てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

今月の読んだ本(2016/03)

 今月の読んだ本ですね。いつものように短い感想集です。

神道――日本が誇る「仕組み」 (朝日新書)/朝日新聞出版

 天道思想―世俗道徳・内面倫理の誠の方が、祈り・儀式よりも加護があるという考え。戦国大名の政治が富を生む。為政者による富の増大、民を豊かにすることが天道思想と結びつく。内面的正しさが結果になっているという発想。キリスト教はこの「天道」として解釈・受容された。宣教師もゼウスを「天道」としていた。キリシタン大名というのは、この天道思想を深く理解するために帰依したという背景があるのだろうか?

ユーラシア諸宗教の関係史論 他者の受容、他者の排除

ユーラシア諸宗教の関係史論 他者の受容、他者の排除

 

 深沢克己さんのこの本の中の神田千里氏がこの天道思想について論じてあるとのこと。面白そうですね。

 観阿弥世阿弥の「夢幻能」は南北朝騒乱の武士の供養。怨霊・鎮魂の日本文化・芸術論ですな。
 神道について理解する一助になるかな?と思い読んでみましたが、サーッとおおまかな歴史を俯瞰する感じですね。ダメってことはないですが、なるほど、神道とはそういうことか!みたいな本ではありませんでしたね。初期の自然宗教的な価値観だと祖先の霊がムラを守るように墓が周囲に配置されている、ケガレや災いから守るようになっているというのが典型的な宗教観に見えましたね。川で清めるとかも。

猫―猫と歴史家と二度目の妻/論創社
 全然関係ないですが、こんな本があるようですね。「猫と歴史家」というテーマで本を書くとは…。ハズレ感が半端ないですが、ひょっとしたら非常にユニークな切り口があるのかも?タイトルだけで食いついてしまいましたね。まあ、読むとは思えないのですが。二度目の妻ってタイトルなので、ひょっとして小説なのかな?カテゴリだとヨーロッパ史・フランス史なんですけどね。

 

食糧と人類 ―飢餓を克服した大増産の文明史/日本経済新聞出版社

 面白そうだなぁと思って読んだら、微妙でしたね。化学的な話がメインで、それがわかりやすい説明・記述ということでもなく、あんまり食いつきませんでしたね。まあ知識としては良いんでしょうけど、そんなことを頭にいれるほど容量ありませんから、まあ良いかという感じですね。

 

孔子 (岩波新書 青版 65)/岩波書店

 論語管仲が四回、鄭の子産が三回取り上げられて称えられている。二人は国家の宰相、賢相であり、内政をまとめて、対外的には北方同盟・南方同盟という「覇」=同盟のリーダーとなった。北方遊牧民と戦った管仲。北・南の大国の同盟の衝突の狭間にあって、小国ながら上手く国際関係をコントロールした子産。管仲ばっかりに目がいってたけど、孔子が目指していたモデルはこの子産ですよね。子産よりも身分・生まれが良くない孔子が、まずこの子産を目標とするのは当然でしょう。管仲>子産>子西(楚の宰相)という人物評があるので、おそらく管仲の良いとこと、子産の良いとこを合わせた折衷モデル。そこに自分のオリジナルを加えて大成功という形を目指していたと思う。

 子産がおそらく法家・政治における立法化の先駆け。氏族連合国家の解体・再編に立法は不可避。孔子が徳知政治で法治政治を否定した(この書でもそう書いてある)的なことを言われるけど、おそらく「理想と現実」の話で、法治政治を徹底的に否定はしない。孟子のようなエキセントリックな立場はまず取らないと考えていいと思う。それは管仲の法治に対する肯定的な態度でも明らか。

 おそらく政治改革に成功していれば、孔子も子産のように立法化して法治政治を行ったはず。そうでもしなければ覇を唱える政治・諸国を同盟でまとめ上げること。そしてそのシステムをさらに超える王道政治への移行などまず不可能であっただろう。

 それこそアショーカ王のように軍事的な拡大が終わると強制的な法治から宗教モデルを導入して穏健的な統治法に転換したようなことを目指したと見るべきではないだろうか?元から大国の貴公子だったアショーカでさえそうだったのだから、小国の一私人に過ぎない孔子は尚更それ以外考えられないだろう。

 面白いのは、孔子の孫が国政改革に成功しているところか。孔子の政治とは失敗したままでまるで報われないものだと思っていたが、彼の子孫がある程度の成果をもたらしたというのなら話がまた変わってくる。全く成功しなかったルサンチマンの宗教とみなすより、民衆・大衆に支持基盤をおいていた点に注目すべきと思われる。そもそも孟子のようなファナティックなものならともかく、かのような現実的な政治に携わった孔子を天子になると思い込んでいた狂人とするのは論旨が強引すぎる。

