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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

ゲーム機バキバキ事件騒動に見る、高嶋ちさ子バキバキ叩き事件

政治・社会問題

ネタがなかったので、昔の小ネタを取り上げてみました。

 ヴァイオリニスト高嶋ちさ子氏が子供のゲーム機を約束を守らなかったという理由で破壊したという話についてです。東京新聞のコラムに、その顛末を書いた所、炎上したとのこと。

 

 常識で考えると、子供のおもちゃを破壊する行為はやり過ぎ、度を越している。非難を浴びるのは当然。ただ、ネットで彼女の行為について異議を唱えるならともかく、叩く行為というものについて違和感を感じる。

 

 高嶋ちさ子氏の行動については、違和感を抱くどころか、嫌悪感を抱くレベルだが、だからといって叩いていいわけではない。今に始まったことではないが、ネット上で彼女を叩く、過去のツイートを発掘して「言い逃れだ!」などと追求する態度は、彼女と同じく度を越した態度だと言える。

 

 そも、そんなことをして、一体何になるというのか?「彼女の責任逃れの態度が卑怯である!だから許せない」。そういうことが言いたいのだろうが、ではネット上でリンチのように勝手に過去の言動の矛盾を突き付けて一体何になるというのか?適切な謝罪・賠償という責任のとり方が、それによって得られるのか?

 

 言うまでもなく、そんなことをしても納得のいくけじめの付け方なんてみつかりっこない。しかるべき対応をして、以後気をつけるように!となって、チャンチャンと話を終わらせることが出来ない。話の終わらせようがない、結末が見えない。決着がつかないストーリーで彼女を問いただしても何にもならない。オチのない長編マンガ、オチのない漫才になるだけ。

 

 許しなき叩き=追求、然るべき対応がありえない問題において、そんなことをする人間はいじめと同じ。相手が過ちを犯して、それを問いただす時、孫子ではないですが、必ず逃げ道を用意してやる。謝ってしかるべき対応をとったのなら、それでもう十分。それ以上追求するべきではないし、責任をきっちりとったら水に流してやるべきだろう。明確に責任を取れる問題でないのに、責め続けるというのはいじめと一緒。落伍者を骨までしゃぶってやろうという気持ち悪いメンタリティに基づくものとしか思えない。

 

 炎上をして、高嶋ちさ子という人間はちょっとおかしいのではないか?という疑問符がついた時点で、彼女の社会的信用は傷つけられ、メンツは潰れた。それでもう十分に目的は達せられている。にも関わらず、他者の失敗をあげつらうのはどういうメンタリティなのか?理解できないが、健全なものでないことは言うまでもないだろう。

 

 誤解する人はいないと思うが、ハッキリ言って彼女のことは嫌いである。以前テレビで見た時、非常に我が強い人間だと感じた。美人で音楽で成功した人間という背景を考えると、チヤホヤされて育った、生きてきたのだろう。自分の意見が間違っているとデータを示されても、自説を曲げないところを見て、「ああ、そういう環境で育ってきたんだろうな」と感じた。

 

 子供のおもちゃ、ゲームというものを平気で破壊するような母親はろくなものではない。母親に限ったことではないだろうが、ダメな親のタイプとして、子供を所有物扱いして、自分の思うようにしたがる。コントロールしたがるというタイプがある。彼女の行動を見ると、まさにそういうタイプなのだろう。我が家のルールは―と言っているが、そのルールの決定権は自分しか持っていない。子供が決められるものではないだろう。そんな一方的なルールに子供が価値を感じるはずもない。子供がルールを破るのは、当たり前だろう。

 

 年頃の少年がゲームを一日一時間程度というので納得するのは難しいし、まして約束を破ったら破壊していいなどと言い出すとは考えにくい。そのゲームが親に買ってもらえず、入院中友達がプレゼントしたという背景があるのなら尚更だ。むしろ母親として、そんな大事なものを破壊していいと言い出す感覚を咎めるべきだろう。

 

 一方的な約束=押し付けのあとに、力の誇示として物を破壊する。そしてそれをさも手柄のように公に公開する。まともな神経の持ち主でないことは確かだ。

 

 それはそれとして、では追求していいのか?叩いていいのか?しかるべき人物・法的正当性のある行為でもない手段に訴えるのであれば、「ゲーム機バキバキ」と同じことになる。ゲーム機をバキバキにする非道行為をしたから、高嶋ちさ子という人間をバキバキにしていいということにはならない。

 

 人間である以上、こういうことを目にしたら、「ああ、バカだなぁ高嶋ちさ子って」位のことは思うし、こうやってブログに書いたり、ツイッターで呟いたりくらいはするだろう。が、それ以上のこと、本人のSNSに突撃したり、実在の関係するところに問いただすのは度を過ぎているだろう。まあ、こんなこと言うまでもないことなのだが、一応境界をハッキリさせておいた。似たようなことをまた書きたいので。こういう事件が最近目立つので書いておきたかった(まあ、最近でもなく、こういう度を越した態度というのはずーっと昔からあるのだけども)。

 

 教育一般論で言うと、父性・母性という観点から、父親が厳しい・怖いというのはいいことだと思う。だが、あまり母親が厳しい・怖い態度をとることは好ましくないと思う。この家庭において父と母の役割が逆転しているのならば、子供にとって良いと思うが、両方「父」として厳しいことで偏っているのならば、子供が大変・可哀想だろうとは思う。

