てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

袁世凱の失敗の要因

日中関係史(有斐閣)で、つぶやいた袁世凱云々の話を単独で取り上げました。

 袁世凱の皇帝即位は最近まで批判の対象になっていたが、どう見てもあの当時の中国で議会政治がうまくいくはずない。議会が混乱した際の歯止めとして、強力な権限を持った存在は必要不可欠だっただろう。そういう視点から見ると袁世凱の即位というのは筋が通っている。

 従父、袁保恒は1878年に死んでいるのか、進士で侍郎。軍を率いて反乱鎮圧もしている。入りて相・出でて将と言える存在か?彼が生きていたら、もしくは他の一族の有力者がいれば…になるのか?息子の袁克定が袁世凱の跡取りとして有望だったのだろうか?どうも軍人ぽくはないみたいだけど。

 息子の袁克定が後を継ぐ可能性はほぼゼロ。もしくは世襲をしても強力な君主になることはないということだったのか?それとも中国の皇帝ではなく、他のローマ皇帝とか、そういうものを意識したのか?一代限りの軍事皇帝のような。皇帝=世襲というイメージだが、限定された皇帝であり、二代目は世襲というより養子や他の有力軍人が前提だったのではないか?もしくは軍事的実権を喪失した皇帝・元首にするとか

 世襲を否定した皇帝であり、総統のより強力なバージョンを念頭に置いていたのか、もしくは元勲的な寡頭制。まあそこら辺ですよね、ポイントになってくるのは。皇帝は日本の天皇のように君臨すれども統治せずのような、実権なき君主にならないといけない。袁世凱がそうなるのは脱軍人・軍権を手放さねばならないために、やはり無理があったか。寿命が続けばそれを可能にする何らかの算段があったのか?


 よく清の後継を主張して、中国の領土ではないところさえも、~~は我が領土と主張しますけど、それなら溥儀を皇帝にしとけばよかったのにと思いますよね。清の後継だから、領土を引き継ぐ権利があるといえば筋が通りますから。

 しかし溥儀だと異民族皇帝、国民の統合の象徴としては難しい。漢民族・中国人の民族国家再建というスローガンがあったのでまあその考えを受け入れるような柔軟性があるわけもないですね。清の皇帝に宗教的な性質でもあればよかったんでしょうけどね。祭祀王として担げていれば…。もしくはチベット仏教ダライ・ラマ的な人・宗教的な人を選んでくるとかか。まあでもそれでは日本の天皇のような権威としては弱いか。「新中国」にふさわしい理念としての「君主」は見当たらなかったでしょうねぇ。

 連邦制か連合制、そこら辺を見据えた元勲政治かな?やっぱり。まあいかなるシステムを採用しても、下からの民意で覆されて失敗したと思いますけどね。中国では大体、理想bestを求めて、betterどころか、worse・worstな結果に至るというパターンになりますからね。


 まあ袁世凱の失敗の根源的な所にあるのは、カリスマ性がないことでしょうね。甲申事変などで成果を上げても、結局日清戦争などで敗れて、華々しい軍事功績をあげられていないことに尽きるんでしょうね。毛沢東がその後カリスマになれたのと対照的ですね。

 大改革にはカリスマが必要、カリスマを身につけるためには軍事的大勝が必要。毛沢東は革命という軍事的功績によってカリスマになった。袁世凱にはそのような軍事的功績がなくカリスマになれなかった。

 日清戦争天皇がそのカリスマを確立していったこと、逆に中国ではそのようなことが出来なかったこと。両国の運命はこの時決まったといえるのかもしれませんね。