てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

清原事件について、問題は覚醒剤でも刺青でもなくヤクザ

野球関係なので、野球ブログで書こうとも思ったのですが、政治・社会ネタなので、まあこっちで。というかまだ野球ブログ作ってませんが。

 

プロ野球選手のセカンドキャリアの問題ではない】

 往年のスター選手である清原氏覚せい剤の使用で逮捕。これについては、プロ野球選手のセカンドキャリアの問題として取り上げる人がいました。我がホークスでも何人か事件を起こして警察の世話になる人がいましたが、そういった話は枚挙にいとまがなく、NPB史上特に珍しい話ではありません。

 元プロ野球選手の犯罪・不祥事というのは数年に一度間隔で聞く話です。しかしそういうのは、プロで大成せずにキャリアを終えて、次の仕事が見つからない人などのことです。清原ほどの大選手が、そういう事件を起こすことは非常に珍しいケースであり、特異な事件であると言えましょう。*1

 

 清原氏は、NPBで過去500本以上HRを打ったという数少ない選手です。HR記録が最高・最重要な記録というわけではないのですが、野球という競技・興行においてHRというものが特に評価される傾向がある以上、特筆すべき記録とみなされることに疑いの余地はないでしょう。王・野村の850超え、650超えを別次元として、門田・山本・清原・落合・張本・衣笠と、過去8人しかいないわけですね、HR500本以上打った選手というのは。*2。このような偉大な選手がどうして?という話になるわけですね。

 

 面白いことに、この輝かしい500本超えに名前を連ねる人たちは殆どが現代野球よりも前の人達。プロ野球という競技も、時代の変化によってどんどん性質・主流が変化していきました。スタイルが変化していって、今の現代野球の姿があるわけですが、HR記録を残した選手は殆どが現代野球以前の人たち。清原が現代野球をキャリアの後半で経験したくらいでしょうね。

 そしてその現代野球以前のプロ野球選手というのは、パ・リーグの悲惨な状況に代表されるように、今よりも遥かに待遇が悪かった。史上初の一億円プレーヤー落合に代表されるように、億超え選手が当たり前の今の時代では考えられない安い給料だったわけですね。

 物価の違いというのがあれど、長嶋も王も、一億円もらっていないわけですからね*3。面白いことに、その落合が500本超えにランクインしていますね。落合自身現代野球を切り開いた一人と言っていい名選手ですが、三冠王・全盛期にその年俸が6000万程度だったことがあるくらいです。中日移籍後に2億・3億という階段を踏んだ分、偉大な選手かつ、その働きに見合ったアスリートとしての評価を受けた最初の選手ということが言えるでしょう。*4

 

 現代野球と年俸一億円の壁(選手としての給料の低さ)、というのは密接な関係があるというわけではないですが、現代野球になる少し前から、選手の高年俸化(正当な評価?)という現象が起こってくるわけですね。清原は今の選手が現役晩年には年俸がガクッと下がるという現象を経験せずに現役を終えました。清原も昔の選手というイメージがあったので、そこまで年俸をもらっていないかと思いましたが、7年目には一億円を突破して推定年俸50億円を突破しているのですね。*5

 晩年の低評価という昨今の現象を鑑みると、清原というのは年俸が上がる時代に巡りあわせて、しかも結果を残せなくとも下がらないという幸運な時代を生きた稀有な選手ということが出来るでしょう。もしくは本来契約を切られてもおかしくない、金額に見合わない数字を残すも、契約最終年できっちり働いて更改でさらなるベースアップを勝ち取るという「持っている」人間ということが出来るかもしれません(巨人時代の2001年ですね。これまでまともに働かなかったのにしっかり数字を残して3年・4.5億の契約延長に成功しています)。

 一説によると現役時代で60億円近く稼いだとか。まあ年俸発表はあてになりませんし、半分税金でしょう。しかし収入がざっくり30億円近くあるとすると、それだけあって、何故…?という話になるわけですね。夢破れ、一軍にろくに定着も出来ずに、落ちぶれた元プロの落伍者ということではないわけですから。ろくに稼げずに夢も名誉もなくなって、球団での再就職もかなわずにどこにも行き場がなくなった選手こそ、セカンドキャリアの話になるわけで、清原のケースというのは関係がありません。それこそ、清原のケースをセカンドキャリアの問題として解するのは、夢破れるもその後の人生でちゃんとした第二の道を歩んでいる元プロの人たちに対して失礼な話でしょう。

 

ダルビッシュいわく、セカンドチャンスを与えるべきだ―是か非か?】

 ダルビッシュ羽曳野市出身であり、同じ大阪岸和田出身の清原とはつながりがあるようです(隣というわけではありませんが、まあそこそこの近さ3つくらい隣の市という感じですね)。この事件について、MLBの事例を出してそう論じていました。外野手のハミルトンという選手が薬物のために二年間出場停止処分を受けて、その後立ち直って復活を遂げたケースを例に出してこう主張したとか。これは正しいか?間違っているか?

