てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

仏シャルリー・エブド襲撃事件とデモについて

フランスで大規模デモがありましたけど、デモって普通抗議の意味合いだからなぁ。テロを正当化する風潮があるなら、抗議の意味で「デモ」というのもわかるけど。事件に対する追悼・慰霊でいいのでは?むしろ訴えるべきは宗教を理由とした迫害をしないことではないでしょうか?

 フランスにおいてスカーフを着用するなという問題は、スカーフを着用しなかったら「フランス人」になれるのか?という問題にもなるような…。ムスリムなら「~~をせよ」という規定がいくつかあるけれども、イスラム的な行動様式の一部を捨てたら、本当に「フランス人」としてまっとうな扱いを受けるのでしょうか?ポイントはそこにある気がしますが。

 ISISが出てきて、ここの傭兵やトレーニングを受けた移民が欧州に回帰してテロを起こす危険性があるとは、度々指摘されてきたけども、今回の事件はその流れなのか?それともアルジェリア系・旧植民地問題なのか?あんまりよくわからないですね。アルカイダの支援を受けたテロだといいますけども。

 アルカイダとか海外の過激派関係からの支援を受けたというのは間違いないのでしょうが、その背景に旧植民地問題が多少なりとも関わってきているのかな?彼らが旧植民地出身の現地人であり、仏で恵まれない境遇などがあるのだとしたら、そこら辺の対策も必要になるのではないか―とかなんとなく思ってました。そこら辺どうなんでしょうか?

 今回の大規模デモがどういう方向に向かうかですよね。仏の価値観に立ち返って、ムスリムとの融和を促す方向にいくのか(※)。それとも仏ナショナリズムが燃え上がることになるのか。それとも9.11のようにヒステリックな反応を引き起こして、許すまじ!と仏&欧州を戦争へと突き動かしていくのか…。
 ※後に触れますが、仏の価値観に立ち返ると宗教=野蛮ということで宗教&テロは前近代的で啓蒙しなきゃ!という硬直した反応を引き起こす可能性も大なんですけどね…。

 まあ、イラク戦争のときに、仏を中心に再三、米の戦争をストップさせようという動きが主流でしたからね。そんな米みたいな軍事力もあるわけではないですし、過激な方向に行くとは考えにくいんですけどね。


 イスラム系の人達はフランスのデモを言論弾圧に対するデモではなく、フランスの移民排斥運動だとしか見てない―という意見を見ましたが、言論弾圧に対する抗議という価値観を理解できないのかもしれませんね。とすると、却って逆効果だったのでは?という気がしないでもないですね。そういや、今回の事件は日本の移民解禁云々の話題に影響するのかしら?

 イベントを中止しないと爆弾しかけるぞ!みたいな脅しに従ってしまえば、脅迫は大成功ですよね…。確かにその脅しに屈しない!という意味で大衆を動員したデモと言うのは意味がありますが、今回のデモでテロの根源、息の根を止めるようなモノ・有効な政策を打ち立てられないとしたら、踊らされただけになっちゃいますよね。

 自分たちの意思表明ということで、社会の団結を示すということでデモはいいのでしょうけど、逆にあんだけ人員が動員される拒否反応を示すと、仕掛けた側は自分たちの意味の大きさを誇示することになって逆に成功した!とほくそ笑んでいるという側面もあるわけでして…。しかしデモが単発でよかったですなぁ。もしテロが組織的なもので、余力があれば、今回のデモを狙って更なるテロを仕掛けたでしょうからねぇ。


 フランス人の魅力は、イギリス的な「知的な皮肉」ではなく、「野蛮な暴力性」にある―という意見を見て、たしかに今のフランス見ていると、ああフランス革命が起きた国なんだなって実感しますね~。知的・ユーモア・芸術よりも、根源の暴力に注目して初めてフランスという文化が理解できるのかもしれませんね。

 ムスリムの信仰という論理を、仏の啓蒙という論理で克服できるものではない、このあたりまえの事実に早く気づくべきだと内藤先生はつぶやいていましたけど、そのとおりでしょうね。

 フランスでもドイツでも、移民第一世代の人たちは、ムスリムではあっても信仰実践に熱心ではなかった。イスラムに深い知識を持っていたわけではなかった。それが、世代を経てイスラムに回帰していくことになった。その現象に極右どころか、共和主義者までが苛立っていった。
 ムスリムには社会を「聖」と「俗」に分ける発想がない。一度、覚醒(再覚醒)してしまうと、イスラムの信仰実践は全ての面に顔をだす。そしてフランスはそれを許さない(スカーフ問題など)。だから両者が分かり合うことはない。―というようなことを内藤先生がおっしゃっていました。なるほど。

 過激派のテロにばかり目がいってしまうと、一般のムスリムイスラム的価値観こそが一貫して虐げられているという当たり前の事実がわからなくなってしまいますよね…。結局イスラム文化・価値観を克服されるべき「野蛮」「障害」と捉えているからこその西欧社会の反応と言えないでしょうか?

 問題は移民達の「再覚醒」ということなんでしょうけど、移民達がなぜ仏・西欧社会に同化せず、イスラム化するのかということをもう一度考え直すべきではないか?という気がしますよね。その社会で与えられるべき評価を得られないからこその「再覚醒」という気がしますが…。

 もちろん詳しくないのでそう簡単に結論を出すのは控えたいんですけど、今の西欧見てると「同化しない方」の問題ばかりに目が言ってる気がしますよね。「同化させない」社会の問題というものも見つめ直すべきではないでしょうか?まあその反省は遅かれ早かれ起こると思いますが。

 一端、イスラムとしての再覚醒のスイッチが押されてしまうともう取り返しがつかなくなる。このイスラムに目覚めるようなスイッチをを押させないことがポイントではないでしょうか?仏人サイコー!イスラム?そんなのアイデンティティにするなんてダッサ!と、現地の移民が思えるような社会を作ってもないのに、「仏に帰化しろよ。信仰・宗教なんて野蛮人が熱中するようなものさっさと捨てちゃえよ」―的な態度をとることがそもそもの問題の根源にあるという気がしますよね。We areシャルリーなんてやってる暇があるなら、まずそちらの問題の構造に手を付けるべきじゃないでしょうかね?