てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

ケネス・パイル著 『欧化と国粋』

欧化と国粋――明治新世代と日本のかたち (講談社学術文庫)/講談社


 以前、歴史認識関連で、的確な評を下していたケネス・パイル教授*1の『欧化と国粋』をさーっと流し読み。テーマは開国期の揺れる日本人のアイデンティティの描写。近代化・欧化と伝統の保持で引き裂かれる日本人ってところですね。

 変わらなくては生き残れない。しかし欧化、精神を根底的に変えることは日本人でなくなることを意味する。深刻なジレンマがそこに存在したという話。積極的な変化を推奨したのが民友社、徳富蘇峰。日本の自主性を重視したのが政教社、三宅雪嶺陸羯南志賀重昂など。

 大体1880年代頃は、積極的な欧化が支持を集めた時代であり、90年代になると日本の独自性というものへの主張が力を持っていく時代。条約改正問題・西欧人の日本人への蔑視・三国干渉などなどによって単純な欧文化肯定が通じなくなっていくわけですね。現実が欧=モデル/理想像という図式を許さなくなっていく。

 根底には西欧の人種差別だったり、社会ダーウィニズムだったり、負の側面があるんでしょうが、さすがにそこに踏み込んで米欧的価値観の傲慢さまでは突っ込んでいませんかね。以前読んだ記事だとそこまで踏み込む、公正性がある人かな?とも思いましたが、まあそこまでの言及は本書ではない感じです。

 1870年代に欧化主義で青年を魅了した福沢諭吉も青年の精神的指導者ではないように見えると。まあ青年・世論というのは急激な主張をする人にどんどん魅了されていくものですからね。中心的存在は徳富蘇峰に移ったと。彼のキリスト教(同志社)というものの旧来の伝統の否定に基づくもの。そんな彼の態度に親が怒って聖書を燃やしたというのは象徴的な話ですね。

 彼のモデルは、東洋☓西洋○―みたいな極めて単純なモデルのように見えますね。スペンサーの軍事型社会と産業型社会というモデルにしてもそうですし(東洋=軍事=貴族で西洋=産業=民主)。いかに西欧に近づくかが近代化の指標だった。彼の影響を受けた人は多く、丸山真男の父もその一人。

 上京して新しい教育、職業を担う人が彼の影響を受けた。この伝統の否定と新文化の肯定という潮流は、要するに旧上層の排除と、自分達の階級上昇を肯定するからでしょうね。この逆の同型反復が今の愛国主義なんでしょうね。愛国を唱えて、非愛国的な上層を攻撃・パージしたいというのが今の潮流でしょう。

 欧化の流れにあって、日本人のアイデンティティが消えてなくなってしまうという危機感から政教社・志賀重昂のような「国粋保存運動」が当然起こってくる。国粋というのは今のような日本=世界一ィィ!ではなくて、元々は危機感から生まれた国民性の保存という意味だった。

 郵便・通信の普及によって、74~92年の間に封書・葉書は十倍に、新聞・雑誌は三百万部以下から五千万部以上にというのは示唆するものがありますね。このようなインフラ整備が人の思想運動を活発化させたわけですね。ネットが普及して新しい思想・言説が台頭するのと似たようなもんですね。まあ今その思想を担う中心的な存在がいるかどうかは?ですけど。

 小泉八雲は、日本人は世界一の国内旅行をする民族だとその流動性に驚いてますね。柳田国男は明治以降他所の県同士の結婚が進んだことに驚いてます。鉄道の旅客輸送も急増したとありますし、これまでなかった移動の自由が手に入って新しいものを見たい!という好奇心に火がついたという事なのでしょうか。

 どこだったか忘れましたが、陽明学には孝より忠を重んじる発想が出来ていたとありました。これ日本の陽明学なのか、それとも中国の陽明学でもそうなのか、気になるところですね。井沢さんがいつも「儒教は孝>忠だ」という主張しているので、中国でもその思想があれば井沢説の否定になりますからね。

 大隈暗殺未遂で条約改正は頓挫したわけだけど、欧州の判事を導入することを認めていたり、内地への通商を許可するような形で条約が改正されていたら歴史はかなり変わっていた気がしますね。もしそうだったら日露戦争勝利後の条約改正とかどうなっていたんでしょうかね?

 まあ流し読みで気になったところだけのメモなんで、こんな所でおしまい。明治時代のアイデンティティの分裂に苦しむ日本思想というところに興味がある方はご一読をどうぞ。欧文化を肯定していた徳富蘇峰でさえ、日本人蔑視や三国干渉などの現実で、主張を変えていくところなんかも面白いかもです。

 そうそう、忘れてた。明治になるまで教育は家庭で行って、寺子屋はその補完という意味合いがあったと。今話題になってる教育改革も、学校は補完で家庭でしっかりやったらええやん!―ってできるような環境にあればいいんですけどね~。今じゃまず無理でしょうね。