諸子百家――中国古代の思想家たち (岩波新書)/岩波書店
 諸子百家が気になったので、一応ついでに読んだ。あまり得るものはなかった。まあそうとう昔の本だしね。

 

世界文明における技術の千年史―「生存の技術」との対話に向けて/新評論
 マーシャル・ホジソン「火薬帝国」というワード、著作が気になったが、和書では出て無いようだ。まあ当然この手の概念にありがちなように、答えが強引なまとめになりがちで、そういう指摘がされているようだけど読んでみたいな。トルコは騎馬帝国のバックボーンを持つだけに、馬へのこだわりで銃火器導入へ拒否反応があった。よってイエニチェリによる専門銃部隊を創設したと。
 ギリシャの火→アラブでインドシナへ、マレーシア、そして中国へ(唐末期くらい)と広まっていった。清も織豊・徳川政権も火薬・銃火器の影響が大きいが、どちらもその様式は独特。中国の場合は広範な読書官僚によって成り立っている点が、インドやイラン・トルコと異なっている。いわば「印刷帝国」だと。日本のその後の進出・拡大しなかったあり方は銃・火薬国家として独特だったと。

 灌漑とか紡織とかいろいろ技術の話がありましたが、他は別にそんなに食いつかなかったですね。 

 そうそう、思い出したので昔つぶやいたことを追記。モンゴルの侵略でインドの技術の崩壊があった。天文台図書の消失で二度とその文化レベル・技術レベルは元の水準に戻らなかった的な話がありました。これは遊牧騎馬による侵略・破壊が文明の消失というふうに説明されることがあるんですけど、これは根源的な理由にはならないと思うんですよね、理由の一つにはなっても。その国家・帝國が衰退に向かっていて、侵略されて崩壊を迎える。その衰退に歯止めがかからなかったから、再生不可能という流れと見るべきだと思う。

 遊牧VS定住という図式はよく言われるのですけど、どこの定住文明でも一度はしかみたいに遊牧の手によって滅びる。遊牧騎馬による文明の消失・崩壊を経験するものだとみなすべきでしょう。日本とか東南アジアが特殊で。西ローマや晋などのように、その崩壊後に、余剰土地・後背地に流れて、その地を新しく開拓して文明を再生させるってのが、まあある種のパターンですね。

 遊牧騎馬が既存秩序、大国を破壊して飲み込んで新しい帝国を築き上げる。モンゴルなんかが代表的なように、それによって巨大な版図が一つにつながって、東西の文明・文化が接触して新しい文明・技術・芸術が花開く。これが一つのパターン。アレキサンダーのヘレニズムみたいなもんですね。しかしどの時代にするかは難しい話になりますが、結局欧州文明が植民地支配に乗り出す頃には、もうその力学が働かなくなっていた。海洋でもルートは存在して、閉鎖国家を打倒して巨大な開かれた帝国を作ったとしても、そのインパクトが殆ど存在しない時代になっていた。アレキサンダーリスペクトで、巨大な帝国が築かれることで生まれる繁栄を「ヘレニズム効果」としましょうか。そのインパクト・効果が殆ど無かったんでしょうね。

 

心との戦い方

心との戦い方

 

 身体論の別館で書こうかとも思いましたが、大して書くことないので、ここで。子供の頃大した力でかけられたわけでもなかったのに大人に技をかけられてパニックになってしまった。パニックになる状況をあえて作り出してそれを克服する練習をしたと。冷たい水で死にそうな環境でも心を沈めて落ち着かせる訓練なんかも書いてありましたね。

 ヨガで達人の境地、無我を手に入れたとのこと。これは他の人に教えても伝わらなかったと。虚心坦懐とした彼の人生観・姿勢は素晴らしいし、侍かもしれませんが、「士」ではないですね。自分と家族への思いはあっても、地域・国レベルの思いはない。ブラジルという国柄なんでしょうね。英雄たるヒクソンにブラジルのためにという思い、社会奉仕や寄付という話がない。でも、それは日本でもおなじこと。侍はいても「士」はいないでしょうからね。

 船木は死ぬ気で戦っていた。ヒョードルと戦うつもりがあった。勝てるとも書いてありましたが、あの当時のヒクソンヒョードルならヒョードルには勝てないと思いますけどね…。何より体格が違い過ぎますからね。