てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

ラノベの「石鹸枠」の話

CSファイナルについて書こうと思ってたら、時間がなくなったので簡単に書けるものでごまかします(いつもごまかしてるけど・・・)。

 

 ―このラノベ及びそのアニメについての解説が面白かったのでそれについて書きたいと思いました。「テンプレラノベ」には、「石鹸枠」という単語が存在して、そう呼ばれているんですね。由来は『星刻の竜騎士』というアニメのOPの聖剣というのが、石鹸と聞こえるからとか。

 関係ないですけど、最近ニコ生のアニメで一週間見れる作品が減ってきましたね。昔はニコ生で全部の新作アニメが一週間公開されているものだと思って、結構見逃していましたね。ああこんなアニメやってたんだという見逃していた作品が随分あることに後から気づきました。まあ全部見るわけにはいかないので、殆ど見ないでしょうけど。この『星刻の竜騎士』というのも知りませんでしたね。

 

 今期おもしろいアニメがニコ生でやらない、『うしおととら』とか『俺物語!!』(もう前期で、映画化の影響であとから無料公開されましたが)とか、あるいは一期はやってたのに、二期はやらないとかそういうパターンが増えました。人気があるならやる必要が無い、あるいは二期のためにニコ生で一期だけを流しておくというのが昨今の流れなのでしょうか?

 ニコ生でやって、いくらネットでの人気になっても、もはや売上につながらないみたいなデータが出来て、もう無料公開する必要が無いみたいなことになっていなければいいんですけどね…。『ばらかもん』が無料公開やってるみたいに時間空いてから公開したほうがマーケティング的に意味がある、今後はそういうふうにやるというのなら良いんですけどね。

  

 話を戻して、テンプレラノベアニメ・石鹸枠がどうして似たような展開になるかというと、メインヒロイン=全裸・着替えという「肌露出」と「乳揉み」(≒ラッキースケベ的な身体接触全般ですかね)というお約束があると。それによって「キャラ立て」を行っていると。全裸など過激な姿は、ヒロインというキャラ付けをするために必要な仕掛け。見る側に強烈なインパクトを与えるためだと。まあ、「つかみ」として存在するわけですね。

 

 「乳揉み」などにより、強烈なインパクトを植え付ける。まあそれによって「波を立てる」わけですね。これが読者を引き付ける「お約束」の一つになっていると。肌見せ&乳揉みはヒロインに必要なイベントなわけですな。ハーレム系が多いがゆえに、次々出てくる女性キャラと選別を図る上でも「誰に石鹸を塗るか」というのがポイントになる。出てくる女性キャラ皆がヒロインになりうる可能性があるために「石鹸を塗る」必要があると。

 本文中にキリスト教の概念・ロジックを利用して、「油」ではなく、メインヒロインに「石鹸」を塗るという言葉を当てるところが面白いですね、んで「子羊」ではなくそういった作品を好んで享受する人達を「子豚」と称するのもセンス感じますね(アニメを好むものを蔑称(尊称?)で萌豚などと呼ぶことから来ているのでしょう)。

 魅力あるヒロインを選定するのが大事な要素ですから、「石鹸を塗る」作業は重要ですね。また非処女・NTR・浮気行為がNGなのは、神なる主人公に自分を投影する読者を裏切る行為だからNGなのだと、なるほどなるほど。

 

 しかし、そういうテンプレ「ラノベアニメ」「石鹸枠」も、何作も同じ傾向ものがウケるものかな?3~4作くらい読んだり、視聴したら、流石に飽きるのでは?ずっと同じ系統のこの「石鹸枠」を好んで消費し続けるディープな人は良いかもしれないですけど、そういうテンプレを好まないライトなオタクの方が多い気がするんですけどね。

 固定ファン・固定客がいる。その顧客がある一定程度の売上を支えてくれる分、売り出しやすいという構図にはなるんでしょうけどね。故にこの「石鹸枠」が目立つのもまた必然ですね。出版社側、アニメ制作側は、とりあえず世に出してどれか一本でも当たればいいなという感覚なんでしょう。

 

 作品のメインストーリーは多少かぶっても、いくらでも色んな話を作れますし、枯渇する。新作がまるで出てこなくなるということはありえないとして、ポイントはハーレム系とか、テンプレ化しつつある作品のバックグラウンドですよね。結局、今の流行りの作品というのは、金太郎みたいな出世ストーリー(?)で、生まれる→強く育つ(熊と相撲)→出世(源頼光に仕え四天王という重臣に)→ラスボス退治(酒呑童子成敗)みたいな物があると思います。めちゃくちゃざっくりしてますけど(^ ^;)。

