てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

高坂正堯『古典外交の成熟と崩壊』から一言・二言

古典外交の成熟と崩壊I (中公クラシックス)/中央公論新社

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古典外交の成熟と崩壊II (中公クラシックス)/中央公論新社

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 ―を読んでテキトーにつぶやいたことがあったのでそのまとめを。そんなに読んでいて、ふむふむ、なるほど!面白い!という感じではありませんでした。まあ読みやすいので読めないことはないかと思います。ナポレオンとかそれがどうなったの?とか気になる所が多々あったのですけど、そういうのはあまり掘り下げられていない感じでしょうかね。

 高坂先生いわく、欧の古典外交で重要な役割を果たし、協調の要だったのは貴族という話がありましたなぁ。さしづめ、今の東ア外交の不毛なやりとりというのはその「貴族」不在。共通の価値観・高い教養を持った上位階層の不在ということにも一因が求められるのでしょうかね。まあ欧州で貴族が外交を担った時代と、今の時代だと前提がそもそも違うので無意味な指摘なんですが。

 高坂氏は「会議は踊る。されど進まず」という状態を、むしろ欧州貴族の価値観の共有というものから評価しています。遊戯による価値観の共有こそは、欧州協調外交の基礎をなしたと。民主主義が基調となる時代の方がむしろ欧州協調外交は上手く行ってたんですね。

 銃剣という画期的な兵器がもっと戦争の被害を大きくしてもおかしくなかった。それに歯止めをかけたのは「人権」という価値ではなく、彼ら貴族の美意識に基づくものだったという主張は興味深いですよね。民主主義社会>身分制社会と我々は前提にしていますが、それ以前は逆なんですよね。

 ナポレオン・ジャゴバニズムの恐怖、この災厄を再び引き起こさないことをテーマにウィーン体制が築かれるわけですが、当然それは一国に責任を求めるようなものではなかったため、大国間の協調が比較的上手く行きました。国際体制が上手く機能したのは「反民主主義」という共通した願いにあったわけですね、実は。

 まあ、今の我々が基調とする民主主義よりもどちらかというと「共産主義」をイメージすると理解するとわかりやすいかと思います。当時の民主主義は暴力革命とほぼセットでしたからね。ポイントは民主主義は100%素晴らしい物と捉えるのではなく、負の歴史も伴って登場してきたということですね。

 民族主義ナショナリズム第一次世界大戦の被害をもたらしたことからもわかるように、外交の主体が貴族から国民へと変わっていくと、それ以前のような勢力均衡に基づいた欧州協調のロジックが機能しなくなっていくのですね。民主主義の前身と外交協調精神の後退はリンクしているわけです。

 無論これで民主主義なんてダメなんや!貴族に任せたらええんや!なんていうことではありません。外交・諸国協調を考える上でウィーン体制というのは大きく参考になると思うわけです。身分制、貴族を復活させよ!と主張するのではなく、この「貴族」機能を現代外交にどうやって導入するか、参考にするかと考えてみたいということですね。

 現代米外交の失敗が「世論」の声を反映させてしまうことにあることなどを考えると外交を担当する官僚組織以外にプロが必要であることは間違いないわけで…。ローマのように有力子弟の留学で米式価値観を浸透させるなどの手法では限界は明らかですから。

 どこかのエリートや官僚みたいな発想になりますが、外交に素人の意見が反映されるほど怖いことはありませんからねぇ。かといって民の意見を無視する制度を作るわけにも行かないし、まあ困ったところですね。どうしたらいいのか…誰か考えてください(丸投げ)。