てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

「政治活動」は正義を実現するものではない

18歳選挙権:高校生のデモ参加容認…文科省通知案bit.ly/1NgjPOs

 高校生の政治活動を一部容認みたいなのを見て、むしろなんで今まで政治活動を制限していたんだ…。ほっとけよと思いましたが、学生運動の名残だとか。卒業式の妨害とか、そういうものの対策から生まれたみたいですね。卒業式の妨害が「政治活動」とは到底思えないですけどね。政治を名目にすればどんなことも許されるって愛国無罪みたいですな。

 「政治活動」という大義名分のもとに、ムチャクチャをやったバカがいたということなんでしょうね。結果、それで支持者をなくして、「政治活動」は弾圧してしまっていいという事になってしまったということなんでしょうか。

 なんというか、そういう「ラベル」を手に入れるとムチャクチャな振る舞いをするという現象がありますよね。マリオでいうスター取って無敵状態みたいな。人はそういう権威を手に入れて、自由に振る舞いたい。あらゆるものを従えたいという低俗な欲求があるということでしょうか。

 当然、ちゃんとした主張を持って、まっとうな「政治活動」をやっていた学生もいたはず。その学生たちにとっては迷惑極まりない、不届き千万だったでしょうね。

 「政治活動」禁止で一括して学生の主張を弾圧してしまえば、当然その学校内は閉鎖的な環境になる。閉塞感が漂う危険性を伴うわけで、そういった危険性は認識しなかったんですかね?

 学生のくせに生意気だ!ガキのくせに生意気だ!俺達のやることにケチをつけるな!ということだったのでしょうか?まあようするに学校内で生徒が異議申し立てをするルートが存在するかしないかが、ポイントになると思うんですけどね。異議申し立てがない組織は民主的とはいえないですから。

 
 「ラベル」を手に入れてムチャクチャな振る舞いをするというものではSEALDsというもののブロックリストという振る舞いはそれに値するかもしれませんね。「ネトウヨ」なる、迷惑行為を繰り返す人はまあ存在します。その危険な人、要注意人物を予め教えてあげるというのは問題無いでしょう。

 しかし、SEALDsがやっているそれには4500人くらいのアカウントがあるとか。賛同しないけどRTした、あるいは監視目的でフォローした―にもかかわらずそれをもってしてブロックリストの対象になるとか。ブロックリストをやっている人が、それで、「違うのにブロックにされてる人は教えて下さい。対処するので」みたいなツイートをしていましたが、呆れて物が言えないというしかないですね。

 身に覚えがなく、ブロックされた人がそれでああそうですかとなるか?むしろ、「それで結構、勝手にブロックしといてちょうだい、あなた方とは今後一切関わりたくないので、むしろ有り難い」となるでしょう。

 ミュートという機能が導入されたのに、ブロックする必要性なんてない。ブロック機能は敵を作る・増やす悪手。政治(交渉)において、中間派を切り崩すこと=味方を増やすことがどれくらい重要か言うまでもない。政治のセオリーをガン無視して一体何が出来るというのか…。

 そういう大衆運動上の悪手というだけではなく、そこにあるのは、自分たちこそ「レフリー」という感覚でしょう。本来政治運動・政治というのはその競技の「プレイヤー」になることです。ルールに基づいて、プレーをして、それを見てもらって、評価されて、支持者を増やし、政治目的を達成していく。それが「プレイヤー」としてあるべき姿でしょう。

 ところが彼らがやっているのは、カウンターサイドに有る相手チームの「プレイヤー」に対する攻撃をやっている。政治ゲームでは、そういう攻撃をするということももちろんありますが、それは「プレイヤー」の本質ではない。米の大統領選挙で、ネガティブキャンペーン有権者からひんしゅくを買うというのが一時話題になっていましたが、相手チームへの攻撃、ネガティブキャンペーンというのは支持者を増やすものではないんです。

 そういうことがわかっていない、排除の論理を掲げすぎている。「ネトウヨ」なるものが排外主義者だとして、「排外主義者を排除せよ」という同じ論理で立ち向かっていることに気づいていない可能性がある。排除の論理を掲げるのは同じだという危険性に気づいていない。

 自分たちを、「判断を下す者」と考えているから、彼らはルール違反である退場せよ!という主張を平気で掲げられるのでしょうが、しいて近い役割を持つものを上げるとするなら、それは裁判所などの役割。大衆運動が主張すべきことではない。それは一歩間違えて暴走すれば、自身たちこそが排外主義者となってマイノリティを排除することにつながりかねない。

 私達はこう考えます。ぜひ賛同を・協力をお願いしますという姿勢でないといけない。「自分たちこそが正しい」「正しいことをしている」「善だからそれに従え」という危険性がそこに潜んでいる。自分たちこそが「レフリー」だから、排除の命令を下せるし、下していいと考えてしまう危険性を指摘する指導者、学者がこの団体の周辺にいないのは致命的でしょうね。

 行動を起こして、社会を変えようという姿勢について評価してきましたが、やはりダメっぽいですね。こういうことをしてしまう以上、内部からこういうことをしてはいけない!という強烈な批判が上がらない以上、もうダメだと思います。組織内部に健全性が作動することはないでしょう。

 自己批判できない組織、運動が目的を達成することはありえないでしょうね。*1

*1:こういうレフリー化してしまう。自分達こそが裁く!というのは、正義の実行車になったつもりなんでしょうね。自分達こそが正義であり、正しいことを行っている。正解を知っているという歪んだ姿勢・価値観を持っているからこそこういうふうになってしまう。暴走する。これはなんなんでしょうか?行動しない=凡人、行動する=善人みたいなことで自身の価値を上げたいという歪んだ願望が底に潜んでいるのでしょうか?運動をする自分が素晴らしい人間だという歪んだ価値観・前提を徹底して叩き潰す必要があるように思えますね。田中角栄がどうぞお金を受け取ってくださいという姿勢でお金を配れと言ったように、どうぞ惨めでドジでバカな私にボランティアをさせてくださいという精神が必要ですよね、運動をするものには