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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

内藤正典著、イスラーム戦争の時代

本・読書―批評・批判・感想・レヴュー

イスラーム戦争の時代―暴力の連鎖をどう解くか (NHKブックス)/日本放送出版協会

¥1,102 Amazon.co.jp

読んだ個人的メモです。個人的に既知である部分は飛ばしてますのでご注意を。長いな…。まあいいか。ツイッターで出来る人だなと思った、内藤先生の本ですね。やっぱり優秀な人なので御一読をおすすめします。

一章

p33、06/2十代・十一代イマームの聖廟でテロ。スンニ派は聖廟を認定しているわけではないので、偶像崇拝に当たると見なす。このテロをすることでスンニ派とシーア派の宗派対立を煽る狙いがみえる。

p38、イスラームにはハッドという身体刑がある。禁固刑・懲役刑にすると、その分拘束されて収入が得られなくなる。もし家族の稼ぎ手ならそれで一家がやっていけなくなる。そのためには身体刑が理にかなっている。

p58、旧来・従来の「帝国」という単語、異民族・異文化支配を念頭に置いたそれをもって、米が「帝国」というのは無理があるという主張。帝国論・世界システムなんかをやっている人間からすると物足りないところですね。

p61、イスラームは商業的合理主義で貫かれている。日本のように訪問・勧誘による改宗を求めることはない。

p64、テロを増やした映像とIT。湾岸戦争でリアルタイムで戦争の映像が流れて世界中を驚かせたというのは周知の事実だったが、映像によって裕福で豪遊する「貴族」のようなムスリムが可視化されて、格差の存在をムスリムたちに周知してしまったこと。また戦争により異教徒によっていじめられているイスラーム社会がれっきとして存在していることを周知してしまったことでムスリムが自分たちはイスラームであるということを自覚しやすくなったと、なるほど。

 我々の感覚で言うと世界中の色んな所に日本人コミュニティがあって、その海外の「日本国」「日本人」が攻撃されている感覚に近いと言えるだろうか。

p68、今まで散々いじめられてきたイスラームが反撃に出たのが9.11。映像として湾岸戦争のそれと類似したものに映った。これまで散々いじめられてきたカウンターの映像としてムスリムには映った。それで彼らは拍手喝采した。ただしそれをイスラムの手によるものとは考えず、イスラエルの自作自演と考える人がムスリムには多かった。もしそんなことをしたら米のよりひどい反撃にあうことになるのが分かっていたから。

p71、言霊のような言葉の力を信じる風土、文化がある。全体の要旨よりもキミの文章のこの言葉が気に入ったとフレーズの評価から入る。気に入ったフレーズを何度も使ったり、授業で師の言葉を丸写しすることを心がけたり、いたるところでその傾向は見られる。そういうところで、カセットテープがCD、パソコンというものに技術が進んでよりクリアな音声が聞こえるようになったという影響は非常に大きいかもしれない。

p74、イスラーム共同体の危機にはジハードをする義務がある。しかし無意味な殺人を禁止する規定もあるために当然共同体のトップが号令をかけない限り、各個人の判断に任されることになる。しかし、いったん個人がテロリストとして自爆テロを決意したら、関係のない人間を巻き込んでも最優先される。「ジハードだから、犠牲も仕方ないよね」ということになってしまう。

 どう考えてもそこがおかしいですよね。テロをやるのはお前の勝手だが、関係の無いものを巻き込むな、背教者!とならなければまずいのではないでしょうか?テロをやるのは過激派おかしいやつだから自分たちには関係ないということなのか?イスラムには「破門」がないというのが大きいのか?棄教を宣言しない限り、ムスリムで在り続けるという点に問題があるのか?主体的にムスリムであることを選択する機会が殆どないことをどう考えているのだろうか?

