てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

イスラームのとらえ方 世界史リブレット

イスラームのとらえ方 (世界史リブレット)/山川出版社

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 図書館もう休みだということを忘れてたので、近所の本屋でまた立ち読み。まあそんなに書くこともないんですけどね。

 ○イスラームには復讐が教理としてある。しかしそれはハンムラビ法典にあるような倍返し、必要以上の復讐を許さないためのものであり、なにより「赦し」を推奨している。許すことでより報われることを説いている。教義・教理的には平和的なロジックがあるんですよね。それを見ずに今の過激派を捉えて危険な「宗教」と見るのは無理がありますね。

 ○で、「宗教」とカッコつきで書いたように、「イスラム教」という表記は疑問がある。己なんかはイスラームという言葉には「教え」という意味が内在しているからイスラム宗教教みたいな重ね言葉になってしまう。そういう誤訳になってしまうからイスラームって言う方が正しいよ―みたいに教わったんですけど、本を読む限りはそうではなく、イスラームを「宗教」で捉えることに無理があるという考え方のようですね。確かに政治と法と宗教が三位一体となって不可分なかたちになってますから、それを我々の価値観、近代化後の価値観で「宗教」として切り取ってしまう価値観に問題が有りますよね。

 それこそ「宗教」、教義の問題であるなら、教義を変えたり・改宗で話が済んでしまいますからね。当然そんな宗教辞めて違う宗教に代えたら?で済む話でないことは一目瞭然で、イスラームが問題だ!というとき、その背後の現地での生活や政治など人が実際に生きている現状をトータルで考えなくてはいけないわけで。トータル的な現象でイスラームを捉える視点の重要性は今後も変わらないでしょうね。

 ○※これは本文とは関係ないですが、よく言われる「シーア派」という言葉の誤り。あれ?前も書いたっけか?シーア・アリ―だから、シーア派というけども、派閥を意味するのはシーアの方で、正しくは「アリー派」と表記しなければならない。これでは「派」派になってしまう。―とよく言われることですが、これは彼ら中東のイスラームは別にシーア派と言ってない。ただ「シーア」と言っているだけでしょう。つまり「分派」、別れた人たちと呼んでいる。故にそこに宗派的な「派」を重ねちゃったんですね。だから結局これもただ「シーア」と呼ぶか、アリー派と訳し代えればよかったわけですね。

 そんな関係ない話をしたあとでシーア派について、気づいたことを。アリ―が死んでシーア派は成立したわけです。そしてイマーム派、その継承者を誰とするかでまた分かれていくわけですが、イマームが途切れたことで、お隠れになって、最終的には再臨する。救世主と最後の審判的な思想に吸収されるわけですが、これはかなりキリスト教的な意味合いが強い。キリスト教からパクったのか、それともセム的一神教の土壌故にその教義に集約されたのかはともかく、コレが重要だと見ました。

 そもそもカリフ制度というのは宗教の教義の習熟、教義の精通が基準となって選定されるわけですね(無論政治・軍事など時代の要請に応じて求められるものがあったと思いますけど)。結果、そこには宗教要素を第一とする論理が生まれます。非現実性に何より「世襲」を否定してしまうわけですね。世襲の否定は実力主義で組織の硬直化を避けるメリットも有りますが、それは当然組織の不安定化を招くデメリットも有るわけです。血縁原理第一の風土ではそれはかなりまずかった。よって歴史が示すとおりカリフ制度は世襲されることになってすぐ形骸化するわけですね。

 カリフの世襲宗教的教義はおかしくなる。それはともかく、イマームという思想を持つシーア派はアリ―を見てもわかるように、「苦難の教義」がそこに導入されるわけですね。カリフ制を肯定するスンニ派は、ムハンマドから一貫して成功しているわけです、世界宗教・世界帝国を築いた素晴らしい「イスラーム」というのが基本的な価値観念になってしまいます。

 ユダヤ・キリスト共に一神教の重要な教義というか価値観念には「迫害」「苦難」があります。イスラームはその基本要素が著しく小さいわけですね。あっても報われちゃっていますからね、苦労しました&迫害されました、でも頑張ってそれらをはねのけて結果世界帝国を築き上げましたチャンチャンという御伽話のようになってしまっている。宗教としてポイントはいつか報われる、来世で報われるというところですから、スンニ派のロジックだとどうしても弱くなってしまうわけですね。

 対照的にシーア派だとアリーを始め「本来カリフ・後継者だった人が誤って殺されてしまった」、「大事な教えが実行されなかった・正統が途切れてしまった」→「その正しさがいつか復活する・裁かれる!」という論理になるわけです。シーア派一神教の「苦難」「迫害」の論理が根付いていることは、資本主義化・近代化の成功の余地を見いだせそうな気がしますね。あくまで教義上の話ですけど。イスラム革命が起きましたが、その路線が無理だとわかれば予定説の論理を導入して、資本主義化・近代化できる可能性がシーア派の教理にはあるんじゃないでしょうかね?一時王政下で盛んだったようですし。

 ホメイニ師はいうまでもなく十二イマーム系のシーア派の人で法学者。法学者の支配の論理を後退させられる可能性はあるんじゃないかな?という気がしますね。

イスラーム統治論・大ジハード論/平凡社

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―とまあ、そんなことを考えていたら、実際のホメイニ師はどういう論理構成を持っていたのか、イスラム革命の論理が気になってきました。氏の著作は平凡社から訳があるみたいですね。いつか読んでみようかしらん?

