てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

児ポ表現規制の動機は偏見そのものにある

 ろくでなし子さんが保釈されました。それについてはおめでとうございますと申し上げておきます。そんなことも有りましてついでにその関連の話。

 ろくでなし子さんの逮捕の件で、もうひとかたお仲間さんが捕まっていたということを知りませんでした。そしてその北原さんという方は児ポ表現に反対。つまり規制表現賛成派だとか。彼女が逮捕されたということを知りませんでしたので、ついでにググってどんな感じの人なのかと調べていたら、こんなのを見つけました。

 中川譲氏が北原みのり氏に苦言を呈す。「あなたこそ、自身が言うところの『チンコ主義(家父長制)』 で権力握りたい女だよ」 - Togetterまとめ togetter.com/li/693680

 ろくでなし子さんの逮捕は「わいせつ」の基準をめぐるポイントになると思うので、基本的に彼女を応援するスタンスでいます。まあ芸術性云々さておいて、簡単に「わいせつ」と認定されて何でもかんでも規制されるような社会になるのが怖いというのが有りますからね。んで、その有力な味方として北原さんのような人がいると、北原がいるなら応援したくないとなってマイナスになるんじゃないかなぁ?と思いました。

 表現規制反対派は同じ発想から、基本的にろくでなし子さんについて応援する立場の人が多いと思います。心情的にも戦略的にもね。そういう味方を作りやすい人たちを敵に回してどうするの?というのがまず思うところ。せっかく自分に援護をしてくれる勢力、興味関心がある人達を敵に回しやすい北原さんと行動を共にするのは疑問ですね。まあ彼女も戦略上、児ポ云々を撤回するような姿勢があるといいんですけども…。

 ※本来末尾に書くはずでしたが、話がいつの間にかそれて末尾に書けなかったのでここに挿入。彼女は安倍さんの批判文に、安倍さんが食事でいちごをフォークかな?半分に切って食べたから子供だ!なんていう切り口から政権批判をしていました。正直論理として意味不明極まりない文章でした。こういう文章を書くところからも?という気がします。まあ、平和云々いう人は、もう批判できさえすればなんでもいいから、その反対する人を叩くためにロジックこねくり回すというアレを思いましたね…。

 そういえば裁判で「まんこ」発言を連発したら、裁判官が怒ったという話がありましたが「まんこ」は裁判・法廷ではアウトなんですかね?どういうラインというか取り決めがあるんでしょうか?気になるところですね。

 で香山リカさんが、北原みのりだから死刑でいいでしょ―というツイートに反応して、酷い!許されない。これを本人やその家族が見たらどうするのだ!と怒っていました。

 香山さんの意見については同意なんですが、北原さんが児ポについて表現規制反対をしたのもまったく同じ論理がそこにあると思うんですよね。「不快だからこそ排除されるべき」という論理を主張して、それがまさに自分の身に跳ね返ってきているので、ある意味自業自得という要素は大きいんですよね。

 というのも、普通にポルノを作っているプロというのは自分たちがそういう誹謗中傷を受けるものだという覚悟を持っていてやっていますから、それについて「児ポを描いてる変態!」という意見は許されないことだとしても、まあある程度想定内。ところが「ごちうさ」というなんのポルノ性もない普通の作品まで、まるで児ポであるといった容疑をかけられたからさあ大変。これはもちろん経緯を見ると彼女が「ごちうさ」という作品を児童ポルノだ!と叩いたわけではないんですけどね。

 TLみると、アニオタ?かなにヲタかわかりませんけど、特定の嗜好、ガンダムとか特撮とかを持った人が結構多くて、そういう人たちは本当に「宮崎勤事件」でのオタク叩きを非常に根に持っているんですね。あれ以来オタク=キモイというイメージが徹底的に植え付けられて、人権剥奪されたという価値観を抱いている人たちが相当多いように見えました。だからこそ表現規制というものに相当敏感であると感じています。