p76、カリフもなく、ムスリムは諸国家で分断されているためにイスラーム指導者の教説でムスリムが皆同じように従うべきだとは考えない。全体の90%を占めるスンナ派はこう考える。シーア派は特定のイスラーム指導者が共同体を統率できると考える(イラクシーア派の指導者が宗教国家を作る可能性もあるというわけか…)。ビン・ラディンはそのイスラム全体の指導者になろうとしている。当然無理がある発想だが、不公正・不公平と考えたムスリムが惹かれていく、と。

p77、アルカイーダはサラフィー主義に基づく。厳格なイスラーム法至上主義で、その統治下にあるべきだという考え。サラフ=「先人」という意味で、初期の頃の正しい教えが実践されていたことをいう。国家は正しくイスラーム法を実践する元首の下で運営されるべきと考える。サウジアラビアサラフィー主義といっても、米軍基地があるゆえに正しいそれでは無いと反発する。

p80、アルカイーダとは直訳すると、「ヨーロッパにおけるジハード秘密組織の基地」。基地や拠点という意味だから、この言葉は他の関係ないテロ組織が使ってもおかしくないもの。ヤクザの「組」のニュアンスに近い。日本のメディアではそれを勘違いして何でもかんでもアルカイーダ関係のテロと報じていた。

p82、共産ゲリラと違って信仰によって、神の命に従ってジハードをしている人間が世俗国家に転向することは考えづらい。背教となれば味方から命を狙われるし、本人にとっては地獄行きが確定することだから。ジェマア・イスラミーヤのようにいったん有名になったテロ組織の犯罪・行為だと何でもかんでも短絡的に結びつけて、それによりテロの責任から国家が逃れようとする構造があると。あの大組織の犯行だから仕方ないと国民に簡単に説明できる故。アルカイーダに何でもかんでも結びつけて、その存在を実際よりも大きく見せてしまった。

p88、p74に続いて、イスラーム法至上主義でジハードで他の人が巻き添えで死んでもジハードだから仕方ないよねという考えが出てくる。これは他のムスリムからどうしようもない態度になるのだろう、やはり。国家としてその対策に取り組もうとしても、イスラムに厳しい顔を見せると国内統治的に問題が発生するからできないということかな。イスラム法的に、内部からその問題についてどうやって対策を講じるかと言われても、教理をダイナミックに代えられる構造もないからそもそも不可能と見なすべきかな。

 イラクで平和と安定を求める一般人と、米軍の撤退を求める戦士。職を求めてイラクの安定化に貢献する一般人ですら敵。同胞ですら仕方がないとして殺される現実と。ムスリムですらかられに苦しむ。そんな時に外国でどんなテロをやって迷惑をかけてもどうしようもないというところなのか?一般のムスリムがテロに抱く対策は?と言われた時答えるとしたら。

二章ヨーロッパ

p95、ムスリムイスラームに目覚める覚醒のスイッチがある。それを押してしまえば、テロに向かってしまうという話に通じる指摘があります。「近代化」「国民国家」、西欧スタンダードであるこれらを、有るべき正解と考えないという重要な前提、ポイントをおさえるべしと。

p98、旧植民地出身の移民を英仏などが受け入れたのだが、前提として彼らは植民地支配を悪いと思っていない。反省も謝罪もしていない。植民地が文明化と近代化に貢献したという主張は勝者の驕りにすぎない。批判をする人がいても、旧植民地諸国に配慮をする姿勢は仏にも英にも一般的な常識としては形成されていない。ムスリムなどの移民について、植民地支配の感覚の延長で支配者的に見る・振る舞う傾向があると。

p102、最初の欧州へのムスリム移民は、定住を目的としたものではなく出稼ぎ目的だった。欧州内で移民の扱いは様々で統一された政策はない。

p104、英は連合王国ということもあって、異なる宗教・民族文化を持ちながらイギリス社会に参加することに寛容だった。同化圧力を掛けることがなかった。それでも英系白人と移民の失業率に差がある。インド系・パキスタン系・バングラディッシュ系で一番深刻なのがパキスタン系の失業率。英社会に進出しなければ、イスラムコミュニティに包括される。そこでさらに過激思想に触れてテロに走るケースが有ると。

