てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

新釈漢文大系〈5〉荀子

 誰得、漢文シリーズ。一体誰がこんな個人的メモを読むんだという話(笑)。まあいつものことなので気にしない。(^ ^;)

新釈漢文大系〈5〉荀子 上巻

新釈漢文大系〈5〉荀子 上巻

 

 孟子に対して、荀子には注釈がない。漢代、孟子は博士が建てられたが、荀子はそうではなかった。漢代の儒教とは「荀子なき儒教」と(もちろん名前とか内容くらいは知られていたのだろうけど、孟子のように研究対象ではなかったというのは大きい)。そもそも漢代には荀子と呼ばれていなかった。荀卿・孫卿と呼ばれていた。六朝時代は仏教・道教全盛で見向きもされず。唐代、楊倞の『孫卿新書』が『荀子』になる。南宋復刻後散佚、日本に残っていたものが、現代に伝わっている。荀子は日本産。イスラムギリシャ科学のパターンとちょっと近いところが面白いですね。清末期でも評価はされずと。

 人の性(性質・本性)はみな同じと考えるのは孟子と共通している。後天的・人為的努力を重視するというのは、この時代の特徴か。人=悪ではなく、欲求を満たせないと悪になる。社会は悪い方向に流れやすいという意味。社会・人間関係が善なのは、人為的努力の結果であるとする。人為的な善政が必要不可欠であるというのが荀子の思想。孟子は人間個人を考えて、性善説を唱えた。荀子は社会・集団としての人の性質を問うている。集合名詞の単数と複数の違いということでしょうね。
 身分制社会は身分による礼で十分。富国強兵時代になると身分秩序の礼では不可能になり、法が必要になる。礼と法は対立する構造ではなく、法は礼を補完するという構造・思想。聖王は君主&師&聖人の三点セット。聖王は登場してこないから、君主に師たる聖人が必要という論理になるのかな。

【勧学篇】
 学べ!だが~すべからず。さすれば自ずと~になるだろう―という展開が目につく。べからずの否定ロジックを好む傾向は荀子に限ったことではない。世に多く見られる過ちをただすという意識は、前近代人の特徴だから。戒めるということを重視する儒教では特に見られるロジックとしていいのかな。
 性質→結果というロジックもまた多く見られる。柔らかい―だからどうなるとか。性質が自ずと結果をもたらすという発想。自然観察の結果から一般理論の構築を行うのが古代の特徴だから当然といえば当然なのだけども。
 宝珠―山に生じて、自然エネルギーを保つとみなす。ではその宝珠をとったら天罰が起こるとなぜ考えないのか?大量にあるものだから?徳・感化で発生するものという価値観なのか?
 士→君子→聖人という段階的発想。礼・学・詩書・春秋で聖人になれる。礼は知っているだけではダメ、行動を伴って意味がある。行動を重視する。行動しないものを、散儒・陋儒として否定する。「行動主義的僧侶」が儒。―とすると、本来隠者は嫌われるはずだが、孔子という先例があるために、隠遁している者に期待があるのだろう。まあ、後漢末という時代特有の話かもしれないが。
 p39、謹慎=読んで字のごとく、自主的に自分自身のあり方を慎むという意味だが本来の意味とは真逆になっている。AということをBという、CということをDという。BDというのは―という論理展開もまた多い。
 p40、百発百中=善射。千里善御不至=「止まってしまえば」と訳されているのだが、これだと困難さが訳せていないのでは?千里という大変長い距離でも馬をコントロール出来る!これはそうするのが弓の百発百中のように本来難しい話・事例だから、「馬を最後の一歩まで御す事ができなければ~」とかのほうにしないとニュアンスが訳せていないと思うのだが。
 学問が行動にまで至る。行動をも包括する。つまり洗脳を意味している。儒学といくら言い張っても、儒教という宗教的な要素がある以上、「洗脳」になるのは必定。教育はある種の「洗脳」でもあるし、なおさらか。儒教の場合、行動・態度が問われるので洗脳よりも洗身体(洗身・洗体、洗體とかのほうがいいのかも)と言うべきか。
 目・耳・口・心、―が学化される。権力・利益・群衆も、学に支配された生死観を動かすことは出来ない。徳操は定であり応である。定であり応であるものは成人(完成された人のこと)。きっちり定まる、定見を持ち、自分のベースがしっかりしていながらも、臨機応変に対応してその自分の根幹が失われることがないということと解釈していいと思う。徳操であれば、生きるも死ぬも正道にのっとる。一生、何から何まで理にかなっている人ということなのだろうけど、心の徳が動かぬ節操を保つべしという発想は、孟子の不動心にも通じる話だと思うのだが、普通心はふわふわあちこち動くものだという一般理解があるようだ。当時の人間の身体観を反映していて面白い。
 「成人」という言葉に見えるように、未だ人として完成していない。多くの人間は人として不完全・未完成状態である。故に完成に向けての修行なり、学問だったりの努力が必要になる。また個人の範疇外のシステムが大事、法などの社会制度が必要になるという考えがあるとみなすべきだろう。荀子性悪説もまま、この考えの延長だろうからね。この徳操というのは、やはり曹操孟徳の名前の元ネタ・由来なのかな?
 p60、遅速の差はあれど、必ずたどり着けるという考え方。そんなの才能がある人は出来ても、ない人間が出来るわけがない。出来ない人間・出来の悪い人間を見ていない、考慮外にしているのか?無理な物言いだなと思ったが、宮崎市定翁が「君子とは~」というものを、学ぶ学生たちに呼びかけたものだと考えるべきだという話をしていたというのを聞いて、なるほど。師が弟子たちに、呼びかけている・語りかけていると考えると筋が通る文章になる。「君たちも努力すれば、成長が遅い鈍感な人間だとしても、いつかは必ずできるようになるのだから頑張るんだよ」―という叱咤激励やメッセージであり、不自然ではなくなるのか、なるほどなるほど。
 そうか詩だったり、そういったものが重視されるのは、この「語りかけ」(問いかけだったり、尋ねかけ)の意味合いがあるからか。やはり、そのメッセージ性を引き継いでいるとみなすべきでしょうね。学問というものが誕生して日が浅い頃にはその傾向が残っているとみなすべきでしょう。
 p64、礼と師―聖人になれる。
 p66、年長を敬う・施し・善行、これをする人物は、大過を起こしても天がギリギリ救ってくれる。

