てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

孫子の話

孫子についてつぶやいたことをまとめたいと思います。何故か孫子をつぶやくと反応があるので。

 

 そういえばこんな記事も昔書きましたね。多分、金谷さんの旧版ですよね。読んだの。以前、浅野裕一さんの本読んで、面白いじゃないかと思い、諸子百家に手を出そうと思っているところ。そんなところに、浅野裕一さんの方の孫子は新資料の出土があって、従来の解釈では疑わしいとされていた先秦時代の解釈の方が正しいという動きがあると。後世の解釈・改ざんが入っているとみなす、懐疑的に解釈し直した疑古派の解釈を修正しているとか。浅野裕一さんの解釈では従来のものの真逆の節になるものもあるらしいですね、要チェックですね。金谷さんの新版では、そこのところはどう修正されているんでしょうかね?

 

 老子だろうが孫子だろうが、「戦わずして勝つ」とは言わない。要約・意訳するとそういうことにもなるのだけども。実際は「争う段階にすら持ち込むな。その前に終わらせよ」という話。前者は宗教的境地・哲学的な視点であり、後者は政治・外交・軍事的な視点によるという違いがある。

 

 老子宗教的なものだから誤解は起こりづらかったのだろうけど、戦いにすら持ち込ませない。故に、勝敗という観念に至らない理想を持つ孫子のエッセンスとして「戦わずして勝つ」というのはちょっとおかしな話。いつごろからこのフレーズがあるんだろうか?日本だけ?中国にもあるのかな?

 

 まあ、最終的な理想=ゴールが「戦わずして全てを終える」「争いにすら持ち込ませない段階を作る」というもので、それはあくまで理想・原則論・ベースの話で、そこにどうやってたどり着くか、理想の境地に至るまでの話が主体ですからね。孫子の時代は、弱者・それほど強くないものが、いかにして弱肉強食の世を渡るかという読み方をするのが主流だったでしょうしね。

 

 弱小国がいかに生き残るか?という視点からすると、理想の「戦いに持ち込ませない」の一歩前の良い境地として、「戦う前に勝て」という要約・エッセンスになってもまあ至極当然のことなんでしょうね。彼らにとって戦争しないこと、というのは考えづらいですから。開戦の前に「戦う前に勝っておけ!勝つことを確信出来てから始めよ!」という発想に至るだけで、無駄な戦争の害を引き起こさなくなりますからね。

 

 当時の国際事情では、戦争で勝つことは最大の関心事だった。そして、勝たなければ死ぬ・国が危機に陥るという時代でしたからね。「戦わずに終わらせよ!」というキャッチフレーズでは理想論過ぎて当時の君主には響かない。「戦わずに勝つ」という方が響いたでしょうね。

 

 政治・外交の要諦は、自国が圧倒的に優位な立場を構築して、戦う前から戦いに持ち込んでも無駄だと思わせよ。自分が弱者ならば強者とは戦うな。戦うなら強者をあらゆる手で弱くせよ。こちらも強くなって、確実に勝てるようになってから戦って、最小限のコスト・リスクで最大限のリターンを得よ―ってことでしょうね、孫子

 

 

ついでに昔つぶやいて人気がああった経営と共通する孫氏の話を。

 孫子の兵法というのは、あの時代の軍隊は一般人を徴収して兵士に仕立てあげる前提で作られているんですね。ですから、誰でも兵士にできるような前提で書かれていますよね。プロの兵隊を基礎としてはいないんですよね(もちろん、特別職はちゃんとありますが)。勇怯は勢なり(兵士が勇ましいのも臆病なのも状況で決まる)とか、一般兵士が凡人、アマチュア兵であることを前提とした上で、理論が構築されていますよね。

 

 兵法・軍事的な発想が、経営論に生かされているとはよく言いますが、そういう一般社員≒兵卒をいかにうまく活用するかという点ではベースが同じなんですね。ですから応用が効くので、孫子の兵法みたいなのが経営者などに人気が出る。人を使うノウハウが書かれているので、管理職とか読むんですよね、あれ。

 

 世界の基準だと、雇う従業員は馬鹿野郎とかろくでなし。この前提でそれをいかに使いこなすかという発想になっている。日本がそれとは違って、従業員のサービスは、バイトだろうと質が高くて当たり前となっているのは、「勤勉革命」なんかに基づく伝統的な発想なんですかね?やっぱり。

 

 それとも、明治維新以後による、教育の成果・富国強兵の影響によるものなんですかね?どこまでも働く優秀な労働者となって、国に奉仕せよ!的な影響なのか?また戦後の大学拡充による、都会に出た大卒サラリーマンが、労働によって人と連帯を築くという図式からか?猛烈サラリーマン的な価値観からなのか?ちょっと気になる話ですね。