 またそれに加えて表現規制というものが自分たちの好きなものを歪めてしまったり、クリエーターがそれによって被害を受けて収入が減って生活できなくなってしまったら…!などというファン心理も当然そこにはあるでしょう。

 時に彼らの反発が歪んだ形でなされるのは、コミケというイベントで「ここにン万人の宮崎勤がいます!」と言われたようなものがあると言えましょう。世間から歪んだイメージで「弾圧」されたそのトラウマがあるわけですね。その「異端」と「迫害」の図式を抑えないと、かなり間違った方向にこの話・問題は行くという気がしています。

 「児童ポルノ」が気持ち悪いというのは確かでしょう、だからといってそれまでの文脈や経緯を理解していない人が雑に介入すると大問題になる。まあ常に燃料が転がっている地雷原なわけですね、そこに素人がうかつに入ったら凄惨な事件になるに決まっているわけで(現に見事に爆発炎上してしまってるわけです。)。

 彼女はポルノ産業に従事しているとかで、そこら辺については多少なりとも知識があってしかるべきなのに、どうもそういう理解が乏しい。ポルノグッズに「少女性」というものが急激に浸透しているからこそ、警鐘を鳴らしたんでしょうけどね。だからといって、雑である点は否めないという気がしています。

 この問題は「少女誘拐事件」があって、事件の犯人が「少女を育ててみたい」といったような、意味不明な動機があるのでこういうリアクションが起こってきたんでしょうね。実際彼女はインタビュー?記事で、「育てる母親のプレッシャーになっている」という意見を述べています。何万回もとっくに言われていると思いますけど、表現・作品を見てそれに影響されて犯罪を実行するとしたら創作物は成立しませんよ(^ ^;)。

 もうね、馬鹿かとしか言い様がないわけで。経済犯罪でも人殺しでも何でも、それを見てそれが正しいことだとか、そんなこと思うほうがおかしい訳で。それを実行した場合、どうなるか?それを教えるのが社会の役割・機能として存在するわけで、作品に存在する悪魔的な誘惑・魅力に負けて犯罪の世界に踏み入れたらどうなるか?―それくらいの最低限の良識、普通誰でも持ってますよ。

 ン万人に一人、それを理解できなかったバカが出るのはもうしょうがないことで。作品規制してそんなバカが出てこなくなるかといえば当然違いますよね。それが理解できないバカなんですから。そういう空気よめないというか、我慢・歯止めが効かないバカを一人くらい生きてきた中で誰しも見てきているでしょう?ブレーキの壊れたダンプカーのような、空気読めずに暴走するアホがいるでしょう?

 一人のアホのために作品を葬るなら、どうぞ金融犯罪が起こったらそれをテーマにしたノンフィクションを葬ってご覧なさい。高杉良の作品を葬ってご覧なさい。殺人事件が起これば、コナンでも金田一でも禁止してご覧なさい。有名なのは呉智英ユダヤ人差別のシェイクスピアのベニスの商人を何故発禁にしないのだ!という名言が有りましたね、本当その通りです。

 これを論じて、どのような犯罪が起こっても作品を処分しようとは誰も思わないはず。では何故?この性犯罪に関してこのようなことが起こるのか?それは一言で言うと偏見そのものでしょう。「本来、子供を対象とした性的嗜好を持つものはいない」―この偏見が全てでしょうね。

 ※ロリコン規制というか、ロリコン問題というものがあまり論じられていない。まだジャンルとして認知されて日が浅い。故にそれについての良識が未だ形成されていない、形成途上であるという背景があるかもしれない。―という事に今気づいたので、一応そういう点があるかもというフォローをここで入れておきます。

 別に己はロリコンじゃないですし、同性愛者でもありませんから、そのような差別にあったこともなければ、それによって何の被害も受けません。でもこれについて非常に腹が立つのは、そこに無自覚な差別があること、それに根ざした行動であるのに、全くそれについて無理解であるということなんですね。