【不苟篇】
 p72、行察不貴、行い・察すること、知識とか明察・推察がなんでもできるようになるわけではないし、大したことではない。本質ではないと考える。礼儀に叶うことでないものを、出来るからなんだというのだというスタンス。仏教のように六神通のような超能力の肯定はない。―とまあ、そのように考えていいと思う(恵施や鄧析という二つの限られたケースについて話しているからちょっと微妙なのだが)のだが、神秘主義的な能力がここまで排除されるのは不思議。また修行についても同じ。そんなことここで書いてもしょうがないのだけど。
 「乱」と「治」について、国に礼がなくなることを「乱」という。儒は「治」の状態の国を治める。「乱」は治められない。「乱」の状態の国ならばなにもしないか?そうではなく原因を取り除いて「治」に戻してから治める。―とはいうものの、具体的な「乱」の治め方についての記述はない。こういうところが法家に負けた理由か。まあ、当時の戦国ではない時代を考えたら、小国の「乱」を治めるやり方はそこまで難しいことではなかったというでもあるということかな。
 p86、荀子も誠→徳→感化の発想
 p88、地・四時は物言わず。君子もこれと同じようになるべし。目指すは自然レベル。君子=誠、誠でなければダメ。これは孟子の発想に近い。
 p90、通士・公士・直士~例の辞書・事典的な羅列、分類分け・ジャンル分けで概念整理して説明するパターン。

【栄辱篇】
 p100、争いをする人間を禽獣としたい。世の中に「争い」ほど醜いものはない。
 p102、畜生・盗賊・小人の勇と士・君子の勇の違いの話。現代は勇者というimageが強い故か、肯定・プラスの意味合いがあるが、現代と違い肯定・プラスの意味ではない。熱血とかアグレッシブが適当か?
 p103、通者常制人、弱者常制於人。V+人、V+於人は一つのパターン。制す云々は階層前提か。言うまでもなく利を第一に考えるのが当たり前の世の中、時代だから。
 p104、荀子のテーマの一つに「安と危」があると思われる。「栄光と恥辱」でもいいんだけど出処進退とか、身の処し方という話の時、「安と危」の方が適切かな?と思ったので。
 p111、今更にもなるが、後天的努力の重要性「人為」。
 p114、人は生まれは小人。師と法が必要。先王の道でなく桀跖の道を行うのは「固陋」。伝統主義とは違う「悪習」の思想がそこにある。仁者は固陋に正道を告知する(論争をふっかけていくソクラテス的な意味なのだろうか?)。人間の性情は上・統治者次第。
 p122、「状」を訳していない。何故だろうか?
 p124、聖人・悪人などを外見的な特徴(人相見)から判別することは出来ない≒先天性の否定。全ては後天的な学問にあり。
 p126、外見・容貌を美しく飾り、女にもてようとする。このような男に家出して嫁いでくる娘がいるほど。縁談のために外見を美しく装うのか?ファッション=女ウケということでいいのだろうか?女のような格好の男、家を捨てて奔る女。そして大市に戮という文章の流れを考えると、身分の低い成り上がり志向の人間が失敗したということを指すのか?浮華という現象は魏晋において初めて見られる現象かと思いきや、もうずっと昔からあった出来事だということ。これは非常に重要な話だと思う。
 p141、盗賊は教化できるが、姦賊=小人は無理・不可能。姦人之雄、聖王先誅=結果論にすぎない。政争の敗者は間違いなく、奸人とされる。そういうものへの言及、留意がないのは、やはり弟子達への語りかけだからかな?

