てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

フジの24時間テレビで思ったとんねるず=アイドル

 聞くところによると、フジテレビがまた24(27?)時間テレビで車壊したとか。フジって笑点みたいにいっつも同じことやりますね。かな~りむかしに車を壊したやつを子供の頃見たと記憶していますが、なにしてるんだろう…とヒいたことを記覚しています。あれが面白い!というのは内輪ウケ、内輪感覚なんでしょうねー。深夜のテンションというか、なんというか。

 自分たち内輪でやる分には、「お約束」ということで処理されるでしょうけど、全く内輪に入っていない人、「外輪」の人間からすると、「え、なんで人の車壊してんの…?」ってドン引きされるだけじゃないでしょうか?

 テレビを見ている人、過去の流れに詳しくて、ずーっと追っている人には、過去の話を連想して、「またやった!」でドカーンと笑えるかもしれませんけど、そうじゃない人には意味不明。参入障壁が高い笑いをやってどうするんでしょうかね?新規参入者を呼びこむ努力を怠っている、業界の驕り・怠慢がそこには見えますね。フジは特に、過去に大ヒットしたものをいつまでも引っ張る傾向があるように思えますね。過去の栄光にすがるというか、過去の実績を過大視してそれを振り返ることをよしとするというか、とにかくまあそういう傾向があるように思えます。*1


 あととんねるずとか、SMAPとかナイナイとか、局内でヒットした過去がある人をずーっと贔屓にして起用し続けますよね。逆少年ジャンプみたいなかんじでしょうか?

 そういや、とんねるずとかSMAPとかなんでいつまでも使い続けるんだろって思ってて気づきましたが、とんねるずって実は「アイドル」なんですよね。歌・踊り・体を張るロケ、なんでも都合よく器用に局サイドの注文をこなしてくれるハシリだった。都合よく注文に応じてくれていた存在だったから切るに切れないのかも?

 今の人は知らないでしょうけど、とんねるずは長渕さんとかそういう当時ヒットした歌があったら、それを真似した曲歌ったり、流行った歌をうまーくパクっていた時代があったんですよね。

 踊りとか(というか動きの笑い・コメディか)、コントとかでよくやってましたね。アメリカではやった歌・踊り、新しいスターが出てきたら、すぐ真似していました。「パクリアイドル」もしくは「ものまねアイドル」とでもいいましょうか?パロディの天才でしたよね、昔は。まあ言うまでもなくパロディというのはすぐに飽きられますけどね。

 ちょっとした有名人や、歌手・俳優・アスリートを連れてきて、その人をテレビに出して絡ませる。それで番組を成立させてきた人なので、歌手・俳優とかそういう業界を面倒見てこなかった、育てるための支援を怠ったから今の状態があるって感じですかね?いじるにせよ、絡むにせよ、そういう人達がいなくなった。あるいは出てくれなくなったところにテレビ衰退の要因があるんでしょうね。お笑い芸人って最近、完全に内輪の世界で回してるから、面白く無いんでしょうね。

 あとは、そういう過去にヒットを作った大物、上にいる人達が、とんねるずを切ると自分の過去の偉業が否定される!自分たちが今上にドーンと構えていられる理由が消えてなくなってしまうから、絶対切らせないようにしているとかあるんですかね?

 まあ、アイドルとかお笑い芸人とか、都合がよくて使い勝手のいい存在を一切使わずに番組を作ること。自分たちが未来の時代を担う新しい存在を、一から育てるんだ!くらいの気概をもって番組を作らない限りは、再生なんかありえないんじゃないでしょうかね?


 ※参考になるかな?昔書いたやつ→くりぃむ上田晋也、いじられる司会者という前人未到の境地を切り開いた異才
 参考になるかと思ったけど、今見たらとんねるずは無茶をする、ハプニングを起こすって一文で触れてるだけで意味なかった(^ ^;)。まあせっかく貼ったので残しておきますか。

*1:フジテレビの「保毛尾田保毛男」騒動と小島毅著『朱子学と陽明学』 ―ここで取り上げた問題もそういったケースの延長にある話のように思えます。過去の実績があるものを無条件・無前提に正しいとしてしまう。故にチェック機能が働かない。祭り上げて批判しない。いやそもそも批判すること自体が許されていないのかもしれませんが…