てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。

【歴史小ネタ】 万里の長城・古代ローマの中国人の遺骨?沖縄からローマ貨幣・平城京にペルシャ人役人

歴史関係で新発見!的な話題から思いついたことをまとめました。更新が滞っているので、まあこういうネタもたまには良いだろうと。

万里の長城の話

 万里の長城の修復がひどいという話がありまして、実は応急処置であり、適切な処置であった云々というオチがついていました。そんな話もありまして、万里の長城で思いついたこと云々を。戦国・秦代から長城は存在したわけですが、中国でしか見られない訳ではなく、ローマ帝国もペルシア帝国も同様の壁を国境線に構築していたとか。ローマはハドリアヌスの長城なんかが有名なのでぱっと思いつきますが、ペルシアの長城というのは思いつきませんね。一体どのようなものだったのでしょうか?ローマやオリエント西アジア諸帝国、あるいは秦漢とかの比較してのそれらの違いとかあるのかどうか、気になる所。インドは「長城」みたいなのあったのかしら?

 長城は迎え撃つ際の塹壕というか、相手に越えにくいくさせる・移動をスムーズにさせないことが目的なので、あまり高い・堅固なものを作る必要はなかったわけですね。というか城壁ほどではなくとも、関所くらいのハードルの高いモノ・人が簡単に超えられない高さのものを作ろうとなったら、相当コスト・維持するメンテナンスがかかる。まあ、最初の頃の遊牧民対策が主で、あまり目立たなくなるものですね。中国の万里の長城のようなものがかなり特異で異質なもので。

 長城というと遊牧民対策を連想するものですが、斉・魏・秦など国境に作ったものの方が早かった。ローマなどがそうだったように、異文明圏に対して用いるもの。それが中国の場合、同文明圏内で作られている。

  「防衛線」は冷戦期において(現代でも?)重要な概念で、「聖地たる自国に侵入する蛮族を防ぐ」という宗教的意味合いが普遍的に見いだされるわけですが、中国の場合同文明圏内でその意識が多分乏しい。純粋に軍事的な理由で構築されているのが興味深いと思いました。

 あるいは、中山国など遊牧的な色彩が強い政権、遊牧民が南下して生まれた政権などもあったので、そういったものが与えた影響もあったりするのかな?防衛線構築の初期においては「野蛮」の侵入を防ぐ的な要素があってもおかしくないといえばおかしくないのかな?

 ちなみに防衛線という考えはスポーツにも反映されているという。米欧圏の人は国境が変化して当たり前という考え、その時代毎に力関係が変化して国境も変化するのが当然だという歴史背景を持っているから、ラグビーやアメフトにその価値観が反映されていて、観客は陣地・ラインの押し上げ下げに熱中するとか。

 「聖と賎」的な話をしたかったのですが、よく考えたらローマはキリスト教化するまでは異文明・異宗教に寛容でしたね。その聖地などの発想も一神教的な発想ですし、境界を設けることで自分たちは聖・相手は賤とする云々は関係ないですね。中国の場合の「中華」は六朝時代以降が萌芽、特に朱子学以降でしたね。無意味な話でした(汗)。というか、万里の長城位の規模ならともかく、ハドリアヌスの長城でさえ膝くらいのそれなんで、あんまり彼我の差違を明確にする、民族としてのアイデンティティ形成に寄与するという要素はなかったでしょうかね。

 遊牧と定住のような異質の文明圏が接触する時、明確な境界が設けられることがある。くっきり線を引いて、「あなたとわたし」は違うのよと明示することがある。しかし同質の文化、同文明圏において彼我のさいを明示することは珍しい―的なこととを思ってたんですけどね。まああれくらいなら往来する商人でも大して印象には残らないでしょうしね。まあそれでも秦の統一で撤去されますね。わずかとは言え境界の意味合いを持つものなので。

