てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

小室直樹著、『日本国民に告ぐ』 三・四・五章 

日本国民に告ぐ―誇りなき国家は、滅亡する

日本国民に告ぐ―誇りなき国家は、滅亡する

 

 

前回の続きです。

【第三章はたして、日本は近代国家なのか―明治維新に内包された宿痾が今も胎動する】
 こっから急に語り風に、こっちのほうがまとめやすかったので、相変わらず端折ってますけどね。

 どうして日本社会が未だに不合理なシステムを引きずっているのか?その一端は実は明治時代にあります。明治時代の喫緊の課題はなにより近代化、欧米列強と対等な立場、主権国家になることでした。そのためにありとあらゆる整備をして、不平等条約を解消しようと苦心惨憺しました。
 本来教育は、社会化Socializationの一種で、社会化とは、社会の規範と生活能力とを人に内面化(=身につけさせる)させるための方法です。社会化の中でも特に重要な方法である教育は、人の行動様式を変えます、この場合は日本社会にふさわしい、人間を育成するという目的のためですね。
 ところがその「教育」目的が、日本人に健全な社会生活を営ましめることではなく、列強に不平等条約を改正することを承認させるためにある。まず政治上の手段として始まってしまったこと、ここに問題の本質があるんですね。法典編纂、法システムも同様で、不平等条約を撤廃させることがまずあって、ドイツ、フランスを手本にして、日本人の日常生活と何の関係もない西洋式法律を、無理矢理に輸入したのもこのためでした。有名な神話、司法卿(法務大臣)江藤新平氏が仏人法律家に民法作って―と言ったというのもここから派生したものなんですね。
これは川島武宜教授の日本人の法意識からですね。↓

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

 

 日本では「あの人は法律の権化だ」というとなんか悪口に受け取られてしまうのも、法律が現実に根ざしてうまく活用されていないから。法律が現実生活、現状に根ざして役に立つものになっていない。法律が現実と乖離している、ずれている。まさに近代国家としてありえない状態でしょう。ま、アメリカのような法環境がいいかどうかということは別として。アメリカでいかに法が活用され、法に精通した人間が尊敬されることと考えると一考の余地どころか、近代国家として必ずどこかは参考にしなくてはならないでしょう。日本はある種不完全な法治国家、半法治国家ですから。そしてそれは民主主義を守るように、国民の不断の努力で糺していかなくてはならないのです。憲政の常道、民主主義の何よりの基本原則ですね


 欧米、特にアメリカにおける教育の目的は、社会で役に立つ人間を作ることですよね。というか当たり前すぎるほど、当たり前ですね。ところが日本では「よい教育を受けた人」とは、「大変役に立つ人」という意味である欧米とは真逆にありますよね。俗に言うエリート=優秀だが、人間としてどこかおかしいという考えがあるようにね。

 もちろんそんなのは思い込みに過ぎない!負け犬の僻みだ!たわごとだ!そういうストーリーが『湘南純愛組』よろしく、不良に支持されてるだけだ!たわけたこと抜かすな!という反論は一応理解できるところでしょう(後述しますが少年マガジンは今でも不良、落ちこぼれ達をメインにしたようなところがありますね)。しかしまた腐朽官僚制・腐蝕官僚制の問題に確実に現日本教育制度にあることも事実でしょう。勘違いする人などいないと思いますが、明記しますとエリートが悪いわけでも、低俗でも、腐っているわけでもない。エリートを構造的に腐らせやすいシステムになっているということです。むしろまっとうな人間であればあるほど、効率的に腐敗する人間を作り出すといえましょうか
 己の言葉で言うならば科挙は人間を腐らせる。これにつきますね。なぜならば、科挙というものは中華帝国を見て明らかなように、身分制度なんですね。科挙に受かったものを権力に近しい身分として認める。博士も他の著作でそれを指摘していましたしね。どれだったかちょっと忘れましたが。
 オイオイ何を言ってるんだ、このエロガッパは!じゃあ、どうして中国で科挙を永遠に採用していたんだ!と思うでしょう?それはね、身分制時代には科挙はふさわしかったんですよ。中国一つが一つのユーラシアとか、ヨーロッパくらいの単位ですから、そういう国家で等族制国家を作り上げるために、科挙というのはまことに都合のいいシステムなのですね。その当時の時代/社会の要請に見事にあっていたということです。しかし現代では身分制国家ではなく、平等な国民、近代資本主義の精神を持った一個人が重要なのに、この制度を採用しているんですから。不必要になっても制度が巌のように存続し続ける。伝統主義、ここにきわまれりですね。
 日本では東大を出たから優秀なのではなく、最初から東大に入った人間が優秀とされるでしょう?むしろどんなバカでも10年、20年かかっていいから東大を出さえすれば、ネコがサーベルタイガーに化身するように、まるで別人ッッッ!にならないといけないわけです。それこそが教育機関本来の使命、目的、要請なわけですね。
 ところが出身大学の派閥なんかがあるように、完全に「身分を作るシステム」になってるわけです。不合理、無意味極まりないシステムですね。日本の教育システムが根本的に時代の要請に取り残されて、今でも同じことをやっていますから、まさに問題なのです(明治時代には身分を作る必要がありました、例によってどの著作か忘れました(^ ^;))。
 日本の大学を出た人間が、ま、何でもいいですけどそこから、輩出された人間が引き手あまたで、アイドル歌手のように出待ちされ、女子高生から、ワーキャー言われるようにならない。社会的名誉・承認を得られない。秀才や良い子が全く良いイメージを与えられないことからも明らかでしょう。それどころか普通の子と言われて、何かさげずまれるのがオチですね。教育は決してペーパーテストの得点でのみ判断されるものではない決定的に教育の本質が理解されてませんね
 日本の教育の本質は才を磨いて人材育成したり、社会的に素晴らしい人物育てる=能力・精神面の二つを効率的に行うのではないんですよ。本質的に不適格な人間を排除して、二度とエリートに交わらせないことを目的にしていますから。一回でも失敗したらもう取り戻せないようになってますから。意欲喪失社会ってそりゃ当たり前ですよ。