 というのはですね、己が子供の頃は、同性愛というものに対する理解が社会的になくて、同性愛者というのは当時の己からすると、もう「殺人」感覚なんですね。もしくは「人食い」くらいのタブーを犯した人間というカテゴリーなんですね。なんというか人を傷つけて殴る、そして殺してしまうというのは許されないことですが、「理解」は出来る。欲だったり怒りという感情の果てだったり、まあその動機が理解できるわけです。

 しかし同性愛というのはその範疇にない、まるで理解が出来ない。故に「モンスター」とか妖怪・幽霊の類、別次元の事柄になってしまうんですね。許されざるといいますか、理解できないがゆえに「魔女狩り」の対象になってしまう。そんな理解の出来ない行動をする奴は何をするかわからない。同性愛だからといって、同じ同性に誰でも彼でも求愛するわけじゃないんですけど、それこそ寄生獣みたいに同じ種を食ってしまう類の人々という感じで見ていましたね。

 とにかく何をしてくるかわからない、何をされるかわからないという存在ですね、故に恐怖の対象。異常者なのだから、仮に殺してしまってもしょうがないとでもいうような扱いにまでなってしまうわけです。

 そのような価値観であった同性愛というものが、社会に認知されて「モンスター」の枠組みから外れたのは、それほど昔の話ではないと個人的には感じています。社会的に容認されるようになったのはつい最近のことでしょう。今でも年配の人は異性愛者を「気持ち悪い」として無条件で排除する人も少なく無いと思います。

 時間がかかって価値観が変わり、社会的に受けいられてこなかった同性愛はようやく受け入れられて今に至るわけですね。話が長くなりましたけど、そのような古い価値観「異性愛以外は認めない」「一定範囲内の恋愛・性愛の枠を超えて性的対象とみなす人間は正常な人間ではない」という価値観そのものなんですね、このロリコンに対する判断は。

 「少年・少女を性的対象とみなすのは正常な人間ではない」という価値観・偏見こそが彼らの無意識の前提にあるからこそ、こういう歪んだ発想・発言になっていることを多分理解していないですね、間違いなく。無論、社会的に成人した男性女性が少年・少女と性愛関係をもつことは許されません。実行したら社会的制裁を受ける刑事事件対象となるのは当然です。が、そういう趣味・嗜好を持つ者は「モンスター」であると断定されるべきではない。

 それをもってしてその人をデモナイズすべきではないですね。現代社会において刑事罰の対象となるようなことでないのならば、我々は許容せざるを得ないわけですから(無論、個人の主観として気持ち悪いと感じるのは個人の自由です)。同性愛であれ異性愛であれ、相手や周りが不快に思う行動はセクハラとして排除されます。ロリコンも同じですね。というかまあロリコンの場合は求愛行動自体がすでに許されないわけなので存在しようがないわけですが。

 そういう性的嗜好を持つ人間がとり得る行動といえば、犯罪ギリギリの道を選ぶか、そういうアダルトショップのきわどいグッズで性欲を満たすしか無いでしょう。彼女の記事で、少女性を売り物にした商品がここ最近氾濫している!というのは一時的なブームだったり、そのような嗜好の人がそれで欲求を満たしたものだと考えます。

 ようするに三次元・リアルの世界で手を出しようがないわけで、そうなれば二次元だったりアダルトグッズに走るのが当然なのではないでしょうか?どうも「二次元表現された少年・少女」や「ロリコングッズ」・「ジュニアアイドル映像」のような商品が正常な人間をロリコンにしている。ロリコンの道に引きずり込む魔のダークアイテム?と考えているのではないでしょうか?まずそういうものではないでしょう、これ因果関係が完全に逆転していると思いますね。

