てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

戦後アメリカ外交史 有斐閣アルマ

戦後アメリカ外交史 (有斐閣アルマ)/有斐閣

¥2,268 Amazon.co.jp

 戦後アメリカ外交史、佐々木卓也編のメモ。なんつーか編著はアカンね。一人の人が書いてないと問題意識とか浅くなっていかんですわ。原爆=対ソ牽制とか、日本の仏印進駐を簒奪とか表現していて、大丈夫か?と思うところも多々。フセイン=怪物とかもね。米やる人多いからね~。察しですね。

 戦後外交史なのに、全然戦後じゃなくて建国記の話に惹かれてあとはあんま拾う所なかったんですけどね。まあそんなメモを。

 内務+外務で国務省か。内務部分が他に移って今でも名前がそのままと。元々外交重視でない証左ですよね、これ。そういう歴史的経緯から構造的問題とか引きずっていたりするのかしら?

 モンロー宣言は、神聖同盟の新大陸の新独立国に対する不干渉を要求するものだが、そもそもは英に共同で出そうと呼びかけられたもの。閣僚やジェファソンとマディソンも賛成したが、国務長官アダムズとモンローはこれを拒否して単独声明にこだわって行われた。当然そこに道徳的価値観が反映されている。

 初期の米はパワーポリティクスと無縁ではなかった。独立戦争の時、恒久的な同盟を仏と結んだが、仏革命でこれを破棄。ナポレオンの時には必要であれば英と同盟を組む準備をしていた。アダムズが単独にこだわったのも、英はいずれにせよ大陸への干渉を防止する必要があると見抜いていたから。

 神聖同盟の干渉を防いだのはモンロー宣言ではなく、英海軍。英の軍事力の保障の下、軽い軍事支出で孤立主義を成し遂げたというのが実情(Woodward)。米の国力を知っていたから、ギリシア独立の支援を求める国内の声を聞かなかった。19世紀半ばから米の警戒すべき国は、その英になる。

 米に干渉できる唯一の国は英だけだったためである。西漸運動でのテキサス・オレゴン南北戦争での干渉。ペリーを日本に派遣したのはアヘン戦争の影響、つまり永への警戒という性質もまたそこにあった。そのため露をパートナーとして考えるようになる。Aジャクソンはその非民主主義的性質でも露と友好を求めた。クリミア戦争での調停の試みもここに理由がある。英VS露米という構造が当時はあったわけですね

 この米露友好の流れの中にアラスカ売却があった。ハンガリーポーランドで反露感情があっても、パワーポリティクスを優先させ、干渉をすることはなかった。これが変化したのは、南北戦争か故か?「無料の安全保障」で繁栄と平和を謳歌した米はその成功を優れた道徳に求めるようになる。じゃあなんで優れた道徳を持つ国民が、南北戦争をして、アレほどの被害を招くの?という話になるんだが、それはどうなっているんだろうか…?

 英海軍による無料の安全保障、平和の謳歌を自分たちの徳性と勘違いするというのは、日本の平和主義と近いものを感じますね。リアルポリティークからなる結果を無視して、高い理念・正しい理想が結果をもたらしているという倒錯したものの見方に共通性を感じますね。

 この道徳こそ米の成功の秘訣のような価値観・理念重視は国内に跳ね返って、対露外交を変化させる。ユダヤ人へのポグロム、シベリア流刑制度(Byケナンの親戚)などの事情が明らかになり、ポーランドユダヤなど反露系移民が増えるとその声を考慮せざるを得なくなっていった。

 英の脅威もこの頃収まったことで、露との関係を重視する必要もなくなり、対露関係は友好ではなくなった。英は伊・独に注視して西半球から海軍を引き上げ北海に配備する。人種重視で一体感を得たのも大きかった。この頃英貴族と米富豪の娘の通婚が流行り、両国エリート層の一体感が形成された。

 国内政治が専門で、外交が専門ではなかったウィルソン。なるほどだからケインズなどが素人と感じたわけか。門外漢ではなかったとここには書いてありますけどね…。その彼が外交力学より、民主的性質の政府かどうかで承認を決めるという転換となったのは色々示唆するものがあるでしょうね。

 まあ、こんなもんかな。トルーマン分裂選挙で敗北必須だった。新聞の見出しが「デューイ、トルーマンを破る!」だったとかあるけど、まあいいか。

 そういや米はバクダード条約機構に正式に参加しなかったな。アラブの盟主を争うエジプトの反発を恐れて。もし、米がイラクではなくエジプトを選んでいたら、エジプトはスエズ運河国有化もソ連接近もなかったとかIfを考えるなぁ。まあ英仏の勢力圏でそれはありえないし、無意味なIfかな。

 カーター外交は、リアルポリティクスを無視した無能というイメージが有るんだけど、彼の「人権」外交は反体制派を勢いづけたり、東側に確実に影響があって、その後の国際政治の主流になる人権という価値観の行使でもあるんだよねぇ。保守派の反発を受けてしっかり現実的な対策もとってるし。

 米が自分の国家理念を過大評価しがちな中、正義の国アメリカ!みたいなね。そういう価値観が強い米において、人権という価値観を持ち込んで、ただ敵をぶっ殺す!みたいな野蛮な方針と一線を画したことは、もっと掘り下げる価値が有るかもしれないなぁ、カーター政権・外交って―とぼくはおもいましたまる。

 しかし、共和党にはレーガンにせよ、子ブッシュにせよ、優れた人物を選ぶよりも「神輿は軽くてパーがいい」みたいな人気があって操りやすいトップにして影響力を及ぼそうみたいな感じがあるのかな?レーガンへの影響力を発揮しようという側近政治という話があったところを見ると?

 クリントンが北アイル、オセロ合意、コソボのような調停を行ってきた外交に比べ、ブッシュはそういう調停に積極的ではなく、世界秩序の構築などに熱心ではなかった。どうぞご自由にとイスラエルに首輪をかけなかった。そういうところが、9.11につながったと言えなくもないのかしら?まあビン・ラディンクリントン政権期でもテロやってるんだけどね。

 まあ所詮拙感想ですので実際読んだらいい!と思われるかも。概論みたいなタイトルでなければ、有斐閣は良書が多いんですけどね。こういう教科書的なのは時系列チックなのでちょっと退屈ですね。個人的に米研究者は参入者が多い分どうも当たり外れが激しいような気がしますね~。

 うーん、後で、そういやこれ書くの忘れてたなというものが一つあった気がするんですけど、何だったかな?もう思い出せんわ。