【非十二子篇】
 p148、子思(孔子の孫)・孟子孔子の教えを曲解している!勝手に孔子の真意であると称している。孟子らが孔子を有名にしたとうそぶいているとのことだが、本当はどうだったのだろうか?孟子や子思の役割は大きかったのか?
 p157、不恥不見用、儒者は無職でも世を乱さない=統治者にとってありがたい思想。
 p159、子張・子夏・子游の堕落。つまり学説の違い・多様性がある=儒によってカバーできる対象が多い・裾野が広いことになる。堕落・異端≒参入障壁が低いということでもある。布教の初発点・始まりには、厳格な教えよりも、固まっていない方がいい。カバーを広くして布教を優先する。後に復古・真の教えとしていくのが布教のパターン。リアリズム=実践性・有益性がない。リベラリズム的な理想論。理念モデルの話だから、後世までずっと使える。消えてなくなることがない。そして教団化・組織化がポイント。他に教団の形をとったのは、墨家くらいだったし。
 ~術というのが目立つ。術というロジックが好き。これが韓非子に引き継がれるのかな。孟子荀子も途中・後継が成功させるという発想だろう、おそらく。いつか「夢は叶う」理論ですね。
 p164、管仲は仲父という尊称で呼ばれていた。袁術の「仲」には、この仲父の意味もあるのかな?
 p178、弟誅兄而非暴也、弟が兄を殺してもよし。天下厭然猶一也、天下が騒ぐことがなければ=周りがそれを認めるのならばいい。革命理論ですね。それが出来るということは聖人認定されることだと。革命すれば聖人と。ここにおいてはリアリズム、現実>理想。
 p180、在下位即美俗、~氏~氏とあるが、意味不明だとか。古語の一族すべてを指す用法とかかな?昔の列挙とかか?
 p189、貴者・智者・富者になれるか?学問なら可能。金持ちについては、乞食の例を上げて、心の富と言っている。金ではなく心の豊かさというごまかしですよね、これ。まあ弟子への呼びかけだと考えるとこれも自然な話なんでしょうね。
 p190、比周=悪いことという認識。この時代ならば有力者に仕官すればいいだけだと思うが、何故この時代でも徒党を組むのか?
 p200、大儒は百里の地で十分。では何故それが手に入らないのか?それについては語られない。
 p203、長子便辟、上客に仕えて益なし。墨家が出てくると、彼らと違いがない=俗儒。この客として益なしというのは、官僚ではない食客全盛時代ならではのものだろう。
 性について先天・後天の話。
 p213、衆人・小儒・大儒=農工商/諸侯・大夫・士/天子・三公という対応。私欲の追求は衆人のみということかな?少し違うか?
 p219、身分は実力で変動。上は礼、下は学問+礼が必要。商ダメとあるが、統治階級が被統治階級の行為に手を染める=財を奪うからだろう。国・社会が成り立たなくなる。
 p220、君子>良法。君子がいれば良法なくとも、国は乱れない。君子がいない場合、良法でも乱れる。ここら辺は韓非子との違いが気になる所。
 p222、真の斉一は無差別の斉一ではない。身分秩序が必要!
 p222、君主と民のたとえ、馬上の人と馬、船の人と水。民が騒げば無事に済まない。民政第一の主張の根拠の一つ。
 p225、王は民を富ませ、亡国の君は王室を富ませる。徳の重要性の強調は、戦国時代のように力による統一・併呑が不可能。ならば弱国を庇護するのが効率的である故だろう。ルール・礼を守るほうが効率的故に発展した儒&法という背景。戦国時代は法の方が効率的で、法中心。戦国・武帝時代が終わるとまた儒という流れなんでしょうね。単純に時代による要請の違い。初期の儒と法は戦国時代のそれとはまた自ずと異なるだろう。その違いをあんまり抑えていなかったので、これからそこのところを抑えなくちゃいけないですね(今後の課題)。
 p229、衛の成公と嗣公・子産・管仲を出して政治評。それぞれ、民心が足りない、政治を行えない、管仲には礼が足りないとする。管仲に礼で完璧ということか。理想を手段や道徳のそれを政治の結果と混同している要素はやはり大きい。まあ時代が違う、時代的制約と言われれば、これもそれまでなのだが。ポイントはやはり、後世に出てくる「儒家」が現実と折り合わせた修正・解釈・新説提唱を出来るかどうかということとみなすべきか。その責任を孔子荀子に置くのは筋違いというものだろう。
 p233、王者之法、四海之内一家―流通で物資をコントロールして安定をさせる。漢においてなされるわけですが、後漢の洛陽消滅はまさにそのコントロールが絶たれた状態ですよね、そこが一つのポイントなんでしょうね。
 p235、東西南北の物資・名産の話。王たるものは~的な話で、慕われて勝手に勝つという考え。教養ではあっても実際はありえない。実技としては役に立たないですね、言うまでもなく。
 p256、身分=争色、女の奪い合いを避けるため。
 p271、墨子が説く、ものが不足する*1という説の否定。
 p274、富国篇。力がなければ下はついてこない。当たり前の話ですね。またいつもの身分の話。要諦は減税と福祉。

