てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

NHKの貧困女子高生報道の炎上の話

NHKが貧困女子高生を取り上げて炎上していた件について。NHK「貧困女子高生」報道炎上は何が間違っていたのか にあるように、報道サイドとして問題がありすぎますよね。

 鈴木大介氏が、未成年の実名を晒して報道するのは迂闊すぎる。本人が同意しようとそこにはリスクが含まれているのだから、そんなことをするべきではない。未成年にどういう結果がもたらされるかという判断能力はないと考えるべきだと述べていましたが、誠にその通りでしょうね。

 Youtubeでどんな番組だったのかな?とあとからチェックしましたが、それを見た時にやっぱり、あの番組を作るNHKサイドに問題があると最初に感じましたね。とにかく、貧困=可哀想と同情を煽ればいいと思っているような作りでしたし、そのやり方/報道で同情を煽れると思っているのがおかしいと思いましたね。

 貧困フォーラムというようなもので、貧困問題を考えようという集まりの話をしていて、取り上げるべきは「相対的貧困」。昔から存在したわかりやすい「絶対的貧困」ではなく、一見するとわからない貧困。特に上のリンクで鈴木氏が仰っていたとおり、若い子はスマホなどのようなものがあっても、親が2~3日帰ってこなかったらご飯が食べられないという現実がある。きれいな服を着て、物ももっていても、貧困だというわかりづらい現実が存在するわけですよね。

 そういう新しい社会問題が発生しているという今、どうしてああいう報道をしたのか?そして炎上によって、トラブルになるなら報道しないという局が出てくるでしょうし、取材のハードルも上がるでしょう。誠に厄介なことをしてくれたなという印象ですね。

 報道をする上で、取材対象ときっちり信頼関係を作る。その上で報道をする。ほんの僅かなVTR、10分程度のものでも、その背景には濃密な努力/時間がかけられて番組が作られていなければならない。職人芸だったり、一流シェフの料理だったり、そういうたぐいのものでなければならないはずですよね。ところが、手を抜いてはいけないところ、過程で平気で手を抜いてしまうというわけですよね。だからこういう問題が起こる。

 「取材というのはこうやって僅かな報道でもものすごい手間ひまをかけてやるんだぞ~」という先輩から後輩に教える、継承していくものがあるはずなんですがね…。どうなってしまっているんでしょうかね…。

 確か、精神科医斎藤環氏が取材対象の人ときっちり信頼関係を作って初めて、取材になる。引きこもりのようなケースはそういうふうにしないと問題の解決につながらないということを仰っていたと思いますが、まあ、そういうことなんでしょうね。人間をものか何かだと思って勘違いして、ファーストフードのように扱っているからこういうことになるのではないでしょうか。

 取材対象を軽んじる=番組作りを軽んじる(手間暇&金をかけない)。そういうことをやっていれば、また同じ問題を起こすでしょうね。


 で、片山さつき氏がNHKに「説明」を求めていました。議員が特定の番組の内容についてメディアに説明を求めるということがどういう意味合いを持つのか、まあいわずもがなですね。

 山田太郎氏が30万票以上集めたことが注目されたわけですけど、全国的に知名度が遥かに山田氏よりもあるとはいえ、あの片山さつき氏が山田氏を凌ぐ39万票を集めているという事実はもっと注目されるべきでしょうね。

 表現規制を守りたい!という情熱を持った以上の人が、ナマポ許すまじという情熱を持って、片山さつき氏を支持しているという現実があるわけですからね。無論、両者の比例票だけをもって、全体像をカウントするのは無理がありますけども。

 少なくとも豊かな人が貧困じゃないだろ!なんてネットで叩くなんて暇なことをやるわけないわけで。同じ低所得で苦しい現実にある人が、俺が&私がこんなに苦しんでいるのに、その程度でなんだ!となっているわけですよね。低所得が低所得を=準貧困が貧困を叩くという構造があって、挙句には片山さつき氏を支持するようなことにもなるわけです。

 相対的貧困を解消する、同じ日本人であるならば、誰でも必ずこの水準の生活・教育を受けて、社会に出られるというふうにならなければならないのに、この調子ではそれは到底叶わないのでしょうね…。