てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

【読後感想】 中国の資本主義について

 

小室直樹著 『これでも国家と呼べるのか : 万死に値する大蔵・外務官僚の罪』続き小室直樹著の話を書き、

 ―で韓国併合条約について書きました、そこで中国の資本主義の話を別で書くとしましたが、その話についてです。カテゴリーがアレでブログ移転の際にインポートできなかったので新しく書いていますが、元は 10/10に書いたものです。

円高崩壊は日本経済・社会を滅ぼすか】
 日本の経済危機の一つの可能性として円高が崩壊すること。その可能性が指摘されてますが、おそらくこれは考慮に入れなくて良いでしょう。無論急激な円安、通貨安は経済危機になりえますが、その可能性はかなり低いと思います。
 というのは、今まで国内金利の異常な低さと銀行の不健全性というのは徹底的に論じられているわけです。しかし国民は一見不合理ともいえる銀行への貯蓄を行っています。なぜでしょうか?それはリスクを嫌うから、投資をするにしても最小の投資しかしていないのです。
 なぜか?それは賢くないから、金融のトレーニングを受けてないから。よほど金融および経済、世界情勢に詳しくないと投資を日常化することなどできないからです。むしろこの自己の賢くないことを認識してリスクを犯さないことこそが、逆に賢いといえるでしょう。むしろリスクを犯す必要がないほど、物質で満たされている現代の環境を考えれば、必然といってもいいでしょう。
 アメリカの一割の人しか投資に参加していないように、実は投資家はそれほどいないのです。しかし日本では、同じように人口の一割ほど、つまり1300万人も投資家層がいるのでしょうか?そこら辺は気になるところではありますね*1。日本経済を活性化させるために優秀な資本家、投資家の存在が大事。そのまま日本経済の健全性に繋がります。それを前提に税制を考えなくてはならないでしょう*2大前研一氏の言う資産税。ただし、投資や消費をしたら資産税をとらないという、凍りついた巨額の個人資産を動かす仕組みがポイントになるでしょう。

【なぜ中国は発展しているのか?―資本主義化しないはず】
 冒頭で関係のない話から話を始めていますが、気にしない。さて移行経済学なんて学問があるように、どうすれば資本主義化するか、市場が作動するかが問題。引用↓

中国は、社会主義市場経済と称して、市場を何とかして自由に動かそうと苦心惨憺している。が、いっこうに「自由に動かない」市場が多いので弱りはてている。
 「労働(経営)を宗教的活動であると看倣す」精神は、資本主義の発生期では必要である。が、資本主義が成立し軌道に乗った後では、かくほどまでの精神は、必ずしも必要ではなくなる。経営者も労働者も、目的合理的エトスを、資本主義システムの中で自ら学習するようになる。さもなくんば、落伍して、資本主義で生活をしてゆくことができなくなってしまうであろう(ウェーバー著『プロテスタンティズムの論理と資本主義の精神』大塚久雄訳・岩波文庫51頁など参照)。
 資本主義、あるいは「資本主義に近いもの」でも、次のような労働者と経営者とがいなければ作動しえない(これがいわば、最小限の要請である)。
 よく働けば、それなりの報酬が得られると納得している労働者。生き生きと張り切って新機軸を出す経営者。このエトスを広義の資本主義の精神と呼ぶことにする。右のような資本主義の精神が存在することこそ、市場が自由に動くために不可欠な条件である。分析は省くが、中国以下の国々には、これが存在しない。ゆえに市場経済は作動しない。このことの重大さについてはいくたびも強調してきた。しかし、いくたび強調しても強調しすぎることはない点である。

 

【過去の著作の提言―近代化(資本主義化)には軍隊を活用せよ!】
 さて氏の分析では中国には資本主義の精神が存在しないはずだった。そして「市場が動かず困る」とされている。なのに、現在の中国の発展振りは一体どういうことなのだろうか?実は氏の過去の中国分析で、中国が経済発展するには軍が資本主義的労働者を供給すべしと説いていた。軍隊は資本主義を養成するのである。

戦争と資本主義 (講談社学術文庫)

戦争と資本主義 (講談社学術文庫)

 

 ゾンバルトが言うように軍隊と民主主義・資本主義は密接な関係がある。軍隊が民主主義、資本主義を作ったという要素に注目したゾンバルトはもっと称えられてしかるべきでしょう。ただ彼の著作は論理を裏付けるものが多くて、やや冗長・読みづらいという気がします。恋愛・贅沢そしてまたユダヤ人が貢献した背景を説く彼の説は傾聴すべきものがありますね。


