てくてく とことこ

15/12/18にアメブロから引っ越してきました。書評・時事ネタ(政治・社会問題)で書いていく予定です。左でも右でもなくド真ん中を行く極中主義者です。基本長いので長文が無理な方はお気をつけを

ローマ帝国はなぜ崩壊したか≒なぜ再生しなかったのか、中国・漢と比較して

 ローマ帝国の崩壊: 文明が終わるということを読んで、なぜローマ帝国は崩壊したのか?なんてことを考えて、つらつらつぶやいたことです。そこから漢・中国との比較分析みたいな話になってますね。

 どちらかというと、よくあそこまで長持ちしたと考えるべきかな。そもそも超辺境に存在していて、正確な人口知らないけど、当時のオリエント地域と比べても大した人口を養えなかったっぽいし。

 新興国のときは市民からなる軍隊だった。帝国となって国民皆兵の前提が崩れると傭兵・志願制になった。責任をとる国民の喪失が没落の要因などとよく言われますけど、まああんだけ広大になってしまえば他にどうしようもないですからね。貴族が地方に出て開拓する・資産づくりという構造も止められる訳無いですし。

 開発の限界点に到達してしまって、経済が停滞したこともさることながら、騎馬遊牧民の軍事力に勝てなくなったことが何よりも大きい。古今東西政治力とは軍事力のこと、政治力≒軍事力ですからね。軍事力で劣位の地位に立たされてしまえば、帝国は崩壊するに決まっている。

 騎馬遊牧の軍事力の向上・相手側の軍事力の増強が第一で、あまり内在的な退廃とかを過度に強調すべきじゃないのかも?まあ、現代の政治学では軍事力≒政治力より、法・制度の力。ハードパワー以外の側面が注目されますが、それと同様ゴート族なんかローマと契約して地位を承認してもらいたがったわけで、面白い所ですね。

 最初は侵入して略奪するだけだったのが、次第に土着化しようとする。こういう流れはまあオリエント、中国でも同様に見られる現象。帝国としての政治制度が成熟していったため、高度な政治力が却って魅力的な侵略対象となって侵攻を招いていったとしたら皮肉な現象ですね。というか帝国が必ずぶつかる遊牧民の波ということでしょう。

 ゲルマン民族の大移動みたいに、遊牧民内部の事情=戦闘に負けて追い出されて東から西にやってきたというのはよく言われますよね。それ以上に超格差社会の奴隷当たり前経済の時代なので、生きていけなくなった人間が遊牧社会に亡命して彼らに技術を伝えたとか有り得そうですよね、んで帝国に復讐する流れという図式もあったのではないでしょうか?

 なんか冒頓単于だったかな?違ったかな?鮮卑かなんかで、亡命漢人が大臣として仕えていろんな技術を伝えたとかそういう話があったし、政争に敗れて逃げ込んだパターン以外にも、亡命技術者・難民受け入れはありそうですね。まあ辺境特有の境界にあって、それぞれの文明圏の交流・おいしいとこ取りの例のケースとかですね。

 ローマが崩壊して再生しなかったのと、唐を中華王朝と仮定して再生されたと考えると、その違いは言語に対する差異として現れると考えていいんじゃないかな?唐は変化したとはいえ漢字を用いて「中国語」を使った、漢化した。対してゲルマンなど彼らは、教養としては残ってもラテン語を使わなかった。

 帝国の力が政治=法・制度の力だとしたら、そのままラテン語を採用して、ラテン化するのが効率的。そうならなかったのは、ローマという政治資産を翻訳して狭い民族内・特定支配地域に限定して利用することの方が効率的だから。旧ローマの広大な領域を支配することがもはや不可能だからではなかろうか*1

 東西ローマというよりも、もう西はコストに合わなくなっていたので、統一的な政治体としては厳しかったでしょうね。遅いか早いかだけの違いで。東ローマというか、オリエント的な東方専制化しないと存続不可避だったでしょうし。

 東ローマに個人的にかなり惹かれていて、それこそ本家本元のローマ帝国や!千年帝国や!と言いたいところなんですけど、そんなことはおいといて、世界システムを運営する帝国としてのローマ帝国は死んだでしょうね。西ローマの崩壊よりも、エジプト・シリアの喪失の方が当時の東ローマとしては、意味合いが大きいんじゃないかなぁ。

 戦乱→統一→外征→開発限界点・線に到達。そこからは侵略してくる敵にたいする守勢戦略に切り替えるというパターンになるのだけど、そのときに国内安定化させるために軍役廃止・民の負担を軽くするシステムに作り変える流れがありますよね。そういう流れを考えると、ローマはそれやってないんですよね。

 軍人皇帝なんですよね、ローマって。後漢だと、文治政治と言うべきか、権限委譲を積極的に図って、中央集権から地方分権に移行している。幼帝でも重臣たちの合議政治でうまくいくようなシステムになっている。ローマの場合はそうではない感じ。まあ詳しく知らないから断言できないんだけども。

 軍人皇帝と元老院がうまくバランス取って王朝として機能した場合もあるのだろうけど、コロコロ皇帝家が変わるとそれだけ不安定になるわけで。あんまりうまく行っている印象はないのだが、どうかな?漢帝国は当時の漢(≒秦)の民だけの帝国だけではなかった。対してローマは「ローマ人のための帝国」っぽい。

 無産市民が大量に溢れて社会問題化したそのローマ市民権を持つローマ人のための、帝国というのがローマ帝国誕生の動機だと見ると、やっぱそういうことになってくるのかな?ガリアやエジプトなどのすべての人間をひっくるめたローマ以上の、「おれたちは〜〜人だ!」というアイデンティティを作れなかったのがポイントかな。

 もちろん、そんなもの到底作れるとは思いませんけどね。そこがローマが崩壊して最終的に復活を遂げられなかったポイントじゃないでしょうかね?ガリア人のためのガリア国みたいに一地方の国家の性格を抜けた帝国としては復活しようがないでしょう。帝国を束ねるアイデンティティがなければ復活・再生はありえない。

 秦が秦人優先の帝国で失敗して、旧七国・中華すべての民を平等に扱う理念を持った漢が出てきたたように、ローマにとってかわるローマ・ネクストがなかった。ローマの宗教・言語・風習がローマを超えてスタンダード・アイデンティティになり得なかった。その隙をキリスト教がついたって感じかな。

 キリスト教の布教と道教の布教というのは構造が同じなんじゃないでしょうか。もっともらしい伝統ある神、国家が讃えて祀る権威ある神・祭祀よりも、自分たちの苦しい現状を変えてくれる力のある神・教義・教団を大衆は需要した。経済が停滞して、学だったり生活(特に福祉)だったりを支えられない国家に愛想を尽くした結果、キリスト教道教が広く受け入れられていったというパターンで共通している気がしますね。

 中国の場合は道教の壁を乗り越えられたが、ローマ・欧州はキリスト教の壁を乗り越えられなかった。そんな感じでしょうかね。無論これは、宗教の優劣や思想の優劣、言うまでもなく国家や地域としての政治体・共同体の優劣とは別の問題なんでしょうが。

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*1:まあ、漢字の場合は文字と語順さえ覚えればなんとかなる表意文字というのと、表音文字の違いとか色々関わってくるのかもしれないけれど