 

 ひとことで言うとダルビッシュの言うことは正しいです。覚醒剤という犯罪について他人に迷惑をかける訳ではない―という道義上の視点を置いといても、覚醒剤で有罪・社会から追放による制裁処分は効果的ではないからです。犯罪の抑止観点から、社会的制裁を与えることを良しとする風潮がありますが、ハッキリ言って私刑に等しいことであり、それはいいのか?という疑問が持ち上がってきます。

 刑法に定められた罰則以外の罰を、国家以外の組織が与えるというのは、それこそ内輪のルールを破ったから傷めつけるという不良・ヤクザの論理でしょう。制裁の権利を特定の社会組織が持つということは、そういう組織が本来以上の力を持つ。国家以外の組織の力学が、社会において強く働くということと同義です。現代社会の問題、ブラック企業などの問題は企業など組織が強い権力を持つがゆえに起こるわけです。組織が力を持つことを今の社会で認めて良いのか?そういう問題があるわけです。

 また、それを良いとするにせよ、覚醒剤をやって追放した場合、再犯の確率が非常に高い。更生のためにはサポートが必要なわけです。それがないままに社会に放り出すのは、その後の転落を確約するようなもの。それでいいのか?わかっていて野に放って、再び覚醒剤逮捕となって、バカ野郎クソ野郎!と叩くことになる。それでいいのか?

 自業自得だからそんなバカは放っておけという考え(厳罰主義)には、一定の理がありますが、覚醒剤犯罪というのはドラッグをキメたヤク中が事件・事故を起こすケースから明らかなように、無辜の第三者を巻き込む可能性があります。まずそれが1つ。そして覚醒剤にハマった人間を社会に出して、再び覚醒剤に手を染めさせることで暴力団・裏社会の資金源にしてしまうという問題が2つ。さらなる覚醒剤マーケットの拡大に繋がりますし、裏社会の勢力伸長を許すことになる。要するに社会が損をするわけです。2つ指摘しましたが、いずれにせよ、社会にマイナスになるということですね。国家の法以上の力を許して良いのか?という前述の問題を加えると3つの点でまずい、負の側面があるわけですね。

 常々、大麻*6などある特定の麻薬をオランダのように、条件付きで医師の管理のもとで販売することを認めるべきではないかと書いてきましたが、そういうことをしないかぎり、結局裏社会を肥え太らせるだけになるわけですし、薬物問題を解決できないわけです。問題を解決するためには、それこそ台湾で後藤新平がアヘンを管理制にしたような方針を取るべきでしょう。

 薬物管理制にするしないにせよ、覚醒剤で逮捕・有罪(殆ど執行猶予だと思いますが)とされた人間を追放して事足れりとする姿勢には明確に否定しておきたいと思います。

 

刺青は犯罪ではない、問題の本質はヤクザ・犯罪組織と繋がったこと

 覚醒剤に手を出したからといって、追放処分にすべきではない―と話を終われたら簡単だったのですが、今回のケースはそうではないわけですね。清原の場合、刺青を入れて殆どヤクザになっていた。山口組の幹部などと昵懇だったと言われています。これはもう完全にアウトでしょう。

 

 以前、刺青云々書いた覚えがありますが(こっちのブログ記事にインポートされてませんね。結構長々書いた記憶があるんですけどね)、刺青自体は何の問題もない。犯罪でも何でもない。それをもってして刺青を入れたから和田アキ子氏が関係を絶ったという話がありましたが、おかしな話です。

 

 表現規制問題に絡むのですが、本人がいくら不快だからといって、オレが気に入らないから・不愉快だから止めろという主張はたやすく自由な言論を脅かす社会に転化します。「お前のことが気に食わないが、あなたの言うことは気に食わないが、あなたの主張する権利は全力で守る」―これが自由民主主義社会下における基本的な態度です。表現規制問題でそういう危険な思想、気に食わないが故に弾圧してしまえ、取り締まってしまえというものが幅を利かせている現状、敏感にならざるをえません。*7

