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てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

浅野裕一著 『墨子』

墨子 (講談社学術文庫)/講談社

¥1,102 Amazon.co.jp

 いつものように読んだ感想・メモです。浅野さんシリーズはこれでひとまず完結かな?孫子宇宙論をいつかやりたいけど、さあどうなるか。墨子の原文と書き下し文があったので、いつもの新釈漢文大系ではなく、こっちで全文読もうかな?と思ったけど、どうも全文ではなく部分抜粋のようだったので、止めました。渡辺卓氏の『古代中国思想の研究』への批判が多いのかな。2~3件否定的な言及があった気がします。一応目安として、十論のタイトルが書いてあります。


 尚賢、賢良を増やす、そして人材を用いるのに墨子の思想では段階がある。儒教の賢はイコール人材「士」だが、墨子の場合は、そこに一般の民も含まれる。狭い範囲、領域が小さい小国家ならではの国内全体の安定・繁栄を願う発想からかな。孟子などでは、士は日常労働に従事することはありえない統治階級として考えるのが前提。だが墨子だと士が労働に従事することもありえる。小さい政府的な発想で、官職・官吏を省く。冗官を嫌う。「無駄」認定された贅沢なもの・職をなくすべしとする。実務能力重視で、生産の向上に努めよとする、顔回のような態度はありえない。プラグマティズム的であるがゆえに、内面の倫理の徹底化はそこにない。生産が難しいというのが前提、そしてそれはすなわち生存が難しいという世界観になる。生存が難しい世界で生きていくためにどうするか?そういう前提から築き上げられたのが墨子の思想と言えるだろう。危機感のあった墨子となかった孔子。そう考えるとその差異はやはり孔子が高い地位について、世をいい方向に代えられると考えていたからかな。
 まず問題にされるのは能力ではなく意志。国家内に言うことを聞かない民が多い=良民を増やす必要があるというのは、思想の萌芽期ならでは。国家として日が浅い、まとまりが弱い小国家ならではか。国家の安定確立が目的になっている。だから従わなかったら罰せよということになる。
 尚同=専制体制なのか?そもそもそういう時代に生まれた思想ではない。それが専制をもたらす・もたらさないという話はそこまで重要ではないだろう。これも単純にまとまりがない時代に、組織としての一体性の向上を訴えるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

 兼愛は、自分以外の誰かをすべて等しく愛せよ―というキリスト教的なそれとは異なる。自分の親・君主と他者の親・君主には差があるもの。その差を極力小さくしろというだけ。これもまあ、小規模な国家内での民衆同士の対立の抑制ということだろう。
 非戦、戦争するなという主張も戦争がメリットにならない故のもの。しかし君子統治階級にとっては戦場の勝利・武功は美徳であり名誉。それを否定する思想を彼らが受け入れる要素はもとより小さい。戦争行為が不利である弱小国は別だが。韓非子に文章が拙いという批判が既にあり、論理が繰り返しでしつこい。にもかかわらず文章的に上手い表現が乏しい。思想同様、文章も質実剛健という感じ。このような文章は、対象を統治階級・身分の上のものにしていないからだろう。同じく下級士族・新興階級を相手にして書いたものだと考えることが出来る。

 非攻、攻めることがいかに国家にとって有害か。生産活動は妨害され、繰り出された兵士は苦しむ。当然それを輩出している親子・夫婦が苦しむ。家全体に苦しみがおよぶことになる。戦争・軍事行動が、民の重荷になるという当時の小国の政治事情から生まれた思想。そういう戦争=労役などの重税に反発する庶民の思いを組み上げる思想だったと見ていいだろう。

 節用、荀子の人間の生産力の信頼=楽観論に対し、人間の生産には限界がある=悲観論の墨子の違いがある。故に無駄な飾り・華美は避けるべきという思想。これも小国で生産力が乏しい国から生まれた思想。そういう国だから無駄なこととなり、そんなことするなら実質的な生産向上に費やして富を増やすべきだと考える。上が無駄な消費をする環境から生まれた思想。また当然、その労力を生産に向けたほうが国家にプラスになる環境から生まれた思想。