 

 あくまで一般論であって、結果は子供にしかわからない。子供が厳しかったが、それでも幸せだったとか、ありがたい存在だったなどと成人して感じるのならば、それが正解であるということになる。この事件の顛末、正解というのは彼女の子供の成人後にはっきりする問題だと思われる。「これまで母はあまり好きではなかったが、事件後少し優しくなった」とか、「あまり厳しくなくなって良かった」など子供の気持ち次第になる。周囲がどうこういう話ではなく、正解は当事者である子供の受け取り方・想いによって決まるものだという当たり前のことが忘れられている、見落とされている気がする。

 

 昨今の目を覆いたくなるひどい虐待の話などを聞くとこのくらいで虐待だ!子供を取り上げて守れ!となるわけもなく、仮に子供二人が母を嫌いで苦しんでいたとしても、この母のもとで生きていかなくてはいけないという現実を考えなくてはないけない。この子供二人を引き取って私が育てる!とでも言える責任を取れる人間ならばともかく、そうでもない人間が軽率に虐待云々を言うのはいかがなものかと思う。世の中で救わなくてはならない子供が大勢いることを考えると尚更。

 

 そして我々が気をつけないといけないのは、こういう厳しい親が子供に求められている可能性もまたあるということ。「普通なら~」と何回か書いたが、ヴァイオリニストの子供・家庭で、テレビで露出のある有名人ということを考えれば、当然「普通ではない」わけだ。

 

 彼女及びその家庭は、階層的には上層・上流の人間であろう。ならば、当然一般人とは異なった前提・社会常識で生きているのも当然だろう。そういう世界の人間ならば、親が非常に厳しくても、まあおかしくはない。そういうケースも有っておかしくないだろう。

 

 ゲーム機を平気で壊す神経について嫌悪感を覚えるのだが、彼女がそういうクラスの人間だということを忘れてはいないだろうか?お金がたくさんあって、知的教養が高い人間からすれば、下らないものに見える。そりゃまあそうするだろうなと思う。絵画・骨董品について、価値がわからない人間にとってはなんでもないものにすぎない。高額な値を知って、あとから「へ~」となるのが関の山。それが芸術的価値の無い、安物ならば大切に扱わない人が殆どだろう。自分にとって大して価値の無いもの、だから捨てる。そういう行為について、自分が大事に思うものだから、ゲームだから許されない!=ゲームはどんな人間にとっても大切にされなければならない―という態度ならば高嶋ちさ子と同じことをしていることになることが理解されているだろうか?

 

 自分にとっては価値のある物、大切なもの。しかし他者がそれをけなす、バカにする権利はもちろんある。それを許容する態度はちゃんとあるのだろうか?そこはきっちり理解されているのか心配になった。自分にとっては大事なことだが、あなたの内面の自由を守るという理解がきっちり備わっているだろうか?

 

 今回の事件は、①他者の所有物の破壊(特に物への思い入れの強い子供の持ち物)②破壊行為を手柄のように公開する姿勢・精神―の二点が問題になっている。彼女がゲーム機を壊す自由はもちろんある、不愉快だろうがそれを我々は許容しなければならない。そのことの理解はどのくらいあるかふと心配になった。

 

 無論、物だから好き勝手に壊して良いのか?という話になると思うのだが、現状では生きている動物の虐待はともかく、無機物である自身の所有物を勝手に破壊しても何ら罰則を与えることは出来ないだろう。アイドルのCDなど、破壊するさまを公開して、そこに他の要素、名誉毀損・威力業務妨害・脅迫などが絡まなければ、立件することは難しいのが現状だろう。

 

 そういうことを考えると、むしろ今回の事件は、バカッターと呼ばれるケースに含まれることなのだろう。痛い行動をネタとしてSNSに投稿する、犯罪行為を平気で公開してしまう。その手のたぐいに近い。これも彼女の周辺が普通の人と異なる人間だから、世間と感覚がズレたからだろう。世間というより、社会の中層・下層。その人達がどう考えるかということに思いが至らない。今後、社会上層の人が同じ過ちを犯すケースは珍しくなくなるのだろう。今回の出来事は彼女の性格が招いた部分が大きいとしても。そういうリスクを考えると、一旦公開する前に、秘書だったり、信頼できる中層・下層の人間に一度チェックをしてもらうというステップを挟むことが必須になるのではなかろうか?

 

 野球賭博が世間とかけ離れた結果起こった出来事という背景を考えるとそんなことを思わざるをえないのである。「一度なくした信用を、どう取り戻すか考えなさい」とは、氏の言葉だが、まさに氏は今回の件で大いに信用を失って大変な目にあったわけである。事前にそういったリスクを回避するための措置導入が歌舞伎や相撲など独特の世界を形成する社会・組織は導入すべき、待たせるべきだと感じるのである。まあ、野球賭博の一件で、声出しが賭博だなどと因縁をつける手合が世間ヅラをしているのでそこに変な手合が絡んで、歪んだクリーン文化が持ち込まれる恐れもあるのだけれど。

 

 「世間」=社会の中層・下層、そんなことを考えると、いろいろ思うこと、感じることが多々あるのだが、収拾がつかないので今回はこの辺でおしまい。