 かといって、現状入れ墨=ヤクザという現実があるわけで、無条件に入れ墨みせびらかしが許容されるべきでないことも確かでしょう。以前、大阪の役所で橋下氏が入れ墨を禁止したケースについておかしいと書いたのですが、大阪の役所にはヤクザが入り込んでいる現状があるとのこと。その排除のために入れ墨チェック&排除というのは十分納得行く理由になりえますね。

 個人的に刺青を入れてないですし、将来入れるつもりもありませんが(というかそもそもあまり刺青自体に好意的ではありません)、伝統主義的に禁じられているから入れ墨は許されないなどという理不尽な理由による弾圧・禁止は許されるべきではないと考えます。

 問題はヤクザであって、入れ墨ではない。そこを履き違えてはならないということを明確に主張しておきたいと思います。*8

 

【ヤクザと繋がりを持った清原の球界復帰はありえない】

 問題はヤクザとの繋がりなわけですが、ダウンタウンの番組において、清原は入れ墨を入れていることを公言しました。そして高校野球NPBの監督をやりたいとのこと。入れ墨自体は問題ないと考えます。が、彼はヤクザと繋がっている。仮に覚醒剤をやっていなかったとしても、入れ墨を入れてなかったとしても、ヤクザとズブズブの関係でありながら、高校野球や球団の監督をやろうとするというのはどういうことなのでしょうか?常軌を逸しているとしかいいようがありません。野村氏(ノムさん)が、「常識では考えられないバカ」と彼を評しましたが、氏の主張の細かいところはともかくとして、清原を評するにシンプルで的確な言葉だと思います。

 ヤクザと関係を持っていて、かつプロ野球の監督をやろうとは頭がオカシイとしか言いようが無い。覚醒剤を射って、キマることを表現した言葉で、「あいつはイッちゃってる」という言葉がありますが、覚醒剤を射つ前からもう、そういう状態なわけです。史上稀に見る才能を持った規格外の選手だとしたら、頭の方も史上稀に見るアホなわけですね。

 「野球に関わったから、今のようなことになった。野球を始めたことすら後悔した。」―というようなことを話していました。金輪際野球にはかかわらない、極道となってその道を邁進するというならそれでいいでしょう。しかしその道・職業にしっかり転職するわけでもなく、上辺のファッションでヤクザを真似る。一体何を考えているのか…。行動に一貫性がない。矛盾している。

 ヤクザとして、裏社会の人間でありつつ、プロ野球に闇の力を及ぼそうとするならば(厨二臭いので、ヤクザの力を及ぼそうとするならばに変えておきましょうか)、つまりシノギですね。シノギビジネスとしてやるのならば、むしろヤクザらしさは徹底して隠さねばらない。ヤクザのにおいをかけらでも出してはならない。それで選手をたらしこむもよし、野球賭博に利用するもよし、しかし監督やコーチになれないのであれば、シノギが成立しない。シノギという意味でも不十分。清原の行動には論理性のかけらも見いだせない。

 刺青へのあこがれがあったと語っていましたが、ヤクザへのあこがれでしょうね。田代まさしが生まれ育った背景がシンナー当たり前のところで、薬物への抵抗がないという話をしていました。それに共通するものが清原にもあるのでしょう。当時の甲子園のゴミ箱はタバコとコンドームであふれていたと愛甲氏が証言したように、不良集団が野球をやっていたという時代。ヤクザに抵抗がないどころか、あこがれを持つ時代の人間であり、そういう土地柄で育ったという背景が大きいのでしょう。今の人とはかけ離れた価値観を持つわけですね。

 ヤクザにあこがれを抱くといいながら、ヤクザになるのではなく、関係を持って悦に浸る。何かあったらヤクザの力に頼ろうとする。普通はそうヤクザの世話になろうと思わないし、お世話にならなきゃいけないこともそうはない。そういう力を欲しがるというのは、何でも欲しがる長嶋巨人のそれに共通していますね。冷静に考えれば、戦力として機能しない。負の効果をもたらすとか、そういうことが理解できないのでしょう。

 

【美学・生き様なし、論理的思考の欠如・欲望のままに行動する】

 ゲームの性質を考える、特性を考えて、今自分に必要なカードは何なのか?そういう思考ができない。冷静に考えれば、いかにその時代・土地特有の人間の発想で憧れがあったとしても、ヤクザに近づかない。野球指導者を選ぶのか、そちらの夢を選ぶのか二者択一、にもかかわらずヤクザの力を手に入れて喜ぶというのは頭で考えることが出来ない人間であること=欲望で行動する、目先の力に飛びついて衝動的に行動しているということでしょう。