 桃太郎のほうが適切かな?まあ動物を家来にする必要性はないですけど、成長して、鬼=強敵を倒して、ピーチ姫=ヒロインと財宝を手に入れて幸せに暮らす。ストーリーモノの王道ですよね。苦難&強敵と戦い成長、仲間・友の助け、ヒロイン・美しい女性を娶る、勝利の褒章として金・名誉・地位などを手に入れるというね。

 

 そうだ『キングダム』があったから、それを譬えに使えばよかったんだ(笑)。海賊王に俺はなる!的に、大将軍という人身最高の位を個人の腕力で達成する。剣一本で成り上がり出世街道を驀進する―というわかりやすい究極のシンプルなストーリー。美しい良い生まれの女を嫁にして!って序盤で言ってはみたものの、メインヒロイン要素が薄いですけどね。

 何が言いたいかというと、要するに「ラノベ・石鹸アニメ」だと言われても、そんなに昔からの王道に外れたものではないということです。昔っから、「戦って勝利して(時に負けて)、その経験を経て成長しかつ褒章を手に入れる」という王道ストーリーの延長上にある。

 その褒章の中の一要素の「美女」を手に入れるという要素がこれまでにないくらい、過度にクローズアップされているだけのことでしょう。その「美女」を手に入れる、男女関係をクローズアップする作品が現代の主流になっている。そういう作品が受容されるようになっているのが現代の特徴。

 

 創作作品に「承認欲求」を求めるのは当たり前で、個人の成長という強さ要素が重視されたり、金や財産を増やす要素が重視されたり、出世で地位を手に入る要素が重視されたり、そういう作品は探せばいくらでも見つかるわけです。

 ちょっと前までのドラマなんか戦争テーマに、男女が生き別れてみたいなのをテンプレとしてやってましたしね。テンプレの代表といえば、時代劇ですね。一昔前はアホみたいに江戸時代を舞台にした作品ばかりだった。

 またサスペンスで温泉で美女(?)が裸見せて、犯人が崖で告白とかありましたよね?変身ヒーローモノとか、ガンダム以降のロボットアニメモノとか、時代の流行りで一時そればっかり作られるという流れは必ずあるわけですね。

 そういうテンプレの現代風のものとして、主人公が異性にモテモテというのは出てきている。それが非情に重要な要素になっている。それこそが現代人が望む重要なテーマの一つなわけですね。異性に求められる、好意を寄せられる主人公というものを憧れとして需要するのが現代的特徴なわけです。

 『女系家族〈上〉〈下〉』とか、『白い巨塔』とか、『罪と罰〈上〉〈下〉』(『カラマーゾフの兄弟 』だったか?)とか、生まれの身分の低さを克服する。出身が卑しければ一生それがついてまわるゆえに、なんとしても高い地位・身分を手に入れたいという背景・話があるわけですが、そういったテーマは枚挙にいとまがない。当時の人にとって切実な、重要な関心・テーマだったわけですからね。

 

 異性からの好意を得たいというハーレムものは、むしろ今の時代にようやく根付くようになったと見るべきじゃないでしょうか。逆のパターンで、一人の女性がモテモテというものも最近では珍しくないですからね。

 まあ要するに、金を手に入れました・地位を手に入れました!素晴らしい冒険をして素晴らしい体験&アイテムを手に入れた!最高や!―にこれまではなっていた。今まではそういった価値観だったわけです。ところがそれだけではなく、異性を手に入れることも複雑なプロセス・ストーリーが求められるようになったわけですね。出世して、若い綺麗な女性・男性を金で手に入れられるようになりました、ああ幸せです―じゃあダメだと。

 今まででも恋愛モノはいくらでもあったでしょ?と言われるかと思いますけど、恋愛モノにおける「異性の獲得」とは違うんですよね。あくまで自分が主役のストーリーでのメインストーリーを回収する上での重要な副要素であるのがポイント。まあ詳しくないので、いやハーレムを築くのがメインだというのもあると思うんですけど、おそらくポイントは異世界とかでのファンタジー要素で、その恋愛・ハーレム要素が絡んでくることだと思いますね。

 ということで、別に、「ラノベアニメって裸見せて乳揉まれる」だけの糞作品だろ?とバカにされてぐぬぬ…になる必要はないということ。現代風の流行の一つ、傾向なんだということですね。どんな作品だって、そういう流行りものの影響を必ず少しは受けていますし、テンプレと言われて気にする必要はないと思います。

 まあ流石に、いろんな作品で裸と乳揉みがテンプレ化する流れにある以上、新作を書く人は違った形でメインヒロインを生み出す努力が求められるとは思いますけどね。こういう飽和状況が出たということで、それを打ち破る新しい天才の登場が待たれるというところなんでしょうかね?