てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

永井陽之助『平和の代償』

 

J-49 平和の代償 (中公クラシックス)

J-49 平和の代償 (中公クラシックス)

 

 

  • 米国の戦争観と毛沢東の挑戦
  • 日本外交における拘束と選択
  • 国家目標としての安全と独立

 タイトルの平和の代償とあるとおり、平和にはコストがある。その当たり前のコスト、代償を理解しようということでしょうかね。

 

 米にいた永井は、キューバ危機によって、核戦争と世界の終わりを感じた。にも関わらず日本ではそんな危機感は一切なかった(永井いわく「愚者の楽園」)。このショックが、永井を国際政治学研究の道へ進めさせた。

 

 解説の櫻井氏は、日本の国際関係上取れる選択は、基本的に変わっていない。40年前と同じで米の同盟国でありつつ、中国の挑戦を受ける。それにどう対処するかという状況で、打てる手・選択肢はあまり多くないと。そういう基本的な視座を理解するために永井の「平和の代償」を振り返る意義があると。基本的には同意なんですが、それでもやるべきことは色々ありますね。

 

 「機構」型、「状況」型、「制度」型という国際情勢を理解する3つの理念型を永井は用いていると考えて良いでしょう。米のような伝統的な欧州の力の均衡概念や既存の法体系に則ったものを「制度」型として、米のような国際理解・視座を「機構」型とする。米的な法律・道徳観念をそこに投射して国際情勢を理解するやり方。機構・組織はそのまま制度ではないのか?という感じもしますけどね。国際機構や国際組織と違って、自分たちの考える「機構」を設立したら、それで問題がすぐ解決されるというおめでたい価値観なので、こう名づけたみたいですが、空想的~とか妄想的~とかそういう用語のほうがパッと理解できたんじゃないでしょうかね?

 

 「状況」型は、革命勢力・毛沢東などの既存政治制度に不安定を作り出して、戦争に持ち込んで革命政権を打ち立てようとするもの。まあ冷戦時代の「革命」・「共産主義革命」が当たり前だった時代にはこの理念型が重要なポイントですね。これなくして、当時の国際情勢の理解は不可能ですからね。

 

 まあ米のそれと、中国やソ連と言った革命勢力のそれ、伝統的な欧州国際秩序から逸脱する価値観を、いかに欧州の「制度」型に近づけていって、国際社会・政治体系を安定化させるかというのが、当時の国際政治の重要なポイントだったというところでしょうね。

 

 欧州はともかく、東アにおいて伝統的な欧州的国際秩序・法体系は存在していないわけで、そこに中国の「状況」型と米の「機構」型が持ち込まれた日にはそれは大変。いかにして東アにおいて「制度」型を築き上げたか!築きあげる試みが模索され、安定化していったか!というところが東アの国際情勢を分析する基本的な視座になるといえるでしょう。

 

 永井は二章で、「間接的、迂回的アプローチ」によってソ連と外交を強化して、米ソと協力して、中国の「状況」型路線を封じ込めるべきという外交を主張している。「多角的オプション」として日本の革新勢力のソ連、中国のパイプを活用すべきだと。また安易な「反米」に対しては、軍備を整えること、防衛努力をする事こそが米を安心させ、米に対する軍備になることを説くという現実を説いた。それだけ当時の底の浅い「反米」があったわけですね、まあ今も何でしょうけど。「空想的反米」の思想潮流とか面白そうですけどね。

 

 米ソの平和共存は当時の人には胡散臭く映ったが、その胡散臭さこそが大事だと主張したと。

 

 三章で「安全」と「独立」という矛盾することに対するバランス感覚のなさ、配慮の無さを指摘した。革新も保守も優先順位は違えど、「平和」と「独立」を同時に主張した。そこに現実的な感覚・理解は存在しているのか?という永井の鋭い指摘がある。憲法九条には米の禁酒法のような「村落者平和哲学」が反映されているという。そのような観念ではなく、地道な努力こそが平和を築く。そのための「慎慮」こそが大事だと主張した。

 

 政治とはわかりにくい「調整の過程」である。そのわかりにくさに一般大衆は政治から目を背ける。それでは政治は良くなるわけがない。冷戦における平和は意図された制度・システムではなく、図らずしも自然に生まれた妥協や合意であった。そういった営みによって築かれていく政治制度こそ、「平和」を生むものであり、永井が重視したもの。―というか当たり前のことに思えますが、そういったことが当たり前に思われない時代があったということですかね…。

 

 南原がファシズムVS民主主義で、文明と理性の勝利や!なんて第二次世界大戦を振り返ったのに対して、永井は「戦争の勝敗は実力の結果で、文明・正義・理性とは何の関係もないぞ」とどこかのロッテ選手みたいな感じで喝破するのは、やっぱり時代なんですかね。永井の現実主義は、時代によって埋もれた古典的な政治認識、小野塚のそれを復古させたものとか。まあ政治(思想)史的なのはいいか。