 話がそれましたね。教育に徹底的に力をいれたのはご存知のとおり、それによって明治以後、わが国はまさに今より立派な資本主義が整備されました。市場はあったし、株主が会社を所有していました。労働者は労働市場で仕事を見つけましたしね。ああ、いいなァ明治時代…。

 シュンペーターの言う革新=イノベーションをするのに必要不可欠なことは何か?立法=新しい環境に応じて新しい仕組みを作ることである。ところが伝統主義のわが国ではそれができない。伝統主義とは、「伝統を重んずる主義」という意味ではなく、よい伝統も悪い伝統も関係なく、過去にあったから正しい、今でもそれを維持すべきだという考え方です。そんなばかげた考え方を持っていたら、いつまで経っても問題を解決することなどできるはずがない!マックスウェーバーも資本主義にはこの伝統主義打破がなければならないと喝破しました。そうじゃなかったら、リベラルデモクラシー&近代法を作ることなんて到底できないでしょ?丸山真男著『日本政治思想史研究』
↓曰く、リベラリズムとは、国家から諸国民の権利を守ること、そのために政治に参加できなければ、デモクラシーなんて成り立たない。そして自分達で立法できなかったら、それを維持しようがない。そういうロジックになってるわけですね。過去のことが正しいのなら、永遠に国家=為政者が支配し続けてしまいますからね*1

日本政治思想史研究

日本政治思想史研究

 

 大東亜戦争で目的を失ってバカみたいに戦争をずるずる続けたのも、目的を失ったから、手段こそが目的となったから。これをフェティシズムと言います。たとえば、本来労働とは生きるための糧を得るためのもの。生きるための手段にすぎないはずです。手段にすぎないはずの労働が、日本人に取ってはそうではない。働くこと自体が目的となってワーカーホリックに陥って、働くために働くというおかしな状態に陥ってしまった、手段と目的を混同して、何をしているのかわからなくなってしまった姿を考えると良くわかると思います。そうなると合理性は、あれまぁ、どこかに吹っ飛んでしまいますね。博士は今でもこの伝統主義は日本社会のありとあらゆるところに生きていて、金融でも、元ソロモン・ブラザーズ。アジア証券東京支店長、ダテル氏の言からコレを見ています。いわく、責任は明確ではなく、失敗の責任を取らない。ただシキタリを破ること、コレだけが絶対に許されない―という指摘を引用しています。

 

日本社会は1940年代以降、近代資本主義国としてずっと退化したままなのですね。

 

【第四章なぜ、天皇は「神」となったのか】
 これは近代資本主義にはキリスト教における神、絶対神という存在が必要不可欠であることの説明ですね。天皇キリスト教における神としての役割を与えられたわけです。実は明治天皇は当初バカにされていました。国民から天皇何それ?おいしいの?と言われていました。もう、めんどくさいんで、ここらへんは面白いんで、是非読んでください。

 日本の天皇という宗教を諸宗教と比較分析して、その本質を新たにした博士の業績中の白眉といってもいいんじゃないでしょうかね?まあ天皇の原理
とかオススメです。


【第五章日本国民に告ぐ―今も支配するマッカーサーの「日本人洗脳計画」】

 解体された日本人の人格は、これまでの日本政治全てダメ&マッカーサーGHQが正しいという新たな教義で埋められた。「日本人洗脳計画」があって、見事にマッカーサーを称えてしまったわけですね。その当時の称えようといったら、どこかの新興宗教の教祖様。しかも国を挙げてやったわけです。森鴎外の小説を思い出しますね。なんだっけな?タイトル忘れた。