 節葬、同じ。生産力の無駄。鬼神・上帝に供え物を捧げられなければ無意味とする。統治階級が無駄な支出をすることで社会全体の重荷になるという警告・統治階級への戒めとしての側面の方に注目すべきか。

 天志、周の天子がもはやいない・機能していない以上、天帝・鬼神の権威によって、秩序を維持しようという発想になる。封建構造を維持しようというのが墨子の前提で、皇帝の専制のようなものとは当然異なる、かけ離れた思想。

 明鬼、鬼神を祀ることは無駄ではない。祭祀によって郷里秩序の維持に繋がる。血縁・地縁原理を無視はしない。それで公秩序を脅かすなという主張。家の葬儀よりも郷里の祭、儒教同様社会福祉からの逆算か。鬼神がいるほうが有益だ、「鬼神がいると思え」という主張だと見るべき。墨子(及び墨子の思想・団体)は、宗教家・宗教要素が強い・宗教結社だったとまでは言えない―初期の墨子においてはそうだが、末期においては別物とみなすべきだろう。思想の変遷がポイント。柔軟性がない硬直的な思想、布教対象階級が狭いものであるがゆえに中興の祖が出て改変される必要があった。それが出て来なかったのが全て。柔軟な思想の改変がなければ、次代への継承が途絶えて廃れるのは当然。
 法家・兵家には鬼神は無視される。鬼神というものを思想に据えるもの依然多かったが、管子や中庸のように形而上化、心のなかで妙なる働きをするもの、内面化の方向だった。外部にあって働くものだと考える墨子の鬼神概念は、思想としては魅力を持たなかった。

 非楽、音楽の否定は前述通り贅沢であり、生産力を低下させるから。しかし中国人は昔から天体と音律に理法を見出していた。その否定になってしまう。史官と瞽官にそれぞれ担当させる。瞽=盲目の楽師。両方合わせて天道=宇宙の運行法則とされた。漢書の律歴志のように、相互に深い関係があるものとされた。それぞれ周の天子が軍を率いるときは従軍して勝敗を占っていた。天体観察と音楽の才があるものは特別な人間とみなされたわけだが、前漢くらいまでなのか?それとも後漢頃までそういった価値観は根付いていたのか?戦場での超常的な予知能力故に尊ばれたから、平和になったらその価値も落ちていったと見るべきかな。秦の時代にはもう失われていたのだろうか?
 音楽には神降ろしだったり、天気を動かすという呪術的な力があると民間では信じられていた。その呪術性を排除したがゆえに民間に根強い信仰・信者を築いて組織を保つことが出来なかったのだろう*1。また、礼での教化作用『国語』周語上には卿・士は詩、瞽は曲、史は教書とあり、それぞれ君子に伝える手段となっている。音楽を否定してしまうと、その機能が消失してしまうことになる。小規模・小国家を前提とすると何度も書いたが、組織が大きくなれば自ずと無理が出る、ふさわしくないものとなる。郷里での親睦・連帯を深めるそれもある。荀子が相(きねうた)の形を取って君主の政治をそしったのも、童謡や労働歌の形で君主への不満が伝えられるそれと同じ。

 自然の厳しさ、生きることの難しさを前提に墨子の論理は組み立てられている。この自然に対する人間の独自性が荀子の天人の分の発想につながっていく。墨子時代は自然の厳しさが注目されていたとして、荀子や後世になると生産力=技術が上がって、その前提が通用しなくなっていったという背景も考えられそうだ。
 非命に見られるように、そもそも天道是か非かのような天の不条理というものへの考察がない。

 非儒、孔子が子路の犯罪行為を咎めずに差し出された酒・肉を食べたことへの批判。旅の途中での緊急避難的な行為だからか?それはそれとして儒教教団・孔子は苦しい立場にあった。顔回を見ても明らか。対照的に、墨子の教団はそういう困る描写がない。弟子が仕官を求めて師事するだけで、弟子の師や学に対する不誠実な態度に悩む描写はあれど。これは城を守るオファーがあった、それによる謝礼が物をいったのだろう。顧問だったり、防衛用の兵器・城内設備の整備などでも収入はあっただろう。教団としての完成度が一番高かった理由もこれによると思われる。
 君子豹変すと言われるような柔軟な態度が儒にはあって、墨にはなかった。