 話を戻して、小室氏は軍隊で「時間を守る」人間、「規律ある」人間を作る。結果ふさわしい労働者が供給される。仮に軍隊内でふさわしい人間形成に成功する例が十分の一だとしても、膨大な数になるから十分計算できる。そして冷戦後、単純労働は安い途上国に持っていかれるから、その受け皿になればよい。―とまあ、ママ現在の状況、経済発展の基本構造を冷戦終わりたてのころに解説していたのはビビりましたね。

 つまり中国でなくても、東アジア諸国は独立戦争を経験し、軍隊によって規律の観念が植え付けられたとする。軍隊だけに限らなくても、近代教育・学校などで資本主義にふさわしい労働者が作られるようになったとしてもさほどそこに異論・違和感はないだろう。この点はクリアされた。

 

*3


 では経営者はどうか?というより整備された市場がそもそも成立しているのか?ということになる。当然制限された環境にある中国市場が完全なもの、自由市場モデルに近いわけがない。むしろ程遠いといっていいだろう。それでも発展しているのはなぜだろう?まだ経済学はこのモデルを構築できていないのではないか?*4
 おそらく、次のような説明が一般的なのではないか?<グローバル経済によって、国境の垣根が従来より低くなった。これまでの経済の理念型・モデルは一国単位で考えるようになっている。その一国前提モデルが崩れた。一国モデルであるならば中国の発展はなかったろうが、中国は先進国の経済に組み込まれた結果、外資主導によって経済成長ができるようになった。>そして、その構造の上に資本主義の精神は成立する。中国人内部で労働=救済の精神を生み出さなくても、いったん資本主義の規範、生活様式が成立すれば、それはもはや必要ではなくなるのだから。

【成長の秘密、本質はセイの法則にあり】
 このような理解で、おそらくあまり不都合はないのであろうが、さらにセイの法則について触れておかなくてはならないであろうと思う。↓引用

セイの法則」Say’s law of demand―ケインズ経済学は最早「セイの法則」が通用しないと考える。「供給は需要を創造する」Supply creates its own demandこれが、「セイの法則」。この法則が作動するうちは経済はうまくいく。
 ではセイの法則が成立するための条件は何か。森鳴通夫教授いわく、資本主義の初期のように、耐久財が存在しなければ、セイの法則は成立し失業は存在しない。また、初期資本主義のように、資本家と経営者が同一人であれば貯蓄は投資されるから、セイの法則は成立し失業は存在しない。
 産業革命が完成し、工場生産が一般的となるや、大型機械などの耐久財の存在は、もはや無視できないほどに資本主義に普遍的となった。かくて、耐久財のジレムマが発生してセイの法則は成立しなくなり、失業の発生は必然化した。また、シュムペーターが強調するように、資本家と経営者は別人となって、貯蓄はすべて投資されるともかぎらないことになった。セイの法則は必ずしも成立せず、失業の発生はありうることとなった。

 つまり、セイの法則が機能している。その一言でこれは説明がつくのではないだろうか?*5そして現在の経済成長はそう説明されているのだろうか?ちょっとググっても中国の経済成長はセイの法則が成立しているからという指摘は見られそうにない。無論己もセイの法則について氏の著作にふれている以上の理解があるわけではない。ここからちょっと長いんで↓のまとめまで飛ばしてもかまいません。わかりにくいかもしれないので。

【モノを作れば売れる、経済が発展する=セイの法則
 しかしWikiにあるように『国(国家の経済)は、支払いうるだけの販路を提供するのであって、より多くの支払いは、追加的な生産品に対して行われるのである。貨幣は相互の交換を一度におこなうための仮の穴埋めであって、交換が終わってみれば生産品に対しては生産品が支払われている。』
 つまり、経済活動は畢竟、モノ(=生産物)とモノの交換し合いに過ぎない。モノモノ交換ごっこが経済活動の本質だよ!の一言に尽きるであろう。もっといえば、セイの法則とはモノを作れば売れる!だから作れ!何?経済が不調?バカヤロウ作ればいいんだよ!作れば!作れ作れ!というごりおし精神だ。はかたのごり塩精神で成り立っている。

【古代供給なき時代⇔現代需要薄き時代】
 今から見るとなんでこんな馬鹿なことが言われていたのか?という気になると思うが、今のように世界がどこからどこまである。そして飛行機、新幹線であっという間にいけるという時代でなかった。電話も自動車もない時代を想像すれば今の世の中がいかに機械文明で埋め尽くされているか良くわかる。どんどんどんどん、新発明・機器が現れては広がっていく時代。そうでなくても衣食住にかかわる製品に対する需要は有り余るほどあった。古代はなにもないから、基本人は何でも欲しがる。現代は一定の需要が満たされれば、そこから財布の紐をゆるめさせるまでにハードルが上がる。その仕掛けを作るのに苦心惨憺する時代という違いがあるわけですね。