 いかにGHQの検閲が巧妙であったか、戦前は伏字にされて検閲されたことがわかりましたが、丸々削除・発禁となって検閲自体が日本人に知らされなかった。こうして前述の事前検閲が自主規制という民主主義国家上考えられない悪習となって、今にも根付いているわけですね。結局、日本のジャーナリストは、経済的理由によって言論の自由」を犠牲にしてしまったわけです。致し方のないこととはいえ、今でも残っているといったら…。まぁ、なんという伝統主義、前近代国家でしょうか。あきれ返ってものが言えません。「アメリカは完全な言論の自由を与えた」どころか、日本からリベラルデモクラシーのリベラリズムを奪ったのですね。日本の歴史を見る上で、日本民主主義の敵は占領時代のアメリカであるということをよく理解しておかなくてはなりません。そしてこういうことに対する反省も何もないんですから、イラク・アフガン統治に成功すると言えるでしょうか?結果はご覧のとおりですね。

 朝日はいうまでもなく、戦争高揚報道でのし上がった新聞ですが、敗戦後一ヶ月は戦前と報道姿勢は変わらず、鳩山一郎氏の原爆は違法であるというインタヴューを載せてました。さらにGHQが「フィリピンでの日本軍の残虐行為」と発表した内容を「日本人としては信頼できぬことだが」と婉由に批判した記事の掲載が、占領政策に反するとして、九月十九日と二十日の二日間にわたり発行禁止処分を受けました。そしてあとは見事にヘタレました。この日を境に、朝日はその論調を一転させ、GHQの言いなりになりました。

 不思議なのは検閲が巧妙であり、それに従わざるをえないにしても、何故検閲があるらしいという事実が少しもうわさにならず、抵抗運動とまでは行かなくても何とかしろ!とか、おかしいじゃないか!という声にならなかったのか?不思議でしょうがないんですよね。やはり戦前の延長で統制されるのに慣れっこだったからなんでしょうか…?それとも占領下でどうあるべきかなど、考えることだにできなかったということでしょうかね?金甌無欠の歴史ゆえ

p267、ここは重要な記述であるので、まんま掲載。戦後、台湾政府(中華民国)は、沖縄群島まで中国領だと主張したので、呆れたりオロオロしたりする人もいるようだが、この間の事情は次のとおりである。日清戦争より前には、沖縄は日本領か中国領か独立した国家かはっきりしなかった。というのは、沖縄人も中国人も日本人も、はっきりした近代的領土概念がなかったからである。中華民国、人民共和国とも下関条約を無効とする立場を取っているから、このときに沖縄の帰属先が日本になったので、沖縄を中国領という主張をしているのである。しかし昭和四十六年以前に尖閣のみをもって中国領と主張する事例はなかった


 その他農地解放・学校制度についての記述。面白いですよ。とばしますけど。一つだけ付け加えると、学校の目的、教育の目的は『国民』をつくること。アメリカ人の教育レベルの低さは徹底的にアメリカ人を作ることに主眼が置かれているから、その他どこでも同様。自国の誇りを徹底して教える。そしてそれには宗教教育が不可欠。日本だけが教育に国家の誇りと宗教教育がかけている

 

 博士が引用した伝統主義の話は↓三冊です。大塚先生の解説はウェーバー理解に欠かせない一番わかりやすいものでしょう。福田先生のはちょっと難しいですけどやはり優れた本ですね。ワイド版なんてあるのが面白い。Kindle版貼りましたけど、Kindleなのに高いですね、電子書籍なんだからもっと値段さげなさいよ

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (ワイド版岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (ワイド版岩波文庫)

 
社会科学における人間 (岩波新書)

社会科学における人間 (岩波新書)

 
政治学史

政治学史

 

 

また、経済については、戦前直接金融による金融市場が立派にあったことを1940年体制(増補版)(野口悠紀雄)から引用しています。あと明治天皇が教育を整備したことが、後の資本主義育成にいかに役に立ったかを日本資本主義の形成者―さまざまの経済主体 (1964年) (岩波新書)から引用してますね。また下級武士が明治維新を主導したことを土屋喬雄さんの日本資本主義史上の指導者たち (1982年) (岩波新書 特装版)から引用していますね。ま、一応メモがてらに書いておきました。

 

 日本人のペリーコンプレックスはユダヤ教におけるモーセコンプレックスと同じか…。博士はこの著↓を引用して言ってます。面白そう、読みたいな。*2

モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)

モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)

 

 

 あと、五章では戦後事情を『検証・戦後教育』から引用してますね。博士は引用してませんが、GHQについての検閲事情は江藤淳さんが詳しいですね。 

検証・戦後教育―日本人も知らなかった戦後50年の原点

検証・戦後教育―日本人も知らなかった戦後50年の原点

 
閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)

閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)

 

*1:ちょっと、ここよくないなぁ、まとめかたが…

*2:ちゃんと読むことは出来ましたか…?(小声)。いつになったら読むことやら…