のように結果から意図を推定しようとしてしまう。キッシンジャーが述べたように、政策決定の当事者は時間の圧力と不十分な情報の元追い立てられるようにして意思決定を下さないといけない。このプレッシャーがいかに大きいかはフォレスタル国防長官の自殺にも明らかである。

 対日原爆投下がソ連との冷戦を見据えたものだというのはその最たるものであり、諸事項を検討すればそれがいかにありえないロジックであるかは明らか(後述)。後年マッカーサー元帥がソ連の参戦に反対していたという証言をしているが、当時彼はソ連の参戦により満洲の攻撃がなされないうちは日本本土に進行すべきでないと明確に証言している。いかに人の記憶が曖昧かを物語るものであろう。また社会通念や価値観の奴隷化を示す例であろう(あるいは自分の立場を優位にするため、わかっていて嘘をついていたか、両方の可能性を検討していて当時は、ギリギリそちらの判断に転んだということか)。修正主義が結果から当時の米ソの対立をPRしても当時は米英とのほうがずれがあったし、カティンの森虐殺やソ連の蛮行は米の国内世論の反発を招かないように極秘に処理されていた。

 ウェーバー以来の社会理論の第一テーゼであるが、何をしようとしていたかと何を実際にしたかは明確に区別されねばならない。国内改革の失敗故に、外の敵・ソ連に矛先を逸らして、反共を唱えてマッカーシズムを引き起こしたのではない。先に述べたように、「密教」から「
顕教」へのプロセスと理解すべきであり、そうでなければトルーマン朝鮮戦争においていかに世論に囚われ、行動の自由を失い、「顕教」としての反共イデオロギーに逆に支配されていくか、ということ。微妙な「政治関係の倒錯」というプロセスが理解できなくなる。無論意図よりも、結果責任という政治の問題は残るが。そしてこのような理解だと彼は世論操作の巨匠となり、道義主義よりもむしろ現実主義的な戦術家になってしまう。

 p80、原因は多様であり、その諸要因の連鎖におけるどれをもっとも重要なものとするかは、大抵歴史家の頭脳にある原因のハイアラキー優先順位に依存することになる。客観的背景を重視するか、指導者などの人間本人を重視するか、歴史家によって異なってくる。故にEHカーが言うような、まず「歴史家を調べろ」ということになる。ウォルツの提唱したような三つの類型、人間=人性論に注目するも、社会体制・国内に求めるもの、そして国際体系に求める3つに類型される。新左翼の修正主義は主に前二つから論を構成するために、どちらが冷戦を引き起こしたのかという論になる。※国際体系の視点から、双極構造から多極構造への変化が原因となると考えるだろうとあるけれど、これ多極から双極の誤りじゃないかな?
 また人間に原因を求めることは、往々にして<悪役>探しになりやすい。原因の発見はしばしば原因の発明になる。戦争や革命という「歴史による強姦」(ホフマン)という政治災厄に巻き込まれた人々はその責任をはっきりさせないと気がすまない。検事が犯人を発見糾弾するような道義・イデオロギー的正義になりやすい。そして一般人において歴史は、自分の位置を過去と未来に投射したいというアイデンティティと結びついている。それ故にウィスコンシン学派のようなものが生まれることになる。

p84、二 ウィスコンシン学派の風土的基礎
 米には相反するナショナル・アイデンティティが存在する。米は独特で他の追随を許さないとする、「米例外主義」「米の独自性」への信仰がそこにはある。そしてもうひとつは他国の範型としてのアメリカ。それを結びつけるのは米の普遍主義、米の歴史は成功の物語であり、それが普遍のものとして通じると考える。米は多元的社会であるがゆえに、米的な生活様式という強力な溶剤で溶かして初めてアメリカ人たりうる。また広大な大地による空間と歴史の浅さによる時間の狭小さという特徴があり、そのため人間経験においては短い歴史に共通性を求めやすい。移民のアメリカ化が国民教育に行われることと相まって、歴史の教育をその短い時間から導き出すという傾向がある。欧州人のギリシャ・ローマから歴史の叡智を導き出そうとする感覚とかけ離れていることは言うまでもない。また彼らからすると朝鮮戦争ヴェトナム戦争という地方の特異な体験から、何故かくも深刻な「アメリカの世界における役割」という大問題になるのか理解できない。英の歴史家ワットはヴェトナム敗戦における修正主義の反応にヨーロッパのインパクトに対するイスラム教徒のような祖先返りを連想している。
 ウィリアムズへの批判・割愛。<内なる悪の外在化><形なき帝国(インフォーマル・エンパイア)>というアメリカ帝国主義ですね。そこには科学的検証手続きが乏しいと。

 p95、新大陸と旧大陸を一方的に線引して、そこから生じる自己孤立化と世界干渉の動きはウイルソニアン・シンドロームと言われる。外交や国際政治に国内法的な個人の道義的刑法観念が無制限に進入するきっかけとなったのは一種の<国際内戦>ミニチュアというべき南北戦争であり、その無条件降伏要求である。この道義的戦争観が、ウィルソン=レーニン的理想主義から戦勝国が敗戦国を一方的に裁くという慣習を育て上げることになった。第一次大戦が終わり、パリ平和会議で米の提案で独・墺の戦争責任が問われたが、それは一方的にその非を糾弾するものになっている。やがて各国の外交文書の公開によってこれが誤りであることがわかった。そして修正主義、独より仏・露の責任を重く見るものが台頭する。この修正主義の背景としてそこに米内陸部(特に中西部)におけるエスニックな背景から推測しうるような反英・親独的な感情、ポピュリズムの風土がある。ウィスコンシンという土地が新左翼を産んだだけでなく、そこにマッカーシーを輩出したことを見過ごせない。彼は元ナチの無実の戦犯の弁護によって出世の糸口を掴んだ。そこにあるポーランドアイルランド・ドイツ系の反英・親独的な感情、東部エスタブリッシュメントへのポピュリズム的反感を利用して名声をえた。※新左翼孤立主義的右翼の内面的親和関係について資本主義やフロンティアなど似通った考え方。これを通じて、転向が容易になるのだろうか?

 東部の工業よりも中部や南西部の農業企業家の方が通商・市場拡大を求める傾向にあった。そちらに孤立主義、そしてそのコインの裏側の太平洋での単独行動がある。そういう意味でローズベルトの政策はウィルソンとセオドア・ローズベルトのそれを収斂させたものであった。その内面の二つの魂を止揚し戦争に導いたものは一体何だったのかは次の章に移る。

続き→冷戦の起源④