【宗教は需要を抑制するため】
 儒教・仏教・そのほかどんな宗教、もちろん一神教でも、その教理の中心に個人の欲求を自制させることがあるのを見て取れる。個人の需要を認めてしまうと、社会が壊れてしまうからだ。古代社会の思想にはクライディングアウトを引き起こさせないために、需要・個人の欲求を抑圧するという考えがベースになって作られている。需要そのものを抑えこむという経済方針を採っていたことが良くわかる。
 いかに需要を押さえ込もうと生きようという欲求自体が需要につながるのだから、需要がなくなることはない。欧州にとってもっとも有利だったのは適切な規模が常にあった。成長するに、ふさわしい環境が整いやすかったことが大きかっただろう。その人種やキリスト的精神が何より優れていたからなどという説明、オリエンタリズム・歪んだ見方はいちいち説明するまでもない。産業革命まではほとんどコバンザメのように帝国間貿易の仲介をする存在でしかなかったのだからなにをかいわんや。

【都市こそが経済発展の奥義】
 次から次へと新しいものがやってきて作れば売れるという状態。何より都市が発展するとき、Capital(都市)ism=資本主義というくらいで、経済が何より成長するときだ。都市こそ市場そのものといっていい(実際にはそこからさらに離れて抽象的・理念的なマーケットにならなくてはならないが)。農村から都市に人が流れる=労働集約産業が興るわけだ。経済が成長するには資本投下量が増えるか、技術革新が起こるか、労働生産性が高まるかのいずれしかない。簡単に説明するとマネーの全体量が増えるか、参加する人の数が増えるか、根本的に生産効率が上がるかの三つだ。資本主義は効率を求める、そこには規模の経済が適用される。
 一箇所に集中して効率の良い生産が行われる、このことの波及効果は説明しても説明したりないほどのインパクトをもたらすだろう。都市は製品を作るだけでなく、人間が大量に集まるのだから当然消費地をも作り出す。供給が同時に消費をも作り出すのだ。

 
 まとめ―興国期には、都市・資本主義が起こるときはセイの法則が成立する。セイの法則あるとき、波及効果で高度経済成長が起こる。中国の今の高度経済成長は、日本もまた同様で、欧州が200年かけて緩やかに成長した分が、後発性の優位で一気に成長する。短期間での爆発的な変化ゆえの高度経済成長である。そういうことが言えるのでしょう。
 日本という国土も人口密度が高く、小さな範囲に1億を超える等質的な国民がいるという他国にない優位性があったのも特徴ですが、中国はここ20年ほどで急激な変化・成長をしています。それは中国のすごさというよりはむしろ、いかに時代に、世界に取り残されていたかということの表れだといえるでしょう。

【今の中国は日本のバブル期と同じ】
 セイの法則が成立している=バカづき状態ですね。わかりやすいのが日本のバブルのときです。あれと今の中国はおんなじです。厳密に言うとバブルっていう言い方はちょっとおかしいのですけど、それが一番わかりやすいのでそうしておきましょう。都市が次々できているのが今の中国であって、日本の高度経済成長のとき農村から都市に大量の人口移動が起こったのと同じです。そこに技術革新が殆どなくても、生産性要素のうち労働人口が増えるだけで成長するのですから、笑いが止まらない状態なんです。これは資本主義化してきた世界中どの国でも起こった当たり前のことです。労働増→製品&消費増→売り上げ&賃金増→投資or貯蓄という経済の好循環サイクルが成立しているといえるでしょう。資本家も労働者も。黄金サイクルが成立しているので、ほっといても発展します。ぶっちゃけていえば、興国期・資本主義の誕生期に市場経済のルールを熟知している必要はないのです。もちろん最初から備えていたら言うことはないですが、
それが必要になるのは、改革・規制緩和*6して、市場に不合理な経済体質を是正してもらうときなのです。


【現在の中国の経済成長モデルは確実に行き詰る】
 中国経済の強み、成長の理由=セイの法則が成立している。ただそれだけなのです。もちろんこの法則は永遠に続きません。先進国を見ればわかるとおり、人間の個人的需要は必ず行き詰るのです。都市化による成長も開発しきれば当然止まります。ケインズ経済学が登場したときはまさに、世界経済の転換点でした。個人の需要を資本主義がかなりの部分満たしてしまったことが、世界恐慌をまさに引き起こしたのですから。中国もいつか必ず、セイの法則が頭打ちになるときが来ます。必ず来ます、来ないわけがないのです。そしてそのとき中国がどうなるかいうまでもありませんね。それはまた後日に譲ります。<了>*7

*1:気になってググってみたら、デイトレーダーが22万人という数字が出てきました。株を何らかのかたちで保有している世帯自体は珍しく無いとしても投資家とはいえないでしょう。やはり100万人とかその程度ではないでしょうか?