 

 永井が用いる「拘束」とは、要するに国際情勢・構造の理解。それを理解すれば、自ずと日本がとってはいけない選択肢がはっきりする。それがわかれば、後は残り少ない取るべき選択肢から、合理的あるいは妥当な選択をするだけですからね。まあ当たり前のことをやっているだけですね。

 

 で、自らを「政治的リアリスト」として、岡崎久彦のようなそれを「軍事的リアリスト」として批判。またその中には「安全」よりも「独立」を優先する「日本型ゴーリスト」がいると。また「非武装中立論者」というものをあげて、四つのタイプ分けをして、「政治的リアリスト・リアリズム」の重要性を訴えたということですね。「吉田ドクトリン」は永井の造語?「ドクトリン」という用語自体が永井に始まるのかな?

 

 解説では岡崎=軍事的リアリストとなってますが、本文中に岡崎を直接批判するところはありません。まあ当時の状況から岡崎のことというのは当然ということなんでしょうか。

 

 9・11やイラク戦争後における保守文壇の分裂は「軍事的リアリスト」と「日本型ゴーリスト」が別れただけにすぎないと櫻井さんは論じてますね。「政治的リアリスト」は育っているといえるのでしょうか?

 ※己も日本独立の論をしばしばするので、「日本型ゴーリスト」のそしりを受けないように、「政治的リアリスト」であると理解されるように気をつけないといけませんね。

 

 複雑な情勢に対して、一つ・二つの政治態度・回答を持ってよしとしないこと、「均整の感覚」が重要だと。

 

米国の戦争観と毛沢東の挑戦

 三つの型の話、己が肯定的に使う「法の支配」という用語は、永井的に言うとあまり肯定的には使われないみたいですね。欧州は国際政治において効果的な「法の支配」を欠くことを認めながら、勢力均衡を以って行う。法の支配は十分条件足りえず、勢力均衡を必要条件とすると述べていることから、永井にとって己の考えるような「法の支配」というロジックは抽象的、非現実的と言えるのかもしれません。まあ、己も「法の支配」という用語を現実的なもの、すぐ達成可能なものというのではなく、複合的モデルとして、一つの指標・尺度として使っているわけですが。アライメント、現実と理想のアライメントの最極端、最も好ましい理想状態の頂点として「法の支配」があると考えるわけですが(国際政治やってないと何言ってるかさっぱりわからんだろうな、これ)。

 

 機構型の米は、スターリンの状況型とクラッシュし朝鮮戦争へと至った。極度の機構型の果てが、オプションを喪失させる大量報復政策であり、その欠陥を認識したがゆえに生まれたのがマクナマラの戦略。永井曰くマクナマラの外交革命。そのマクナマラ革命において、機構型のまずさを学習した米は、必然的に制度型へと移行する。スターリン死後、現状維持国として平和共存路線へと転換し、現状打破勢力の中国と対立するようになる。その対立をてこに、次第に米ソに暫定協定が作られていくと。米ソの機構型と状況型の放棄と、制度型への修正の過程で起こったのが、ベルリン危機とキューバ危機であると。

 「暫定協定」modus vivendiという言葉がまた出てきたが、大国・覇権国同士が合意を積み重ねていくことを、慣習や和解、相互理解の積み重ねといったものより、永井の時代背景では「暫定協定」という用語のほうがしっくり来たのかもしれない。

 

 この観点から見てはじめて、ベトナム戦争というものの正しい評価が可能になる。これは米中の対決、米はマクナマラによって制度型へ移行しつつある途上であり、中国は状況型で、なんとかしてソ連同様、中国も制度型へ引きずり込むのが米の目的。マクナマラのオプション戦略対毛沢東の持久戦戦略との対決であるとも言える。この戦いがどのようなもので終わるか次第によって、アジア・アフリカ・南米などの「中間地帯」の紛争解決方式に大きく影響をおよぼすだろうと。

 世界のあらゆる場所の紛争決着のモデルになるという世界が注目する戦争であったことと、米中二国間の戦後の関係がどうなるか、どういうルールを採用するかというポイントがあった戦争。中国との核戦争に、革命輸出の問題。二重の問題がベトナム戦争の背後にあるわけですな。

 

 

 Ⅰ米国の戦争観と朝鮮戦争憲法九条はアメリカンリベラリズムの最もラディカルに結晶化したもの。マッカーサーの民主的占領諸政策は、満洲で革新軍人が小型日本(王道楽土)をつくろうとしたのと同じ。

