てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

山元教授の安保法制の話と、憲法学に必要なのは真摯な反省という話

 安保法案「違憲論」への違和感 慶応大・山元教授に聞く」bit.ly/1CDZBde今回も面白い記事の紹介・引用です。ここにある山元教授が面白いことを書いているのでその話を。

 ※記事中に書いてなかったのですけど、ググったらゼミのページが出てきて法学ですね。まあ普通は法学者以外こういうテーマで発言しないものですが、たまになんで関係ない学問やってる人が?ってことがあるのでわざわざ確認しました(怒)。この記事が悪いというより、門外漢が平気で口を出す慣習が悪いよ―。慣習がー(自爆)。

ざっくりまとめますと

 ①憲法学者の多くは、憲法9条2項に書いてあるとおり自衛隊違憲論を唱えていた。しばらくは自衛隊違憲であるという説が主流であった。

 ②内閣法制局は巧みな解釈によって自衛隊違憲ではないという解釈を考えだした。そしてそのような解釈に対して、野党や憲法学者は偽解釈、解釈改憲だとして罵倒し続けた。

 ③にもかかわらず、先の国民安保法制懇での憲法学者の論理は、個別的自衛権については許容されるが、集団的自衛権については許容されないとするもの。そして個別的自衛権のみを容認するというのは、9条解釈で良い解釈であり、これまで否定的に評価をされてきた「解釈改憲」について肯定的な評価をしていること。これはおかしいだろうと。

【疑問①】

 ―ニューディール政策を進めたローズベルト政権の事例、最高裁の承認を得て事実上の改憲を行った。解釈改憲というやり方がないわけではないこと。場合によっては解釈改憲というプロセスによる運用がありうること。

 これについては個人的に疑問で、議会・憲政の運営が適切に行われてきた知的経験がある、財産があるというのならともかく、日本の裁判所は、行政と独立して法の運用をチェックしているかと言われると、怪しいですからね。憲法裁判所すらない今の現状では、やるにせよ問題が多すぎると思います。無論、ひとつの方法論、発想・アドバイスとしてこういうことを書かれているのでしょうけどね。それ自体は重要な提言だと思います。

 「解釈改憲」は絶対許されてはならない!というものでないということを我々は抑えておくべきでしょう。

【疑問②】

 ―もう一つ、存立危機事態という文言自体は厳格なものとして評価していること。しかし答弁などであったように、場合によっては先制攻撃だってあるよ!ということを発言している通り、これが厳格なものになるか、そう運用されるかどうかは不透明。より厳格にするというのなら野党がやっているように領域警護で十分だと思います。

 なにより秘密保護法などであったように、どうとでも解釈できるような文言を滑りこませて、権力側・官僚が好き勝手に解釈運用できるようにしようという助平心が目に見えている以上、信用出来ないんですよね…。政権の今の精神と無縁に考えていいものでしょうか?是非、先生の過去の政権と法の文言の解釈の厳格さというテーマについて伺いたいものですね(皮肉じゃないですよ、その危険性があるのか無いのか、興味深いテーマなので)。

 最後に、人権・個人のために憲法はある。決して国家の発展のため利益のためにあるのではないという基本にちゃんと触れてあるのはさすがですね。

【まとめ】

 文中の個人的に突っかかったことを、疑問として一応書いておきました。んでこの話のオチなんですが、ポイントとしてやはり①②③でまとめたように、これまでは「解釈改憲」ふざけるな!!!だったものが、この期に及んでいきなり態度を変えて9条の条文を個別的自衛権に限定して容認するのは素晴らしい!素敵やん?という憲法学の論理的整合性のなさですよね。

 これまで憲法学としてどういう学説があったのか?自衛権の解釈について○だった方と、✕だった方。いつどうして、誰が唱えた学説によって個別的自衛権はいいものだよと認定されるようになったのか、多数派を占めるようになったのか。

 つまり1970だか80だかいつでもいいですが、どの年の誰(あるいはどの学派)の論文により、そういう意見が主流になったのか?少数意見ではあるが、独特の注目すべき意見としてAという意見も出るようになったとか、まあそういう「憲法学の総括」ですよね。

 要するにそれは、これまで主流だった「自衛隊違憲論」を唱えていた大家の否定&吊し上げになるとも言えます。別に本当に吊るし上げる必要なんかないですけどね。そういう学問の中で、正当な意見のやりとり論争が出来るかどうか。個人的な感覚では、憲法学とはそういう知的誠実性から遠ざかっていたという印象があります。

 ですから、憲法学者の学説史というのが今一番求められているのではないかと思います。樋口さんと奥平さんの『危機の憲法学』かな?パラ~っと本をめくって読みましたけど、かなりうーんでしたね。

 そもそも「事情変更の原則」とか、解釈改憲がなされた場合、憲法というのは事実上死ぬという民主主義や憲政・議会政治の事、慣習とかそういうことについて鈍感というか無自覚というか…。こういうことで本当に憲法学ということをやれるのか?憲政、民主主義に貢献できる学問足りうるのか…?と強い疑問を感じましたね。

 自分たちの言いたいこと、平和だ何だということをメインにして、都合のいいように憲法を扱ってきた。こういう反省をせずに、今の政治に反省を促すことは不可能に思えますね。

 隗より始めよってなもんで、まず憲法を軽視するような政治を非難するなら、自分たち憲法学、学説史・学者・学界をこそまず徹底的に批判して検証すべきだと思いましたね。