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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

「処女厨」についての一考

 

 ここで処女と持参金という話があって、結婚するには女性は処女でないといけなかった。そしてもし処女でなければ持参金が普通よりも多くないといけないという話がありました。まあ持参金というものを通じて父親が娘を支配するなどそういう文化的背景があったわけですね。「家」と結婚・恋愛が深く結びついていたが故の発想なんでしょうね。

 結婚のために女性は自由にセックス出来ない。処女のままでいなければならない。だからこそ王族は初夜でそれぞれの立会人が確認をするということまですると。家を維持するためには、その子供が間違いなく自分の家の子供だということが証明されないといけませんからね。だからこそ別に男サイドの純潔・童貞は求められないわけで。その子供が確実に自分の家の子供だということの保証を求めるならば、男児を出産するまで女性の行動を監視するなんてあっても良さそうですが、まあ最初にそういう不純なことをしていなければあとは問題ないんでしょうね。出産したら、あとは女性に自由恋愛がゆるされていたというくらいですし。産むまで我慢すればいいだけですからね。

 

 そんな前回のまとめはさておいて、気になったのはいわゆる「処女厨」という心理について。どうも女性に異常なまでに処女性を求める嗜好(?)を持つ人々が一定数いるとか。二次元やアイドルにそれを求める手合、現実の女性・自分の恋人や嫁にそれを求めるタイプなど色々存在するようですがそういう発想をする人間がいて、時に暴走してストーカーになる人間もいるとか。

 

 昔は貴族だったり、家の要請だったりで処女というものが必要とされたわけですね。しかし今の彼らはそういう背景はまずないでしょうね。ですから名家の出身で、あるいは田舎というか地方の風習が強くて、嫁は処女でなくてはならぬ!という伝統的な発想に基づくものは今回除外して論じます。

 

アイドルなど著名人への処女厨について

 独立した一個人・一男子として、女性に処女ということを求める。なぜなのでしょうか?まず発狂する場合、アイドルのような存在にそういう行動に出るのは特別な存在だからでしょうね。アイドル=女神や巫女説という話を昔書いた覚えがありますが、彼らにとってはそういう神に仕える神聖な役職にあるものは純潔を失ってはならないと考えるわけですね。それは神を裏切る行為に値するわけですね。

 

 まあアイドルという言葉の由来からして「特別な存在」ということを売りにしているわけですから、ファンの一部にとってはケガレない存在ということが何よりも大事だということになるのでしょうね。歌・踊り・パフォーマンス以外に「純潔」を求める人がいてもさほどおかしなことではないでしょう。アイドル=巫女ではなく、アイドル=神であるのならば、その程度のことで裏切るなんていう発想は一神教的にはありえませんが。

 

 おそらく多神教的な神の感覚なんでしょうね。寄付をしたからご利益を与えろという人間主体の感覚。「オレが支援してやってるんだから、俺の思うような行動をしろ」という発想なんでしょうね。騙された自分に責任はないのか?自分の見る目がおかしかっただけだとなぜ考えられないのか?まあそんなことはどうでもいいですね。時に起こるアイドルに制裁を加えてやるが如き、変質的なバッシングに走ることをやめさせるには、アイドル=巫女を制裁する役割・制度がきっちり整えられている必要がありますね。ちゃんと制裁が加えられた、罰則を受けた。罰則を受けたのに、その制裁は既にきちんと行われたにも関わらず、ネットで陰湿的な書き込みを続けているものは、同じく神に反逆する行為である・涜神行為である―とならないとそういう行為はなくならないんでしょうね。

 まあ、アイドルを支援する・応援する人というのはごく限られた特殊な一部の人なので、そういう人達が納得するような制裁・制度的な罰則を考えだすのは難しい気もしますけどね。大衆はそこまで関心ないですし、コアなファンだけでしょうからね、騒ぎ立てるのは。業界がビジネスになることを優先して騒ぎ立てるだけでもはや「国民的」なんていうカリスマ的な存在は成立しませんからね。

 

現実の女性への処女厨について

 アイドルへのそれはまあそういう心理だとして、現実の女性にそれを求める心理について。ボーヴォワールのフラーテ、恋愛をしてもセックスはしないというスタイルがありましたが、男性もそれを求めるということでしょうかね。当然、自身も「純潔」であるべきだと考える。ものすごい保守的な恋愛観・結婚観というべきなのでしょうか?そうではなく、「結婚する二人は清いままであるべきだ」という価値観によるものだと思いますね。

 

 今の時代、婚前交渉など珍しい話ではない。というか性愛が快楽の一つとして認められている以上、むしろそれが普通。逆にそれが当たり前のことになったがゆえに、「清いままで結婚する二人は特別な存在」という物語性が生まれているということなのかもしれませんけど。