 飯・酒・車に女と清原は欲望のままに行動してきたといいます。成り上がりロックスターの人生そのものですね。欲望に溺れて破滅して死ぬことが一つの理想。タナトス(死や破滅)の欲求に従うことこそ正しいと。しかし、ロックスターがそうすることで、あえて生き様・美学を貫き通すのに対して、彼はおそらくそうではない。

 美学・生き様というものではなく、光に飛びつく昆虫のように、目先の欲求に忠実に行動する。蒼天航路でいうはじめに出てくるトンという怪物。ドラゴンボール(映画)で言うとターレス、欲望のままに行動するキャラクターとみなすべきでしょう。

 

 しかし、嫁や子供ができれば、家庭を持てば、そういうわけには行かなくなる。その当たり前のことが彼にはなかった。家庭を持って野球に専念するというプロ野球選手の王道を歩まなかった。プロ入りして、はじめは適当にやっていても、ある時期が来てから、食事やケアなどを見直して、飲み歩く遊びなどを止めるという話は枚挙にいとまがありません。落合然り、工藤然り。一流足るものどこかで、自分を見直し反省するわけです。その良いきっかけの一つが伴侶を持つこと、子供が産まれて家庭を持つことです。責任感・自覚が芽生えるとよく言われますね。落合が清原に早く家庭を持ちなさいと言っていたというのもそのためでしょう。

 言うまでもなく家庭を持たなければダメになる・大成しないわけではありません。結婚しなかったのに、あるいは結婚するのが遅かったのに、ちゃんと大成した選手も多いでしょう。遊び歩いて野球選手としての将来をじっくり考えていない選手、人生を含めたキャリアプランを考えていない選手には結婚が必要不可欠ということですね。結婚によって、一から考え直す事になるわけですから。落合が清原に身を固めろといったのは、特に清原がそういうタイプだったからこそ、勧めた・忠告したと見るべきでしょう。ちゃんとしたプラン・ビジョンを持っている選手には、必要不可欠なファクターではないのでしょう。ダルビッシュなんか遊んでいることで有名ですが、自己管理がしっかりしていますからね。まあ最近再婚しましたが(ダルさん、再婚おめでとうございます)。

 家庭が出来てから、普通なら家族のために!と生き方を改めるはず。しかし清原はそうしなかった。飲み歩くことを止めなかったといいます。もう50近いにもかかわらず、未だにそういう生活をしていたとのこと。スターとして豪快に遊ぶ=大金を惜しげも無く使い、試合ではHRをかっ飛ばす。そういうのが、粋として受け入れられていたし、需要もあったでしょうが、ハッキリ言って節度を踏み越えている。結果があっての豪快=粋、実力が衰えても豪遊するというのはタダのバカにしか映らない。それを通り越して不愉快にすら映るでしょうね。自分のキャラクター価値・ブランド価値を損なうことになると理解できなかったのでしょうか?

 特に子供が大事だと折にふれて言及していますが、子供のことを考えたら飲み歩くことはありえませんし、犯罪者の子供となればどういう扱いを受けるかということを考えたら、振る舞いを改めるでしょう。自分は好き勝手なことをしても好かれると思っているのでしょうか?バカでなければ、そういう異常な環境に育ってきたということでしょう。好き放題やっても人から嫌われない、許してもらえるという環境で育ってきたという証拠でしょう。

 スターとして結果を出す、チヤホヤされる。しかしある時急にダメになる。そう言う時が彼にあったはずです。怪我もしたでしょうし。そう言う時に一度野球に専念する・振る舞いを見直す時期が来るはずなのに、そうしなかった。FAで巨人に行くべきじゃなかったとか、彼のターニングポイントが話題になりましたが、そこでしょうね。偉大な選手というのは、みなそういう経緯を歩んでいます。もしくははじめから、非常に練習熱心なタイプでしょうね。今の選手はそのタイプが多いですから。

 

【指導者の問題か?森監督の問題か?もちろんノー】

 なぜ昆虫・動物のように欲望のままに行動してしまったのか?プロ入り直後の教育が甘かった故だ!という話が出てきていましたが、筋違いだと思います。広岡氏と野村氏の指摘しか知らないのですが、教育以前のレベルでしょう、その二人が指導をしていても間違いなく変わらなかったと思いますよ。当時のオーナーが特別待遇を認めていて、監督が「行動・練習態度を改めないならお前を使わない!」という厳しい態度をとることはまず出来なかったでしょうからね。またビートたけしは、巨人に入れなくて歪んでしまったというようなことを言ってましたが、これも同じでしょう。当時の王さんと師弟関係を結んで、王さんがつきっきりで打撃指導をしたとしても、王さんはすぐいなくなるわけですからね。そうなったら、彼のアホみたいな振る舞いを抑制できる人はいないでしょうからね。