 公孟、墨子の弁論術の上手さ。こういう弁術の上手さは当時の君主の前での演説での説得力に直結しただろうから、開祖として非常に重要な意味を持っただろう。

 公輸、一番有名な楚の攻撃から宋を守るエピソード。このような我が身を厭わず平和のために働くさまが、後の狂気的集団につながっていくと思われる。

 号令、守城戦でのノウハウ。貴族などの有力者の支持を取り付けること以外に、望気者・巫祝の支持が重要だという指摘がある。占い・呪術・医療がいかに民衆にとって重要かを意味する話。墨子道教に共通点を見出すことも出来る。墨子ではなく、なぜ道教という形をとったのか?それは道教・宗教が、より庶民・民を主体としたものだったからだろう。そこに下級士族ですらない一般庶民・大衆という支持基盤の違いを見ても面白いかもしれない。

 松岡正剛さんの千夜一夜のサイトで、隆盛を誇った墨子思想が廃れた・突如消えたのは歴史の謎みたいなことが書かれたのを昔読んだことがあって、へぇ~と思った記憶がありますが、別に不思議でもなんでもないですよね。墨子の思想が消えたのは、時代が流れて、支持基盤となる階層がなくなったからですね。小国家乱立の封建構造を前提とした思想ですから、その前提が消えたら通用しなくなるに決まってますよね。もはや時代の要請がなくなった墨家、そして墨家という特殊防衛技術を持つと考えられていた集団が、防衛の約を果たせなくなった瞬間、彼らの存在意義・魅力というのはなくなったわけですね。そのショック故に、自分たちのアイデンティティ保持のために集団自決して、約のために命をかけるという純真・献身を示さないといけなくなったと見るべきでしょうかね。それをすることで、集団の威厳・尊厳を保つことは出来ても、その後に待っているのは戦国の大国の圧倒的な武力ですから、待っているのは破滅ですよね。それに適応できるような新思想を生み出す天才でも出なければ、消えていくのは当然の流れですよね。

以下文末の解説部分のメモ
 魯出身だと思われるが確証はなし。教団は間違いなく魯にあった。下級士族、罪人・工匠出身説や任侠の親玉説には確たる証拠がない。救済対象は庶民だけでなく、王公含めた全て。
 十論は後に追加されていたのではなく、全て出揃っていた。
 契約不履行ならば、墨家としての信義を疑われることになるから、全員一人残らず自殺すべきというのは墨子の思想にはない。無論根拠を見つけ出すことは可能でも、全員信頼のために自決せよという論理展開に至る理由にまではならないだろう。このような教団に深化した背景は?同時代の似たような事件の影響が大きそうだな。多分なんらかの類似した前例・事件がありそう。本著では、その原因を二代目の禽滑釐の人格・性格に求めているが、それは二次的要素に過ぎないだろう。説明には不十分だと思われる。

 墨子の集団は燕・三晋・秦では活動していない。需要が無かったから当然だろう。戦国中期に代・中山でも活動した記録があるから、儒・墨また楊朱のように、それらの思想が天下に満ちていたというのはどうだろうか?誇張表現で実際とは違うという気がする。少なくとも戦国期には儒も墨もニーズがないから衰退していたと思われる。特に墨はそうで、だからこそ秦の弾圧であっさり滅んだわけで。
 論衡、後漢に纏子という墨子思想の徒の論争の話がある。墨子思想の復活の余地を考える上で面白そう。塢の防衛のために注目・必要とされたとか?

 最初は革新的な思想でも時代を経て保守的なそれになってしまった。本性論がない。天に対する形而上学的考察がない。周時代の封建体制を理想とする時代遅れの発想。天道思想の登場の時代に、賢智主義だったこと。そして富の増大時代になったのにもかかわらず、節倹思想を説いたこと。故に儒家に美味しいとこどりされて消えていった。

*1:論衡に鄒衍が吹律で気候を変化させたという話がある