 どうでもいいですけど、戦後民主主義を肯定するなら、マッカーサーのような意図を持って満州国を作った軍人を評価しなくちゃいけなくなりますよね。たまにというか結構、前者を肯定しながら、満洲を傀儡だ!と行って否定する人がいますがなんなんですかね?その矛盾は?別にそれぞれ全肯定する必要はありませんが、両者には通底するものが多いはずなんですけどね。岸信介について満州国作った奴が戦後米とつながっている!なんていうのも見ますけど、むしろ満州国と戦後日本統治が繋がるのは双方の理想主義・価値観念から言ってかなり自然のはずなんですけどね。

 新憲法には無葛藤デモクラシーと無葛藤国際政治感(機構信仰)が存在する。半主権国家の日本が今後最低限度の独立を維持して国際社会で生きていくには、その価値観念はマイナスに作用する。政治的かしこさが必要。それを欠いたアメリカンリベラリズムが世界革命の波にぶつかった時にどういう反応を示したかを見れば言うまでもない。

 米の特異な戦争・平和感、及び工学的戦争観は『冷戦の起源』で既知なので省略。マッカーサーのように外交が失敗したら政治家は軍人に任せて口を出すな、すっこんでろというのが象徴的なもの。十字軍のような全面的コミットメントか孤立主義の全面撤回かの両極端の反応を見せる。

 限定戦争という観念に乏しく、紛争を有効に利用する政治的リアリズムがない。力を有効に利用して紛争の防止、抑止、局地化、限定化という発想に乏しい。ゆえに軍縮や機構管理による全面禁止という発想になる。結果、力の裏付けのない門戸開放政策は、日本軍部の無制限な大陸進出を招いた。

 ※おそらく軍縮協定とそれに伴う、九カ国条約とかそういうもののことかな?機構信仰というのは。いずれにせよ軍縮と条約さえ結んでしまえば平和というものは簡単に達成できるというおめでたい価値観ですね。平和というものは容易に構築することが出来るという発想は、水と平和はタダに近いものがありますね。

 元々「使えない」核兵器を独占して、それによって平和を保とうというのは、道徳的懲罰感を伴ったグロテスクな機構信仰の発露である。

 

 ヤルタ会談では、機構型・制度型・状況型の三者会談だった。故に同じ言葉を用いながら、それぞれの考えている前提は自ずと異なったものになった。自由な中国の「自由」の意味合いは米ソにとって同じ意味を持つ言葉ではなかった。チャーチルは戦後ソ連の影響力を最小限にするために、バルカンからの第二戦線を進言した。ヒトラーは確か、バルカンでの第二戦線を予想していたと記憶していたがどうだったかな?もしそうならチャーチルの意図を読んだ上でのことでしょうね。チャーチルと並んでヒトラーとこの二人だけが、正しく戦後の状況を読んでセオリー通りに行動していたというのが面白いですね。

 

 米が一方的な軍縮に踏み切った結果ことこそが、冷戦を招いた。封じ込め政策こそが冷戦を招いたのではないことだけは確か(containmentは封じ込めでは意味が強すぎる、相応しくない、もっと消極的な意味が強いとあるけどどうだろ?)。冷戦のきっかけには、米が中ソが西欧の正統秩序に挑戦する革命勢力であることを理解していなかったことがあげられる。

 

 和戦未分化の状況を作り出し、内部矛盾(階級闘争・民族闘争)などを煽ることで革命に有利な状況を作り出していく。レーニン流の考え方からいえば、革命は戦争の他の手段に寄る継続・延長であり、平和に革命が潜んでいる。外交も究極的な革命に基づいている。力の真空から相手の譲歩を引き出そうとする。スターリンは力のないものへの蔑視で有名であり、「ローマ法王は何個師団を持っているか」という伝説にそれが表されている。親露・親ソで東欧を固めようという意図は一貫して変わらない。力の均衡を無視して、善意によって撤退し力の真空を生み出した米の人の良さと価値観が根本的に異なる。もちろん善意や人の良さは国際政治では許されるものではない。

 

 米はソとの全面戦争のみで、局地戦争を考慮に入れていなかった。領土問題で中ソの対立が引き起こされると見ていたから、朝鮮戦争は戦争の発生と中ソの協力で、二重のショックであった。※スターリンの冒険も米の局地戦争のプランの欠如という背景は大きく思える。戦争の発生で中ソ関係も強化できるし。

 

 通常戦力の脆弱性は、欧州への戦争拡大の懸念と相まって、核を使えなくした。よって未訓練の在日米軍を投入するに至った。現状回復から南北統一まで目的は揺れ動き、中国の義勇軍を予測できず、作戦の過誤が多かったのは限定戦争のプランがなかったことを示している。また国連軍という聖戦のモラル、勝利なき戦争によって、万能米の幻想が傷つけられ、中国喪失の神話と相まってマッカーシズムにつながっていく。

 ※貴重な朝鮮半島の失敗の経験は、自分たちの錯誤ではなく、ソ連という「悪」のせいということにされてそうで怖いのですが、実際どうなんでしょうか…?

 

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