 「同性愛者だから」その歪んだ性愛を満たすために犯罪もいとわない―そのような偏見が同性愛者にあって、それがまま幼児性愛者にスライドしているのでしょう、この偏見は。少年・少女を性的対象とみなす異常者だからこそ、平気で犯罪に走る!子供を性的犯罪の対象にする!そのような思い込みからくる歪んだ議論でしょうね、これらは。

 当然、少年・少女を性的犯罪から守るために取るべき行動は取るべきで、社会で彼らが性犯罪に合わないように規制を作るなり色んな法整備・対策を進めるべきでしょう(こんなこと言うまでもないですね)。時にそのような犯罪者、前科持ちには性欲減退の薬を義務付けるとか、監視対象とするなども考えていいと思います。

 しかし隠れクリスチャンじゃないんですからね、そのロリコンの「布教」を許さない!そのもとである根を絶つのだ!というのは狂っているとしか言いようが無いでしょう。本当に信じているんですかね?そういう表現物などが「ロリコン」を作り出す、培養するとか?悪魔崇拝じゃないんですからねぇ。

 大体そういう犯罪に走るのも、現在の社会環境と大きく関係していると思いますし、社会的要因から犯罪に走る人間を出さないような対策を考えるほうがよっぽど有益だし、先にすべきことでしょうにね。まあアホらしくてこのへんにしときましょうか。こんな長く書くつもりじゃなかったのに何故かこんな急にスイッチが入って長く書いてしまった…。

 ※そうそう、これ少女誘拐みたいな犯罪が特異なケースで捉えられているんじゃないでしょうかね?育成ゲームみたいに育てたいという珍な論理で誘拐するというレアな動機以外は、このような事件は今までも幾度となく起こされてきているでしょう。そういうことにはスルーなんでしょうか?

 昔なんかこんな少女誘拐なんてレベルじゃない犯罪ゴロゴロありましたよね。集団暴行、拉致監禁挙句の果てには殺害するという非人道的な犯罪が昔かなり頻発していましたよね、確か。石原さんの小説然り、昔は少年少女どころか成年も集団暴行で殺害されるという事件がかなり多かったはず。そもそも「子供が犯罪に巻き込まれるリスク」というのは一定のレベルで昔からあったはずですよね。元々安全な社会だったわけではない。「日本は安全であり、子供は性犯罪に巻き込まれるべきではない」といった変な前提・思い込みがまずあるのでしょうか?

 ※2、ゴー宣道場というページで、少年少女との性愛が社会的に許容されるべきではないというメッセージが弱くなっている。それが社会通念になっていない。であるならば、社会通念として許されないんだということのためにも、一定の表現規制は許容されるべきかもしれないというのを見ました。

 あのさぁ…。日本に生きていて、少年少女との恋愛はともかく、性愛となったら社会通念として許容されるなんて到底思えない。バカなんじゃないですかね?年の差婚ならともかく、大人と子供が恋愛するだけでどういう目で見られるか、周囲の人に「今の彼氏・彼女が子供なんだけどさぁ~」と話してご覧なさい。偏見の目にさらされずとも、まず好奇の対象となり噂の的になるでしょう。

 ロリコンさんショタオババ、なんでもいいですが、非難される・気持ち悪がられるに決まってるでしょう。表面上許容されても、イザとなったらこのペド野郎!みたいなこと言われますよ。

 そもそも、そういった関係は「お互いの同意」があるからこそ、「障害のある恋愛」といった古典的なロジックから恋愛(作品)として成り立つわけです、これは。犯罪事例のような合意のない性愛とはまるで関係がない。略取誘拐、拉致監禁とそのような作品を結び付けられようもない。お互いの意志・両思いである恋愛と片思いですら無い、変質的な愛情=ストーカーとの違いもつかないバカはどうしようもないでしょう。

 表現規制として、例えばそのような犯罪者の少年少女に対するものを規制するというのはまあわかりますけどね、そのような作品をなくしたからじゃあ犯罪なくなるのか?といったらまあ上に書いたように関係ないでしょうからね。