 三つ子の魂百までといいますけど、生まれ育った環境に、親の影響などがまず考えられるでしょう。そういうのは今回検証するすべがないので、おいといて、一番大きな原因というのは、少年野球などで名が売れて、高校野球に入るまでにチヤホヤされたこと。それは所詮まだ子供世界なのでいいとして、決定的なのは甲子園での大活躍でしょうね。甲子園で大活躍して、「スター」とされたことでしょう。

 

マスコミが「スター」として清原をダメにした・まさに褒め殺した】

 甲子園記録を見れば、彼は間違いなく素晴らしい成績を残した「スター」でしょう。でもそれは、アマチュアの「スター」であって、プロの「スター」ではない。今でもそうですが、日本のマスコミは甲子園で活躍したまだアマチュアにすぎない選手を過剰に取り上げすぎる。まだまだクソガキにすぎないアマチュア選手を過剰に祭り上げるのは、人間を間違いなくダメにする。

 嫌いなものに「アイドル」というものがあるのですが、何故嫌いかというと、実力があればともかく、あるかないかわからないものを、周りがちやほやして祭り上げるから。そして最終的に食い物にして、オイシイところがなくなったら平気でポイ捨てするという芸能界の構造があるからです。

 今の人はピンと来ないかもしれませんが、定岡正二という投手がいて、大したこともなかったのに、過剰に取り上げられたのは甲子園で活躍したから。ただそれだけで、他に活躍しているプロの選手よりも取り上げられるというおかしな構造があったのです。甲子園で活躍すれば、アイドル扱いされた時代がかつて存在したんですね。

 今でもそういう図式は残っていて、ハンカチ王子ことファイターズの斎藤が毎年取り上げられるのも甲子園で活躍したからというタダそれだけの理由です。本来活躍したら取り上げればいいわけで、そうでないものを殊更扱うのは本来異常なことなのですね。しかも昔の甲子園選手の扱いは、今の斎藤選手どころではありませんでしたからね。昔からいる男性アイドルがSMAP以外ぱっと思いつかないように男性アイドルがいない時代においてその存在がいかに大きかった考えていただけると、その祭り上げられ方が想像できるかと思います。(後で気付きましたが、そういえば郷ひろみとかそこらへん、アイドル歌手はいることはいましたね。)

 要するに、甲子園という腐った制度が、またマスコミが、たかだか18そこらの子供を必要以上にちやほやしてダメにしてしまった。プロ入り一年目で高卒新人記録を作ってしまった。3割・30本を打ってしまった。そのことが「スター」化に拍車をかけてしまった。社会人経由の落合が、プロ入り2年で30本打ってないことを考えるとそのインパクトはどれくらいだったか、想像するに余りあるでしょう。ON後の次代の「スター」だと持ち上げられた。高校時代の歪んだ自己認識が改められることはなかった。

 清原はプロ入り早いうちに失敗しなかった、痛い目を見なかったことが全てでしょうね。失敗しなかったから、「学習」しなかった・出来なかった。「なーんだ、プロってこんなものか、楽勝だな」と舐めてしまった。対照的に清原のような素晴らしいスタートを切ったわけではない王・落合は、死にものぐるいで練習をして自己の研鑽に努めました。王さんが酒の席で練習するために帰ると言った所、ノムさんが「今日くらい良いじゃないか」と引き止めたのを断って、師匠の荒川さんの下に行って練習をした。一日たりとも休むことがなかった。その姿を見て「オレの記録はいつかコイツに抜かれるなぁ…」と思ったとか。また、落合さんがバットを振りまくって、指が麻痺して動かせなくなって、コーチを呼び出して、バットから指を剥がしてもらったとか。死にものぐるいで練習したわけですね。そういうものが後の飛躍的な成長につながったわけです。

 練習していたという指摘もありますが、普通の練習ではダメなわけです。プロなら練習しているに決まってます、そういう仕事でそういう時間が確保されてるんですから、当たり前です。特別な練習を人一倍行って初めて意味がある。彼はそうではなかった、認識能力の異常な低さからもそれはわかるでしょう。落合・野村の高い認識能力・分析能力がないのならば、名コーチ・名伯楽の存在が必要不可欠。彼にはそういう指南をしてくれるブレーン(頭脳)となる存在がいなかった、ボクシングで言うトレーナー、それを確保しようとしなかったことが大きかったでしょうね。