 所得格差程度ならともかく、英は階級社会で貴族と市民、労働者階級と中流階級のような階級格差をムスリムはみな平等と考えるイスラーム的価値観からは絶対的に受け入れられない。相手の身分によってややこしい敬称をつける階級性は受け入れられないものに映る。我々が習う英語は上流のそれだから、彼らと会話しても通じるが、労働者階級のそれは通じない。要するにイギリス社会の階級の区別の在り方が問われているということでもあると。

p108、05年ロンドン同時多発テロ後ブレアは強硬な態度をとるようになった、イギリス流のルールにムスリムも従わせようとしたが、テロの根源にはイラク戦争による大義なき戦争=侵略にその原因がある。ブレアはそれを認めてしまうと自身の政権の失敗を認めることになるから認めなかった。その責任をテロリスト側に押し付けた形と。穏健派にすら英のルールを押し付け踏み絵を踏ませるやり方は旧植民地支配と同じやり方。人種差別からイラク戦争に至るまで幅広い不満がある。対処的な療法でテロリストを弾圧しても根源的な解決には至らない。フランスはイギリスの多文化主義の失敗だと批判するが、そうではない。移民が孤立しやすく、低階層に置かれる状況こそが本当の問題。統計にあるWhite Britishのようなもの、植民地支配の延長で捉えるような感覚があるかぎり問題の根源は変わらないだろう。

p111、オランダ式の多文化が共存しているのを「柱状化」という。それぞれがどのようなアイデンティティでコミュニティを形成しようと干渉しない。各々どんな「柱」のもとにコミュニティを形成しても構わないと考える。あらゆる価値観から束縛されないオランダ独自の「リベラル」という柱も存在する。世界中で商業で生きてきたオランダの歴史・価値観、宗教・民族的価値観より商業的利益が優先されるという価値観が反映されている。オランダ社会の中でイスラーム社会もうまくやることが出来たが、テロ以後それが変わる。

 というのも、オランダ社会の中で溶け込んでいたのではなく、干渉されない結果としてうまくやっていたに過ぎなかったから。カトリックプロテスタントそして無宗教といった違いがあり、特に柱を立ててコミュニティの確立を重視しなくなっていた。それにもかかわらず、イスラムだけがその柱を強化していって突出してしまった(テロが起こる前まではそれでも独などと違い差別を感じるという声は小さかった)。

 結果イスラーム社会が異様に映ることになった。政治でも反イスラムを唱える政党・政治家が見られるようになった。テロによって、イスラムが「不寛容」なものとして映るようになったため、「寛容」を重視するオランダ社会で反発が強まったという流れ。しかし実際に攻撃をされているのは、そのテロリスト・過激派ではなく、普通のムスリム

p122、また『サブミッション』という映画が、いかにイスラーム社会で女性が男性に虐げられているかというテーマを描いたため、イスラム非難をいっそう煽ることになった。極端に孤立化した、閉鎖化した社会でなければここまでひどい差別はありえないのに、さもイスラム社会はこれが当たり前のように描いた。実際にはありえない一般化を行ったために、一般ムスリムの感情をひどく傷つけた。そのため監督は殺害され、ますますイスラムへの非難が煽られるという形になった。

p125、ポイントは「寛容」という言葉の違い、トルコ語の「ホシュギリュ」には、日本の「寛容」というものの語義と同じく、相手に対する温かい眼差しがそこには含まれている。しかし英、独、蘭語にはそこにそういった意味合いはない。敬意も含まれない。単純に「耐えられる」という意味合いしかない。この言葉の違いを理解しないと、テロ以後急に冷淡になった欧州社会の感覚が理解できないと、なるほど。テロは「耐えられる隣人」を「耐えられない隣人」に変えたわけで、その溝を埋めるのは物凄く難しい。

長いので分割しました→続 内藤正典著、イスラーム戦争の時代