てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

演説で試される政治家の能力

小沢さんが街頭演説でコート着なかったという話を聞いて思いついたこと。

 そういや選挙で完全防寒して演説ってやっぱりあんまり見ないですよね。選挙前の演説って、いわば事実上の決戦。指揮をとっているようなものでしょうか?意気揚々、エネルギーみなぎっていつでも戦える!という感じじゃないと「この人なら大丈夫!」って思われないですからね。

 昔ならともかく、音声をマイクなんかで遠くまで伝えられるのに、無駄に声を張り上げる必要性はない。淡々と是非と理だけを語ってもいいと思うんですが、やっぱり昂っていくものなんでしょうな。見る側もそれを望むし、そういう構造になってるんでしょうね。まあ無駄に激するのも困りもんですが。

 結局、その時その場で何を話せばいいのか、どんなふうに話せばいいのか?聴衆の空気を読み取る能力が試されているんでしょうね。そこで大衆の心をつかむ技術、指揮能力というのが演説では試されるんでしょう。単に熱くてもダメ、冷静でもダメ。絶妙のタイミングや「読み」が必要になると。

 大衆の心を読む能力、つかむ能力。人を動かす能力というものが演説では問われるわけですね。指揮能力と演説能力は必ずしもイコールではありませんが、まあその人がどういうタイプなのか、どういう人物が生で見てよくわかるということですね。テレビなどない時代は、めったに自分の国のトップなど見れなかったでしょうから。直で見る、等身大の本人から情報を受け取るということは非常に重要なイベントだったんでしょうね。

 昔の身体ができている人々は、生の本人を見て身体でその人物の価値を図っていたのでしょうかね?

 頭脳、論理能力が問われるのは確かですが、聞いている側が必ずしもそれがわかるわけではない。ならば次に問われるのは情熱というかエネルギー。いくら優れた人物でも建康に問題があって死にそうなら意味が無いですからね。まあ健康状態のお披露目という意味合いもありますよね。そういう点では、自分はエネルギッシュだと示さなくちゃいけないので、コート来てフル防寒で演説!という人はまあなかなかいないんでしょうね。

 あと、一応書いときますと、実際の戦場だと指揮官に求められるのは采配能力なので、正確な情勢判断のための冷静沈着という要素ですね。指揮官はいくら威張ってても輿に乗って楽してても旨いもの食っていても構わない。有能でなければ、部隊壊滅でみんな死んじゃいますからね(by宮崎市定)。

 ―まあ、そんなコートを着ないという話から思いついた演説と指揮能力、演説=政治家のテストの場という話。