てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

総理のヤジに見る政治家の質

 安倍ちゃんが「早く質問しろよ」とヤジを飛ばして、議会が紛糾したことについて。
 「早く質問しろよ」は流行りそうな気がしないでもないインパクトあるフレーズですね(^ ^;)。辻本さんが関係ない下らない質問をしたとかしなかったとか。くだらない質問をした場合は、本来議長が「質問者は簡潔にお願いします」とか注意して、議論の質を高めるために指摘をする、コントロールするべきことでしょう。

 そもそもどうして答弁に応じるはずの内閣・行政担当が野次を飛ばす必要があるのか…?議会というもの、答弁というもの、そういうものに対する理解が乏しいんでしょうかねぇ。安倍さんは官房長官だけで、大臣経験もない人ですしね。

 それはともかくとして、首相が軽率に野次を飛ばしていくというのが大問題というか、政治家としての資質というものが問われるものだと思いましたね。昔の政治家について今思うに、キャラが立っていないというか没個性的な人が多かった気がします。沈黙は金じゃないけど、下手なことを言って地雷を踏むリスクを避ける知恵があった気がします。能ある鷹はなんとやらじゃないですが、無難にやり過ごすという処世術があった気がするんですよね。まあ貧乏人は麦を食えとかそういうのもありましたが(笑)。

 議員として、政治家として権威というか、「こうあるべきだ」という一定の共有されるものがあった。良くも悪くもそこからはみ出さないようにというものがあった気がしますね。官僚制的な減点主義がそこに働いているとしても、それゆえに質は保たれていたという背景があるのでしょうか?

 本当に優れた政治家を輩出するために規制を取り払って自由競争を進めたら、底が抜けて一気にレベルが低下したみたいな構造があるのでしょうか?まあ世襲ということを見てもわかるように、自由競争の結果出てきた政治家のリーダーとは到底言えませんけどね。

 そもそも党内政治において、どうやって実力を発揮して、その実力故に上り詰めるのかというプロセスがよくわかりませんからね。自民党に始まったことではないのでしょうが、派閥亡き後、政治家を鍛える場・プロセスというのはどうなっているのでしょうか?

 しかしなんでしょうかね、「私の答弁は正しいと思いますよ、私は総理大臣なんですから」みたいなのは多分、言おうとしたフレーズが前後逆になってしまったというか、途中で言おうとしたものが吹っ飛んでしまったとか、そういう頭の回転が追いつかなかったということなんでしょうけどね(それはそれでまた問題なんですけども)、このヤジ問題は本当、良識・常識の範疇ですからね。

 まあ、いくらなんでも総理大臣だから正しいなんていう頓珍漢な論理を本当に振りかざすことはないでしょう。

 「日教組はどうするの!?」で一度失敗した、下手を打ったのに、また同じようなミスを繰り返しているのが、政治家として資質がないんだろうなぁと感じさせますよね…。ああいう政治家をトップとして担いでしまうことが、自民党の課題でしょうねぇ。

 以前、どこかで書いたように彼にとっては左翼VS右翼、共産勢力VS自由勢力のようなそういう二元論的な思考で捉えている、論じているようですからね。はっきり言って上にいてはいけないタイプの思考法ですよね。

 正直、こんな政治家を総理大臣にしてしまう自民党という政党を与党にしたくない。自民党が解党して出直しをするまで他の野党に投票する良識が国民にほしいのですけどね…。

 ここまで舐められる、議会への侮辱と取られかねない行為を平気でするのは、選挙で勝てるからですからね。自分たちが絶対選挙で負けないと思ってるから、議会が舐められるわけですよ。野党は選挙で勝てるようにしっかりしないと。なんでこんな総理の与党にも勝てないのかを、考えて欲しいですね。