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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

総理のポツダム宣言を読んでない云々について

外交関係

 例の安部総理のポツダム宣言云々について一言、二言。あれを見て思ったのは、「ポツダム宣言を読んでいない!?」ではなく、志位さんはEHカーの『歴史とは何か』を読んでいないんだろうなということです。そしてそちらのほうが、はるかに恐ろしいと個人的に思いました。

 『歴史とは何か』では、歴史というものに善悪といった道徳を持ち込むべきではないということが主張されています。これは別にカー独自の主張ではなく、近代歴史学の基本的な立場です。善悪といった価値観で判断したら、有益な歴史分析になりえないからです。

 (※呟いた後の指摘で気付きましたが、「道徳」と書いてしまったのは不適切でした。カーが個人的道徳・制度的道徳と文章中で「道徳」と用いている、用語として存在しているので、「道徳」と書くのは混同を招いてしまう不適切な言葉の使い方でした。カーの言うことに、より忠実に表現するなら、善悪二元論的な立場から、また一方的な善という立場から、歴史を分析しようとすべきではない―ですね。)

 歴史的な事件、事象というのは、時代が進むに連れ絶えず解釈が変わっていく。現代に生きる人の価値観が変わるにつれ、新しい価値観によってドンドン歴史の捉えられ方というは変わっていくものです。歴史よりも、それを見る歴史家こそが問われるとカー氏は言いましたが、歴史は解釈する人の問題なのです。

 志位さんは、あの答弁で「正しい戦争」なのか「間違った戦争」なのか応えてくださいとおっしゃってましたけど、その倫理的価値判断を持ち込む危険性を認識していないと思います。逆に言えば「正しい戦争」ならばやっていいことになってしまいます。極めておかしな論理です。

 基本的な歴史認識もない人が、改憲や安保法制を進めようとしているというのもおかしいです。では、侵略しました&悪の戦争でしたという価値観ならやっていいのでしょうか?善悪の価値判断が公式になされるというのは、中露のような共産主義圏の思想統制の発想でしょう。

 安部総理が危険だ!ヒトラーだ!というのが一時流行りました。己は同調しませんでしたが、同じように言うとしたら、志位書記長はスターリンでしょう。極めて危険な思想であることに変わりはありません。前者は民主主義、後者は自由主義を脅かす存在として両者の危険性を同時に主張すべきでしょう。

 安部総理が「戦争の反省」という言葉を使って、価値判断を避けましたが、あの答弁は当然でしょう。中韓と言った国と「歴史認識」で外交問題を引き起こす可能性がある以上、価値判断をして、無用の外交問題を引き起こすことはありえない。外交上正しい判断です。

 歴史認識を政治のトップが論ずれば、外交が停滞する・両国家間関係がストップしてしまうという論理が現東アにある以上、歴史認識を国会で論じることはありえない。不要(というかしてはいけない類)の論争を仕掛ける志位という政治家のセンスを疑う事件でしたね。このような人物=共産党を持ち上げても、今の政治を変えることは決して出来ないでしょう。

 あと、そもそもなんですけど、連合国・アメリカの主張であるポツダム宣言を正しいとするのなら、戦後統治の延長上にある沖縄の基地だって正しいことになるんじゃないですかね?共産党ポツダム宣言に異を唱えずに、沖縄の基地撤退・縮小を訴えるんですかね?

 ついでに余計なことを付け足しますと。歴史学者の人がどうしてこの観点から論じなかったのか非常に気になりましたね。歴史をやってる人には基本のはずなのに、ポツダム宣言を読んでいない!!!という主張のようでしたしね。