てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

論理性のない反戦デモは逆効果

 「解釈改憲」への反対というのは同意できるが、戦争したくない&行きたくないから反対だ!―というデモでの主張には違和感を覚える。小川さんが言ってるように、そもそも自衛隊の能力は世界中にあちこち展開して、いろんな任務・作戦が遂行できるようにはなってない。

 ドイツがアフガンでの任務で20人位死んで、日本もこのようなことになってしまう!という主張は誤り。集団的安全保障と集団的自衛権を混同している。ドイツのアフガン派兵は同盟や集団的自衛権に基づいて行ったものではなく、国連の議決・集団的安全保障によるもの。

 国連第一!という主張からすると、集団的安全保障をもっと積極的に行わなければいけないはず。小沢さんなんかその点は容認されているが…。国際社会のルール・秩序維持のために派兵を!と、どうして主張しないのだろうか?反米!&親国連!なら尚更、集団的安全保障が重要になるはず…。

 戦後すぐとは違って、日本は今大国。世界中と商売して利益を上げていることも合わせて考えても、当然世界の秩序維持に貢献しないといけない。無論、それはだからといって米に追従とイコールではない。現今の国際秩序を考えれば、反米と反戦は両立し得ない。親米反戦はありうるし、そうでなければ反米賛戦になる。だが「反戦」というスローガンには疑問。そこには大国の責務という常識が欠如している。

 日本が国際社会の秩序に積極的に貢献しなければ、国際社会の秩序は不安定になる。それこそ第二次世界大戦の遠因。大国の不参加と協調の欠如ということと同じことになる。責任を追うべき米が、そうしなかった結果、世界大戦の一因となってしまったという歴史の教訓について一体どう思っているのだろうか…。

 集団的自衛権の行使(同盟)を外交の軸とするか、それとも集団的安全保障を軸とするか、どちらなのか?両方を否定するという立場はありえない(当然両方に賛成はありえるが)。そういう非現実的な主張をする場合、「解釈改憲」反対派の足を引っ張ることになる。国際力学・外交力学など当たり前のことを理解して言って欲しい。

 反米反戦というのはありえないと書いたが、親米
賛戦というのはありうる。それが今の安倍政権の主張。しかし親米賛戦は根本的に日本にメリットがない。基地の撤去だとか、日米地位協定の破棄だとか不平等条約を改正もせずに、一方的な譲歩をするなぞありえない。今の安倍政権のやっていることは従属化を進めるだけでメリットがない、狂人の行為。

 だからこそ、反対をするという立場もわかる。しかしそれは
安倍政権の親米賛戦の歪み、片務性のおかしさを主張することで反対をすべき。また「解釈改憲」という憲法の枠を超える解釈を許さない!という立憲政治上の問題で反対を唱えるべき。

 歪んだ反戦の主張は、大衆の支持を得るどころか却って逆効果。共産党の非現実的な主張が却って自民・安倍政権の支持に繋がるのと同じこと。反戦デモをやる方にはこのことをとくと頭に入れておいて行動していただきたい。