 

 失敗を若いうちにせずに学習しなかった。周りからチヤホヤされ続けて、これで良いんだと勘違いしてしまった。それがこういう事態を引き起こしたのでしょう。競技者としてはトレーナーが欠けていましたし、その後人生ではキャリアプランをどう過ごすか、生きるかという参謀・プランナーが欠けていた。また人間としては遊びながらも節度をわきまえるということを教えてくれる兄貴分だったり、人生について色々教え諭す僧・牧師のような師が欠けていた。そういうことなのでしょう。

 

実はまだまだ書きたいことがあります。続く…。つかこれ普通に普段の倍くらい書いてるな…。後で分割します

*9

*1:我らが小久保元キャプテンの脱税などありましたけどね。まあ日本では脱税が許されざる犯罪という認識が浅いからなんでしょうけど。民主主義では覚醒剤なんかより遥かに罪が重いんですけどね、脱税は。というか一番罪が重い犯罪が脱税ですけどね。他にも阿部選手など裏金事件もありましたが、おそらくプロ野球選手の不祥事・犯罪のパターンとして、選手単独による悪事というのではなく、第三者が関わってあれこれ入れ知恵された結果、不祥事に至るということなんでしょうね。競技に集中する選手本人に、ちゃんとした判断能力が備わっていないということなんでしょう。まあ今回のこととは関係ないのでおいときましょう

*2:気になってググったら、松井氏はNPBで332本、MLBで175本と507本打ってるんですね。まあ松井氏を500超えの偉業にカウントする・しないにせよ、偉大なレコード保持者という評価に変わりはないでしょう

*3:ドラフトなどいろんなルールが整備される以前は自由契約だったので、入団の際の契約金がものすごかったといいます。甲子園で活躍した板東英二なんかは長嶋より契約金を多くもらったなんて言ってましたしね。そういう意味で収入があるとしても、プロ入り後叩き上げで名選手の仲間入りした選手はそういった収入もないわけです。

*4:余談ですが、どんな素晴らしい選手でも40を超えて成績を急降下させた場合、年俸はガクッと下がるものです。今で言えば松中ですね。かつての三冠王も現役最後では1000万とかそのくらいになってしまうわけです。それと比較して、日ハムが晩年の落合に3億円払ったのは異常なこととといえます。球団を強くするにはどうすべきか?それを戦略として考えて、明確なビジョンを築いた当時のフロントが、落合を高給で獲得した。落合という存在が選手達にプロ意識を植え付けるために、必要不可欠な存在と考えて破格の条件(二年・三億)で契約した。その後黄金時代を築いていることを考えると、見事という他ないでしょうね。落合ファイターズを見てみたいですけど、今のファイターズじゃ落合監督なさそうですね…残念。

*5:清原和博 年俸 成績 推移 生涯年俸

*6:大麻についてタバコより有害ではないという話がありましたが、ガンにはなりにくいが、他の病気のリスクが跳ね上がるとかそんな話を聞いたことがあるので、一概に大麻を解禁すればいいとは思いませんが

*7:面白い話で、江戸時代は入れ墨は当たり前に存在していた。庶民も普通に入れていたらしいですね。明治維新以後、文明国をアピールするために禁止にした。しかし当然、あちらさんのほうが入れ墨文化は盛んであって、日本の入れ墨がタトゥーとして評価されているという皮肉な結果があるとか。江戸イイね!全盛の時代に、江戸時代を見習って入れ墨を楽しもう!!とならないのが不思議ですね。

*8:刺青というものが、ヤクザによってマイナスイメージがついている。例えるなら賭け麻雀による、賭博道具とされて、負のイメージが付いてしまった麻雀のごとしでしょうか。刺青自体には何の罪もないのに、刺青の奴が何かしたわけでもないのに、刺青のことを叩くというのはフェアではない。親の犯罪で子を叩くようなもの、犯罪者は親であって子ではない。子を叩くのはフェアではない。ヤクザの犯罪で刺青を叩くのは犯罪者の子を迫害するようなものです。赤鬼と青鬼で、心優しい青鬼を追い詰めるようなものです(無関係)

*9:画像忘れていましたので、アイキャッチ用に画像を貼りました。

男道 (幻冬舎文庫)