*2:優秀な個人投資家が育つような教育/社会制度ではないというネックがあると思いますけどね…

*3:話がそれましたね(^ ^;)って書いていて、本当に話が散らかってしょうがないので、脚注に飛ばしてやりました。消すのももったいない時に、こりゃ便利ですな。中国資本主義の話だけしてりゃいいのに、なんでこんな日本の問題を書きたがるのか、飲み屋でのクソ上司の説教みたいになってますね

【脱線―日本社会の危機の構造】
 そして労働を救済とするまでの精神、労働それ自体を目的化する精神はないのでは?という疑問が発生する。日本人がワーカーホリックとまで言われたのは、それが起こっていたから。ただし労働ではなく企業が共同体(企業共同体)となり、その企業で認められることが救済salvationとなっていたから、自己の所属する社会でより高い地位を占めること、尊敬の念を得ること、それが人間の生きる目的となっていたから、日本人の資本主義の精神は変則的な形で、日本独特の形をとって実現した。逆に今はそれが大きな問題となって、経済を阻害しているのだが、このことをもっと指摘する人間がいてもいいと思うのだが…。氏が指摘したものをより広範に説明すると以上のようになる。ま、氏の理論の延長上だからあたりまえか。
 昔は企業、職場と家族の共同体が大きく隔てられるものではなかった。農村のムラ共同体のように、働く場所と家族と地域三つの共同体が密接に結びついていた。しかし今は学校、地域、職場が大きくかけ離れている。親子間の絶望的な断絶はここにある。学校と企業が親子間…家族間を断絶している。こんなおかしい話はない。なぜもっと家族を守れ!家族を再生させろ!企業と学校は大いに反省せよ!という声が起こらないのか?生き方すべてを見直すときが来ているのに、誰も解決策を示せない。まさに学問の疎外、自己目的化、一体誰のための学問なのか!!!
 まず、人の苦しみを救う宗教が、解毒されて、形骸化して、目的を失った。次に企業、労働ということが本来の意味を失い、人間を奴隷化するにいたった。賞賛されるべきeconomic animalという表現は、economic slaveとなったのだ。我々は見えない機構、伝統主義によって、機械仕掛けの神の奴隷になったのである。地域や家族が消え去ったのはもはや言うまでもないだろう。何より最終的に知の砦である学問・学者・学会が今、廃れた。目的を失い問題を解決する能力を喪失した、人間を救う力を失った。

【危機の構造―救済喪失社会】
 社会に必要なのは救済である。salvationを宗教的意味だけに限定する必要はない。社会的、経済的にもまさに今必要なのは救済である。救済能力のある宗教・企業・政府、そしてもっと重要な人材育成機関である大学が救済能力を失ったのである!まさにもう、ゴールしてもいいよね…?状態だ。一神教がなぜあれほどまでに最後の審判を説くかのか?そこには救済能力を失うな!という重大な警告の意味がある。救済能力を喪失すれば社会は滅ぶに決まっているのだから。現実で救済がえられないと感じれば、世直しとして最後の審判を求める=社会に危機的な運動…暴動が起こる。それを未然に防止するために、普段から社会・政治は福祉などの救済を徹底しようという機能が働く。日本の危機の本質とは、危機の構造とは、社会から救済機能が喪失していることにある。

*4:ひょっとして知らないうちにしっかり説明されてるかも?経済学疎いんですいません。中国経済やってる人には自明のことかもしれませんしね

*5:資本家と経営者が別人ではないにせよ、興国期において、タダ同然の土地が開発が進むに連れて天井知らずに値上がりするのですから、殆どが投資に回る。ごく限られた条件で成立する擬似資本家=経営者構造とでも言いましょうかね

*6:もちろん必要な再規制化も

*7:今見なおして、ああいいこと言ってるなぁと思う反面、この散らかった書き方はなんとかならんのか?もうちょっとうまく伝えられるだろうにという思いがしますね…。まとめなおそうか、もういっそ一から書いたほうがスッキリするレベルですね…。めんどくさいのでやりませんけど