 

 家の要請でもなく、時代環境の要請でもないのに個人としてそういう要望・願望を持つというのは、「特別な二人」という物語を欲しがるが故だと考えます。子供が愛しあった両親から生まれた子供であると思いたいように、自分は望まれて生まれた子、必要とされてこの世に誕生したんだという物語が必要なように、「愛された子供」というように「愛しあった二人」という絆を望むのでしょう。

 

 他に色々特別な絆を形成するものは、いくらでもあると思うのですが、そういうものを想像できないんでしょうね。おそらく女性はそういう「処女厨」の男性に好印象は持たないでしょう。気持ち悪いと感じるのが普通。しかし逆に言うと「処女厨」はそこさえクリアすれば、ハードルがかなり低くなるとも言えますね。

 

 松本人志がブサイクは処女を大事にするという持論を語っていましたが、平和な結婚生活を営むために処女で結婚すれば、相手は満足するわけですから婚姻相手としてはかなりいいのではないでしょうか?純潔や特別な物語を性に求めるのならば、当然浮気もしないでしょうからね。童貞を捨てる・処女を捨てるという表現があるように、現代にはそれを卑しむ価値観があるわけです。それを成熟した大人・一人前でないとみなす考えがあります。しかし逆に「処女厨」にとってはそれこそが純潔の証であり、尊ぶべきものなわけですね。であるならば、両者の考えの溝は埋めがたい物がありますね。

 

 現代の性倫理的に言うと、かなり極端な意見で少数派といえますが、容姿に恵まれず不遇な境地にある女性にとっては、処女でさえあれば「素晴らしい女性」あるいは恋愛対象・結婚対象となるのですから、むしろ扱いやすい良い物件になるのではないでしょうか?処女が少ないとなればなるほど、自分の価値は自ずと高まるのですからね。まあそれはそれとして、お互いが良いパートナーだと認識するか、マッチングするかはまた別の問題なのでしょうけども。

 

 「処女厨」でかつ、更に女性にいろいろな要求をする。他のハードルが多い&高い、更に自分は浮気するなどというクソみたいな人間がいたらどうしようもないですけどね(笑)。というか「処女厨」であるならば、それ以外の神聖性を女性に要求するべきではないでしょうね。

 

 そういう厳格な性倫理感・規範を持った人間が、ベッキー乙武のような不倫事件を叩くのならばわかるような気がしますけど、そういう人間が叩いているのでしょうかね?処女厨というのは正確ではないので「性潔癖厨」とでもいいましょうか?散々婚姻前は異性と関係を持ったが、結婚後はスッパリ止めた。仮にベッキーが処女だとして、初めてであった愛する人=一人の既婚男性に惚れ込んで不倫をしてしまったとしましょう。男の別れたらキミと一緒になるという言葉を信じていたとしましょう。そういうケースはどちらが果たして、不道徳で不倫なのでしょうかね?

 

 ※追記、「性潔癖厨」と書いたのは、処女厨だけでなく、女性サイドの男性への純潔を求める嗜好も含めたくてそういう風に書いたのですが、女性はあんまりそういうものを求めない気がしますね。自分と出会って、それ以後自分だけを一途に愛してくれさえすれば良い。過去は問わないというのが殆どでしょう。男性の方が所有物感覚、自分のものだという感じで捉えるからでしょうかね?

 「処女厨」の男性は、その信仰対象の女性、あるいは妻以外とセックスしないでも良いと考えるのは、オナニーするからなんでしょうかね?男性はオナニーを好む。オナニーの気持ちよさとセックスの気持ちよさは別であり、オナニーの方を好むというのは珍しく無いと鹿島さんも書いてましたしね。(また女性はオナニーでは満足できない、リアルを必ず求めるということも書いてありました。オナニーで足りるから「処女厨」が生まれるとするならば、女性版の「童貞厨」というのは誕生しないということになりそうですね。)

 このいわゆる「処女厨」の男性たちにオナニーも浮気だ!オナニーしといてなんのつもりだ!それこそすでに心の浮気をしておる!と問い詰めたらどうなるのでしょうか?オナニーすらしない、そもそもそういう性欲が乏しいがゆえに処女信仰、結婚願望に昇華されるのでしょうか?

 まあそういう人達の発想・思考がどうなってるのか気になるところではありますね。たまにニコ動なんかで非処女は~とか中古品だ~的な「?」なコメを見ると、どういう発想でこういうアホなコメントをつけているのか気になるんですよね。社会の病理ですから、その心理を解き明かしてみたいという思いを抱くんですよね。