 p293~、王覇篇、それ以前からもそうなのだが、道義・信義を唱えて権謀術数を否定。これで法家というのは違和感がある。まあ韓非子のイメージが強いからなんだろうけど。賢愚・暗愚・名君とかむしろ典型的な儒教の発想。賢君で何でもかんでもうまくいくとか、重複が多い。本人の著作なのか?後から断片を全部載っけたのか?歴史的な背景を考えると、整理過程でおかしな感じがあってもおかしくないし。
 p338、君子は法の本源なければ機能しない。有治人無治法を目指すと。始皇帝の場合は、おそらく逆で、無治人有治法を目指したのではなかろうか?王道編・君道篇・臣道篇は特に言及することないですね。
 p384、君主を善化するのが大忠、諌めるのは下忠。そのあとに致士となっていく。ベストから話が下がっていく。これもベストをせよ!出来なかったらセカンドベスト・ベターという話に移る。トップ・てっぺんじゃなくてもそこでベストを尽くしなさいという発想だろう。
 p411、斉は個人戦術で魏は集団戦術。貴族中心ということかな?議兵篇で説かれていることは、兵家と通じるものがある。兵卒と命・行動をともにせよと書いてはいないが、民政を大事にすることで民≒兵士の忠誠を得る。ということを考えると兵家も儒からの派生という一面・一要素はあるのだろう。
 p421、現地人に乱暴をしない規律が重要。3ヶ月=ワンシーズン以上駐留して、現地人を苦しめることがないように。兵は仁義、敵を倒すのではなくPKO的な発想。(当然戦国時代になるとそのニーズに合わない)
 p426、末世之兵―末世という観念あり。 

荀子を扱うこんな優良サイトがありました。スゴイ詳しいですね。読む前にこのサイトを知っていたら…。ぐぬぬ。これをちゃんと読んでから、下巻をよみませう。


 ※追記:下巻*2読んだんですけど、大して書くことがなかったので、ここにのっけておきます。
 荀子は、禹でも桀でも天の法則は変わらないと、天人相関を否定している。こういうのが孟子と違う所。しかし人妖という概念で、牛馬に異常な赤子などが生まれるケースを、政治が乱れた結果だとする思想があるのは面白いところ。奇形=政治・人倫の乱れという価値観は根強かったということか。
 君子にとって雨乞いは人心を落ち着かせるための儀式にすぎない。そこに精妙な働きがあるとは考えない。知識人階級と大衆の認識の二元性・二重性ですね。星が堕ちるのは三国志演義でおなじみですが、大風で社の木が鳴くことで人心が落ち着かなくなるという話があるのか、知らなかった。
 ブスの代名詞として嫫母、ブ男の代名詞として刁父というものが挙げられている。黄帝時代の醜女らしく男の方はよくわからない。美男美女として、子奢・閭娵の名が挙がっている。鄭の美男子と梁王の美女だと。鄭といえば美人というが、美男子までいるのか。ハイカラ(な土地柄)ですね。
 霜降逆女~―嫁を迎えるのは農業が終わって春がくるまでの間。当時の社会常識メモ。 老人・不具が家庭にいる場合の夫役の免除。新婚も免除となるが、さらに諸侯に従った移住者も免除とある。へぇ、じゃあ曹操に従って鄴に入った移住者、李典とかやっぱり免除になったのかな?
 氐・羌は火葬をするって昔どっかで書いたっけ?記憶に無いからもう一回書いとくか。まあ遊牧民は墓なんて作れないしな。火葬のやり方、儀式などどんな感じだったんでしょうね?山岳系の民族だとまた違ってきそうですし、半農半遊だとまた変わってきそうで、そこら辺どうなのか地味に気になった。

*1:故にあらゆる贅沢と、それを生む身分秩序の否定に繋がる

*2:新釈漢文大系〈6〉荀子 下巻