 長城とはいっても、当時のそれはあまり大した規模ではない。斉・魏・秦などが設けた長城は果たしてちゃんと「境界」の機能を果たしていたのかしら?地味に気なるところですね。明の長城レベルになると間違いなく「境界」としての役割を果たしていて、彼我の違いを明確にする機能があったでしょうけどね

 そうそう、当時の人間の帰属意識として「魏人」とか「斉人」みたいなのがある程度存在していたわけですよね。長城の撤去でなくても、城壁などの建築物が立派なものであればあるほど、彼らのアイデンティティを傷つけたでしょうね。「秦人許すまじ!」になったんじゃないかな?秦の統一は祭祀の統一を意味しますし、諸国の祭祀関係の撤去・国家モニュメントなど色々撤去されているでしょうしね。

 キングダムで信が俺達庶民に王なんて関係ねぇ!と言うシーンありましたけど、亡国ならなんとか我慢できても、城壁の無力化のために防衛力を下げる改悪工事をされれば、その都市にアイデンティティを持っている都市民は怒って反秦にまっしぐら、猫まっしぐらの反秦タイガースになったのではないか?とふと思いつきました。

 中国で万里の長城の件で、我々は笑っている場合ではない。平城宮跡を舗装したり、飛鳥池遺跡を埋め固めてその上に万葉ミュージアムハコモノを建てたりしている➖という指摘を見て、わが国でもこういうことが多々ありそうと少し心配になりましたが、歴史関係の保存などについての行政は大丈夫なのでしょうか…。

古代ローマの墓地から中国人の遺骨が発見されたという話 

 Chinese Skeletons In Roman Britain? Not So Fastフォーブスが、これはまだ中国人と確定されてはいないだろうという指摘をしていたという話。

 論文では、2体の遺骨は形質人類学的な見地からアジア系の特徴を示していると指摘されているだけで、中国人という断定はされていない。またその遺骨も完全でなくて、アジア系であるという推定も決して高いものではないとか。

 22体の遺骨の大半が成人してからブリタニアに移住してきた可能性が高い。アジア系の人間がローマ・ブリテンにいても全然おかしくないということはまあ想像できますからね。

 遺骨の放射性同位体の組成がみんなバラバラ。一体どういった経緯で出身地を異にする人々が集まっていたのか、奴隷か?商人か?移住による集住か?興味は付きないですね。

 2-4世紀のローマ帝国内における人口移動は思っていたよりもずっと活発だった可能性が高いという裏付けになる話。今後もこういう研究が進んでいくとローマ帝国のみならず世界的な人の流れがわかるようになったりするのかも?

沖縄にローマのコイン

古代ローマ帝国のコイン、沖縄の勝連城跡から出土 国内で初めて
 15世紀以前の沖縄の勝連城(ぐすく)から、3~4世紀のローマ帝国の貨幣数枚が国内で初めて出土した。3世紀といえば、当時のローマ商人「秦論」が、三国の呉に出かけて皇帝・孫権に謁見したという話もある。沖縄にも来ていたんですね。来ていても全然おかしくないですが、こうやって発掘物が出てくると間違いないという裏付けになりますね。

ペルシャ人の役人の話

数学教えていた? 平城京にペルシャ人の役人 木簡に名前 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

平城京にペルシャ人の役人がいたことが判明。「破斯清通」ってどんな人?


 765年ということはアッバース朝時代のころ、ペルシャ人が日本に来ていた。数学という知識の伝達・重宝されたからという理由だけではなく、神の教えを説きに来た可能性は高いでしょうね。

 記録ではわずかに記されているだけだが、当時の日本にペルシャ人がいたことは間違いないと。まあペルシャ系の文物があって、日本はその影響を受けていると言われているし、違和感はないですかね。唐経由で、景教以外にもマニ・ミトラ・ゾロアスターなど、色んな宗教の可能性が考えられて面白いですな。

アイキャッチ用画像

ナノブロック 万里の長城 NBH_136