てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

オバマの広島訪問について② 外交の失敗と成功は続いている、コインの裏表&オバマが謝罪しないのは当たり前

オバマの広島訪問について① 何故か出てくる安倍称賛&安倍叩き の続きです。外交の失敗と成功は続いている、コインの裏表であるという話と、オバマが謝罪しないのは当たり前という話です。

 

【外交の成功と失敗・過去の教訓は現在・未来に繋がっている】

 七十年談話や慰安婦合意の成果、オバマが今回広島に来たことなどで、村山富市などの謝罪外交路線は無駄だったとわかった的なものを見かけましたけど、外交には流れというものがありまして。過去の失敗について真摯に向き合って反省・謝罪をしてきたという事実は、日本への信頼や外交への財産になりこそすれ、失敗とは言えませんよね。過去の失敗が未来への成功に繋がっている、コインの裏表ですね。成功と失敗は表裏一体。過去の経験が未来に反映されるということは枚挙に暇がありません。成功したからこそ、失敗の本質に気づかずに…というのも同じことですね。丁度アメリカがそれですね。成功=強者であるからこそ、失敗の本質に気付かずに、過ちを犯し続けてきたというのがまさにそれです。

 

 歴史をかじってると、その改革ができたのは、過去の失敗を教訓にしたからこそという事例が多々あることに気づきますよね。秦の崩壊後に登場した漢が超現実的で中央の都合よりも地方・周辺の都合優先の黄老思想型政治とかを選んで成功したという流れがあります。秦が中央の都合、徹底した法治(というより硬直化した中央集権)で失敗したからこそですね。こういう事例などを見ていると。それ以前の流れ・経験があってこその成功だということがわかりますね。もしかこの失敗がなければ、決してそのような成功路線は築けなかったわけですから。

 微妙にたとえがふさわしくないかな?これ伝わるかな?まあ、ですから、日本が一度きっちり謝罪路線を選んだということは、いずれ歴史の検証・審判を受ける際に、その謝罪を受入なかった中国や韓国などに問題があるという結論が導き出されるという流れになることは容易に想像がつくわけです。そういうことを考えれば有利な材料になりこそすれ、マイナスにはならないですよね。謝罪路線と決別する前にきちんとした手続きをワンクッション踏んでいるわけですからね。

 

オバマが謝罪しないのは当たり前という話

 ここからオバマが謝罪しなかったという話。大賀先生がつぶやいてましたが、核廃絶の理念を、しかも"Moral Revolution"ということをアメリカ大統領が広島で言ったことは意味合いが違う。ソフトパワー的に評価されて良いと思うし、今後日本政府はこれを活用すべき。また、いま下手に謝罪することで保守的な人が叩く、そしてトランプ支持に繋がる可能性があるから、大統領選挙の影響を考慮して行ったスピーチとしてはかなり評価して良い―ということを仰ってましたが、同意ですね。

 

 まあ前述通り、次はどの大統領が長崎に訪問するかがポイントになるでしょう。特にトランプ大統領が誕生して、その彼が訪問することになれば非常に大きな意味を持つことになる。アメリカが過去の愚行に直面する・法の支配を受け入れることを意味するわけですからね。そうなれば、アメリカ政治だけでなく、国際政治の構造も新生されるわけですからね。まあ、そんな都合のいいことはすぐには起こらないでしょうけどね、現実的に考えて。

 今度は安倍首相(もしくはもっと先で違う首相か?)真珠湾訪問案があるとか、原爆投下を少しでも正当化しようということでしょうか?あんまり賛成できませんが、それが次の大統領の長崎訪問に繋がる、相手の次の行動をしやすくするとかそういう力学があるのであれば(長崎訪問のハードルを下げるというものであれば)、まあ良いと思いますけどね。

 

 オバマは明確に謝罪をしないのならば来るな!という意見がありましたが、これは段階というものがあることを理解していないんでしょうね。物事には手順・段階があるというのは常識だと思うんですけどね。オバマの謝罪が不十分なものであることはまあ説明するまでもないと思いますが、あの国で「我が国は正義ではなかった、間違っていた」なんて言ったら政治生命を失いかねない。また反発を招いて否定的に語られて、反動により封殺される。以後タブー化してしまうことだってありえる。

 戦後自国の過ちと向かい合うまでに70年以上かかったという事実が何よりそれを示していますね。まあ後世の米人歴史家(今も?)からすると、恥ずかしくて憤慨するでしょうね。七十年立って未だに過去の歴史に直面せずにいるのですから。今回の訪問は貴重な第一歩を踏み出したということで、米やオバマを十分評価出来ますよね。

 今後成熟して、世論もそれを受け入れられるように改革・変化をしていって、その先にようやく本当の「謝罪」というものが出てくるわけですね。一過性の問題ではなく、国民性や国家観・価値観の話ですから、オバマ一人がぐっと踏み込んで謝罪をすればそれでいいという話ではないんですけどね…。

 

 なんでしょうね、それこそ「謝罪」というものを個人間で考えているからなんですかね?加害者米が被害者日に謝る、詫びを入れるという図式で捉えているから、不十分だ許さん!的な姿勢になるんでしょうか。戦後秩序の主催者としての米の謝罪は国際政治・法のあり方を変えるからこそ、大事なんですけどね。

 「謝罪」よりも、「反省」ですよね、必要なのは。米のあり方を反省してこそ、原爆投下のような非道行為が今後起こらないようになる、国際政治・外交が改められるわけですから。ポイントは聖地アメリカという、それこそ「神国日本」的な歪んだ自国優越主義・価値観念が改められることですよね。

 まあ、鳩山さんが韓国に謝罪した時、どれだけ非難を浴びたか見れば一目瞭然でしょうね。それこそ鳩山に石を投げなかったものだけが、オバマが謝罪をしなかったことに石を投げてもよいってところでしょうね。鳩山があちらで評価されたのは、その政治リスクを恐れずに行動したからこそ尊敬されたわけで。鳩山を叩いたものが、同じ政治リスクを背負っているオバマを叩くなどちゃんちゃらおかしいですよね。

 

 正しいことをするのだから、どれだけ叩かれようと傷つこうとためらうな!なお、それであなたの生活・社会的信頼がどうなろうと知ったことではないという姿勢は、一体何様なんだという感想以外出てきませんね。