てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

橋下VS記者団と氏の人気凋落を考える

【衆院選2014】「なーんで?」「総括しなさいよ」橋下氏が記者団にキレた5分間 ―にあるように橋下さんが記者団とケンカ?激しくやりあいました。

 さて、話を見ていくと①大阪市長選では、出直し選挙で大義なき選挙だ―という批判がありました。②そして対立候補を立てないという戦術・選択で野党は望みました。③結果、大義なき出直し選とそれをメディアが批判。この場合は朝日新聞ですか。④であるからこそ、出直し選と同じように今回の解散は似たような性質がある。なんで今この時期に解散?という批判は同じようにある。そして同じような低投票率。勝利してもその批判は続いた。

 ⑤自身が批判された市長選と、今回の衆院選は同じ構造・論理がそこに存在している。であるならば無意味な衆院選と総括をすべきだと。

 論理としては橋下さんが言っていることについては理があります。ただ、議員選挙と政治機構のトップの選任選挙というのは少し異なる。本来なら議会を解散させればいいだけですからね。ただ県レベルの議会で解散のリコールは名古屋で河村さんがやったように、住民投票の署名を集めるしかない。もしくは市議会で不信任をつきつけられて、対策で解散させる。あとは議会の5分の4の賛同だったかな?いずれにせよ手間がかかり、ハードルが多いという感じで、本来のステップではなく市長選の再出馬という方式をとった。確かにスッキリとはしない選択肢です。

 そこに橋下さん個人の事情が絡んでいると言われるのは避けられないでしょう。将来的な国政出馬とか、まあ色々ある上で戦略として再出馬・出直し選であったという批判はやむを得ないわけです。棄権で投票率も下がりましたしね。

 ただ、⑤で橋下さんが主張したように③、④勝利しても低投票率という批判があったわけですから、社説で低投票率についてきっちり批判しろという橋下さんの主張には一理あるわけです。


 ―なんですけども、だからといって記事中にあるような「自己批判せよ!」で終わったらダメなわけです。確かにマスコミ何様なんだよ!とは思いますが、マスコミが大義なき解散と批判するのはそこに理がありますから、それはそれで容認しないといけない。それを以って取材拒否は大人げないですし、今後維新・野党にとって投票率を上げる=選挙で風を吹かすということは至上命題なわけですから、そのために協力してもらわないといけない。政治技術として、怒るということは大事なことですが、そのあと怒ったあとで引き出された結果を回収しなくてはいけない。場を収めないといけないわけです。これで大丈夫なのか?

 なんだったか?朝日新聞でしたっけ?なんかネチネチ質問されて、時間食ったという騒動があったあとで、ニコニコで質問されてすぐ終わった時に、「ニコニコさんは短くていいですねー」みたいなユーモアが必要(これもちょっと当てこすりがありますが)。

 あまり特定の勢力を敵、味方で色分けするのは良くない。もし今橋下人気が以前と比べて落ちてきたとするなら、その「やり過ぎ」の部分が人気低下の要因でしょう。朝日がなんだかんだ言ってきてもあまり相手にせずに、さらっとかわしてそれで十分でしょう。批判に対する反論ではピンポイントだけでいい、愚かな批判にいつまでも付き合っていると同じレベルに下がってしまう。付き合わないことですね。付き合ったらそれで既に相手の土俵に乗ってしまうことになるのですから。

 今回の感じを見ると「朝日め~、産経め~」という感じで頭にきてる感じなんですよね。いちいちそんな怒っていたら持たないですよ。「こういうのは間違ってると思いますよ、こうすべきだと思いますよ」と釘をさしておく、んで実際法案作って取り締まるという形にした方がいいですね。

 投票率が低い選挙というのは民主主義上大問題なのですから、どういう取り組みをすべきか、「どうしたら良いと思いますか?」と聞いて、まあ相手の提案聞いて、「なるほどあなたの言うことはわかりました。また欧ではこういう方法があります。私はこういう方法を日本でも採用するべきだと思います」と相手の意見を聞いてから提案をして、「社説で投票率を上げるためにこういう方法をすべきだ!とぜひ書いてください。私の時もそうでしたよね?そうしてくださったら、投票率を上げる協力をしてくださるのなら、質問に答えますよ」

 ―とまあこんな感じで行くべきですよね。あの時お前は批判したくせに今回しないとは何事だ!と相手の非を問うよりも投票率が上がらないことの問題を取り上げてもらうことの重要性をメインにおくべきでしょう。マスコミふざけるな!では意識が低いですし、なにより公共性がない。マスコミがそれで「はい、わかりました。貴重なご意見ありがとうございました。今後そうします」なんて変わるわけ無いですからね。そんな怒りを向けても彼らは絶対変わらない。戦術的に無意味なんですね、この場合の「怒ること」は。

 当然、取り上げてもらったら「朝日新聞が支持率を上げるためにこんな特集を組んでくれた。コレはとっても重要なこと、この記事を書いたAさんありがとうございました」みたいなことをアフターケアにしっかりやること。橋下さんってなんか怒ってるというか、批判しているイメージ強いですけど、褒めたり・感謝しているイメージが乏しいですからね。もっとこの本を書いたAさんが凄い!とかどんどん褒めたほうがいいと思いますね。度量の広さを褒めることで示さないとマズイ気がします。

 まあ、そんなにチェックしてないので完全な印象論なんですけどね。気になったのでいつか橋下さんの批判と他者への賞賛の割合がどれくらいあるのか調べてみたいと思います。昔、有吉・マツコさんの話で書いたように、「俺みたいなクソ野郎が生意気だとは思うんだけど」みたいに、下手にまずは出て、調子にのっていないことを示さないと、「これはこういうことだろう」と物事を判断する・斬る立場の人は、「コイツ何様やねん?」と反感を買ってしまいますからね。そのリスクをどれくらい理解しているのか…。ちょっと気になるところです。

 ※そういえば橋下さんがなぜみんなの党との合併路線ではなく、今の次世代の党とくっついたのか不思議でしたが(みんなの党との破断後とはいえ)、慰安婦騒動の時に見せたそういう思想傾向があるという以外にも、地方組織・地方議員に根強いコネというか影響力があるからでしょうね、きっと。日本議会みたいな地方組織のネットワークがあって、それを取り込みたいってことだったんでしょうね。山田さんとか元横浜市長の中田さんとか取り込んで地方組織の一つの基盤にしたかったんでしょうね。今回の選挙結果で見事に敗れたようにその路線は失敗だったわけですが。

 そもそも「風」による「維新」の看板こそが何よりも重要なのに完全に筋違いだった気がしますね…。維新の改革によって益を受ける人々を束ねる。「維新」の既得権を設定して、その人々に我々が与党となったらあなた方の得になりますよとたらしこんで支持基盤を作るべきだったと思いますが…。そういう足元の組織づくりが出来ない、ブレーンなり、コネなりが不在だった。それが今の凋落の要因なのでしょうか?