 あ、そうだ思い出した。イマームとカリフの違い。カリフは共同体の代表でありなんであれば交代も出来る。ムハンマドは最後の預言者であり、神の言葉を聞くだけであとは人間、それ故の誤りがある。しかしイマームは違う。カリフはそもそも代理人ですが、イマームムハンマドの後継者(これも血統原理ですが)。カリフは「首相」のようなものだが、イマームは「天皇」のようなものだという解説がありましたが、なるほどと思いましたね。

 ここらへんはやはり、イランのサーサーン朝の影響が出ているんでしょうかね?サーサーン朝の皇帝とイマームはなんか政治的な連続性がある気がしますね。まあカリフの世襲を考えるとトントンという感じですが。その後イマームがいなくなってイランはどういう体制になったんでしょうかね?宗教・法学者主導で政治はかかわらずなんでしょうか?トルコ系に政治・軍事を任せ、法学者としてサポートですかね?

 ○スーフィズム神秘主義、個人的にスーフィズムは宗教の修行要素の欠如を満たすものとして発展してきたものと捉えています。ダンス・舞踊なんか身体論的な修行、または神降ろしみたいなもんでしょうね。前にフォーリン・アフェアーズのとこでもあったと思いますが、現地習俗を厳禁するよりも許容するパターンが多かった。今のトルコでもスーフィズム系統の政党があるくらいと。十九世紀トルコでスーフィズムが勢いを持ったとかそこら辺知りたいところですな。

 ○戒律は救済をわかりやすくするため、むしろ親切。あってありがたい。なかったら混乱する。戒律イヤ!という日本人の宗教性からすると理解し難い感覚かもしれませんね。

イスラームの都市世界 (世界史リブレット)/山川出版社

 これは殆ど読みませんでしたが、エジプトだったかトルコだったか、十九世紀くらいの行政文書(訴訟だっけか?)が売買、相続、後見でほとんど占められているんですよね。民事訴訟は十%くらいで殆どない。イスラム法・制度によって社会が上手く機能している証左と言えましょうか(当然社会問題はあったでしょうが)。モンゴルのような騎馬民族が征服する。統治者と被統治者関係がきっちり分かれていて政治・軍事と行政が明確に階層分離しているとでもいいましょうか、そういう機能があるわけですね。

 中国の話と似ていて、遊牧民が制服して王朝を建国する。「侵略」だろうと支配層が中華、チャイナライズされて同化するために、その異民族・異文化支配という違和感がなくなる。イスラムも同じでトルコ・モンゴルはその道をたどるからイスラムに回収したあとで違和感を感じない。ところがキリスト教国はそうではない、イスラム化しないから反発があると。日=中と欧=中東関係の相似構造がありますね。

 エジプトなんか官僚機構がしっかりしていて、統治者は安定して支配できるという研究が有りますが、もはやイスラム圏というか中東に特有の現象となっていたということなのでしょうかね?宗教・地域関係なく歴史がある国はそうなるのか?歴史があればあるほど官僚制の成熟・発展し、他所からやってくる新支配層と折り合いをつける度合いが発達しているということでしょうか?歴史がある国は大体交通の要衝にあって、周辺民族がわんさかやってきて支配層の交代が頻繁に起こりますからね。

 中国は儒教など中国的なそれを捨てて「共産主義」という新しい衣のもとでリスタートしたというのが、今のイスラム圏との違いなのかもしれません。共産主義イスラムを旧習として攻撃する「文化大革命」のようなものを経験していればどうだったのか?まあ無意味な仮定ですけどね。そこら辺が中華圏とイスラム圏の違いと言えましょう。

 中国の場合伝統と断絶されたゆえのナショナリズムが起こっていますが、イスラムのは伝統と継続した宗教的排他行動になってますね。イランナショナリズムのような民族性よりも宗教性が前に出てきてしまうのが…ですかね。

 まあそんなことはさておいて、現代でも政治と行政(官僚機構)の二元化という構図があるのかもしれないですね、そこら辺が気になるところでしょうか。

 そうそうティムールも元みたいに遊牧で都市に定住しなかったんですよね。西でトルコ叩いて、その次は東。特に世界征服のためにモンゴルの本拠、北元を吸収して自分がチンギス・ハーンの再来となって南下して中国とかもあったんじゃないでしょうかね?ティムールもなんか本出てたしそれ読もうかな。

 ティムールが死んだあと拡大政策を放棄して、定住策・現状維持さくに切り替えた変遷なんかも昔から気になるところそこら辺が書いてあるといいなぁ。